陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「日陰の花と陽ざかりの階段」(十四)

2008-09-17 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女


「ここの階段は、ほんとうにキツいよなぁ。学園の階段とおなじくらい、昇るのはしんどかったよ」

真琴は遠い目をして、くるぶしから流れる汗をにじませてきた石階段の段数を眺めやりながら、言った。今度はかなり重苦しさをこめたような声調で。
その声の調子に千歌音はやっと悟ったのだった。この走者もまた、別の苦難の階段を重ねてここに来たのだということを。

帰国子女の千歌音は、乙橘学園の二年目の秋に転入する前におこった、真琴と姫子をめぐるある夏の事件を知らなかった。
それは朝の登校中のできごとだった。前方不注意でぶつかってしまったイズミに、姫子が階段から突き落とされた。たまたま通りかかった真琴は、落ちる姫子の背中を支えようとして、バランスを崩し、いっしょに転げ落ちてしまった。姫子のクッションとなった真琴は、足を折ってしまい、しばしの入院生活を余儀なくされた。そのために、二年目の夏の国体で予選落ちという残念な結果に終わる。三年の夏にもチャンスはあるが、受験勉強もあるから部活にだけ本腰はいれられない。二年目の大会は、真琴にとって重要な大会だったのだ。
真琴はそのとき、すっかり気落ちして、姫子と口をきかなくなってしまった。そして、夏休みに入り帰省していたので、一箇月は姫子と離ればなれになっていた。

姫子と離ればなれの一箇月、真琴はこの大神神社の階段でひそかにトレーニングを積んでいた。学園で練習することがなんとなく憚られた。同情を寄せる級友たちや先輩連中、教師たちが励ましの声をかけてくれる一方で、復活にかける無言の大きな圧力を感じていた。すべてのうわべだけの憐れみから、そしてなにより謝意で身を縮めている姫子の怯えたような眼差しから、真琴は逃れたかった。

この階段を昇っていた去年の炎暑の一箇月を、真琴は誰にも知らせてはいない。知られたくはなかった。
真琴にとって、それは封印したい弱かった自分の記憶で、やましい想いの葬り場所だった。
姫子を悪意から護りきれなかったこと。自分の夢を閉ざされた恨みをぶつけてしまったこと。そして、いままた封じたい想いがもうひとつ…。


「ねえ、宮様はさ、姫子のこと追いかけたことある?」
「姫子をおいかけたこと…。そうね、ない…、かもしれないわね」

──そう、本気で追いかけたことなんてなかった。

千歌音はふたりの日々をふりかえって、悲哀の表情を濃くした。

いつも、姫子は仔犬のように私の後をついてまわってきた。去年の秋、運命的な出会いをしたとき、はじめてなのに私たちは恋に落ちて当然のふたりだと感じあっていた。姫子は私をずっと待ちつづけていた幻の想いびとだと潤んだまなざしで語り、私はずっとそうだと信じていた。
そして望まれるままに、欲しいままに私たちは肌を重ねてきたのに。
それは、姫子から与えられるだけの愛をうけとっていたに過ぎなかったのではなかったのか。姫子に愛されて当然、そんなふうに思っていたのではないか。相思相愛でふたりの想いの歯車の噛み合わせがずれるなんて思いだにしなかった。
そして完璧を誇る自分が、ただひとつの愛を得られないことに目を背けていたのではないか。
大神ソウマとデートしている姫子。私が手渡したチケットを彼女は拒みもせずにうけとった。そのとき姫子が私の腕からすり抜けていくような気分に襲われた。そのチケットは、ふたりの終わりをつげる最後通牒でもあるまいに、なぜに自分は最悪に思いなしてしまったのだろう。

──どうして、私はいま、孤独にこの神社の階段を昇ってきたのだろうか。

千歌音はふいに休日の自分の行動に疑問符をつけはじめていた。

私が昇るべき階段はきっとここではない。姫子と肩を並べてふみしめる朝の白い光が敷きつめた明るい階段で、薄くひびくチャイムと夕陽の光を背に浴びながら歩む帰りの階段だった。ひとりの階段じゃない。ふたりの階段であるべきだった。今日が休日だから、そこに行かなかったのではない。私は明日も明後日も、こころ錆びれてふたりの階段を避けようとしていたのだ、きっと。

「ねえ、姫子を追いかけないの?」

耳の裏側にくちびるを押しあてるようにして真琴がささやいた。聞き慣れた少女の声に落ち着きが加わって、遠くから届く神の声に感じられる。千歌音は、聖女に抱きすくめられて諭されているような気分になる。

「あの子はね、いったん逃げるとどんどん遠くまでいっちゃう子なんだよ。俊足のあたしでも追いつかないくらい」
「……そうね。姫子のこころは広いから…とても大きな世界だから、悲しみは最果てまで広がってしまうのね」

姫子が逃げているんじゃない。私が追いかけなかっただけ。
彼女はそばに来てくれるのに、遠ざけたのは私だったのだ。
そして、私は自分が逃げれば、あの子が追いかけてきてくれるだろうと勘違いしていただけ。きょうだって、遊園地のチケットを棄てて、私の句会に会いにきてくれたら…なんて勝手にうぬぼれていたりしたのだから。



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「日陰の花と陽ざかりの階段... | TOP | 「日陰の花と陽ざかりの階段... »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女