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そのドイツ人は、偉大な男を殺した。
空を墜ちた男は、フランスの誇る二〇世紀最高の文学作家であり、優秀な航空士だった。第二次大戦末期、彼は飛行規定年齢を十歳もオーバーしていた。そしてすでに、名にしおう高い名声を得ていた。他の欧州大陸生まれの芸術家と同様に、彼も激しくなる戦渦の大地をはなれて、合衆国に亡命した。
彼が愛国心に駆られて、敵国偵察機のパイロットに志願したとき、彼を案じる皆がみな、反対した。だが、彼はかたくなに意志をとおして、なんどもだめ押しされながらも、懐かしいコクピットに身をおさめた。
そして彼を乗せたロッキード F-5B型機は、地中海マルセイユ沖で消息を絶った。一九四四年七月三十一日。その日、高くたかく空を昇りすぎたパイロットは、最後になにを見たのだろう。
すでに五〇年代に、その海域に潜ったダイバーが、機体の残骸を見出していた。九八年に男と妻の名をきざんだ遺品が発見された。生誕百周年をむかえた二〇〇〇年に詳細な調査によってF-5B型機だと特定され、〇三年には車輪を含む左エンジンナセルが引き揚げられ、周囲の海域をさらってあまたの破片が拾い集められた。だが、彼そのものを示すものはもはやなかった。死んだという事実だけを証しだてるための遺体が。
海に沈んだ男の名は、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ。
海へ落した男の名は、ドイツの撃墜王の名を欲しいままにした、当時の独軍操縦士ホルスト・リッパート。戦後はスポーツ記者をして暮らしていた。〇八年三月十五日付け『ル・プロヴァンス』誌にて、二十日発売のサン=テグジュペリ伝記の作者のインタヴューに応じて、みずからの秘めた罪を告白したのだという。
そのドイツ人はなぜ、いまさらになって、白状したのだろう。もちろん、偉大なパイロットを殺したのは時代の黒い政治の波であって、彼ひとりの力およぶところではない。ゆえに、この当世に名乗りでたとて、その罪を問うものはおそらくいまい。
戦時中、サンテックス(作家の愛称)の作品は世界の若者にひろく読まれた。その撃墜王も愛読し、親しんだひとり。行方不明になった作家を、敵方のドイツ軍ですら探索していたという話。かつて名うての空の射手は、自戒気味にこう述べた。「長い間、あの操縦士が彼では無い事を願い続けた。彼だと知っていたら撃たなかった」
ある星の王子さまのファンサイトによれば以前にも同様の撃墜した「犯人」からの証言があったが、その信憑性はくつがえされた。今回の件も、サン=テグジュペリ伝記を確認するまでは、この報を信じてはならないと訴えている。それが真実であるか否かはわからない。だが、ファンにすれば、敬愛する作家がそこたしの鳥のように無惨に撃ち落とされたなんぞ、信じたくもないであろう。
〇八年三月自首した「犯人」は、自身が愛する者を殺したことを長年後悔し、ずっと苦しんでいたのかもしれない。誰かにうちあけて楽になりたかったのだろう。その気持ちは察してあまりある。だが…。売名行為とまではこきおろしたくないが、いささか腑に落ちない。
世の中には、暴いてはならない死の真相がある。
海から拾っていいのは、古代の彫像だけだ。その古代芸術遺産の研究をした美術史家、ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンは、むごたらしく強盗に襲われて人生の幕を閉じた。もちろん、あっけない死をむかえたからといって、その偉人の功績がかすむわけではない。
しかし、サン=テグジュペリの場合はわけが違う。それははたして不遇の死たりえたのか。
伝記や彼の研究をした各種論考の類には目を通していない、これはあくまでかってな憶測であるが。
死の前年、『星の王子さま』を出版した世界的ベストセラー作家は、いちばんに国家によって身柄を保護される人物だったはず。戦渦のおよばない新大陸での安全な生活を棄てて、なぜ正義に殉じようとしたのか。数々の著作に残されたニヒリズムをみれば、なんとなくそれが推して知られる。
彼は空に葬られたのだ。明日の生をあきらめた猫が、ひっそりとどこかへ隠れんぼしてしまうように。それは言うなれば、自然の力を借りた尊厳死ですらありうる。
彼のからだは、海に溶けてなくなった。その肉は塩からい水流に食(は)まれ、骨は珊瑚と化した。
最後の涙は海で流したい。だからもはや、我を探すな。我が哀しみを知るものは、魚なりき。彼が透明な声でそう語っているように思える。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリを星の王子さまにしたければ、その死は謎にしておくことだ。私もそれを、しゃにむに願うひとりである。
【参照記事】
サンテグジュペリ搭乗機「撃墜」=独元パイロットが証言-仏紙(時事ドットコム、〇八年三月十五日)
美しく完成された文章に読みいってしまいました。
星の王子さま。だいすきな一冊なので
先日、このニュースを耳にしたときは
やっぱりなにか違和感がありました。
またときどき伺わせてくださいね☆
>星の王子さま。だいすきな一冊なので先日、このニュースを耳にしたときは
やっぱりなにか違和感がありました。
ファンにしたら、にわかに信じたくない事実なのかもしれませんね。ピラミッドに眠る王家の墓をあばくようなもの。あるいは大陸にわたって英雄になった義経伝説を信じるこころを裏切ることになります。たとえどれほどそれが史実にもとづかないものであっても。
真偽のほどはわからないのですが、巨匠の名を借りた身売りかも、と下衆な勘繰りをしたくなってまいります。
この老撃墜王にしても、伝記の執筆者とむすんででっちあげたのかもしれないし、サンテックスの愛読者というのも、もしやうそかも知れない。
偉大な死から目を背けることは愚かだとは思いつつも、彼がどこかで、別の天地で生きのびているのではなんて夢想する者にとっては、そっとしておいてほしい話ですね。
話はかわりますが。私は字があまりうまくなく、書のじょうずな方はうらやましいですね。学生時代に水墨画を習ったことがありますが、運筆や墨の濃淡の出し方がむずかしくて苦労しました。デジタル世界の規格化された書体に目が慣らされてしまうと、個人が直筆した字が解読できなくなってしまって、危機感を覚えますね。紙のうえでの白と黒との一発真剣勝負、それはその書家の高い精神性が必要とされるのではないかと思います。ちょっとこぎれいなで口当たりのいい、ウェブをただよう言葉なら、いくらでも使い回せるのと違って。
ちなみに、最近は体裁のよい話題で品よくみせかけていますが(苦笑)、うちはほんらいおたくな文化やマニアックなものを扱っている闇鍋ブログです。したがって、創作の合間にまともな記事だけご拝読くださいますと嬉しいです。
影ながら今後のかちた様のご活躍をお祈りしています。
この報に触れてそこまでお考えになられた万葉樹さんに拍手です。
戦争に志願したサン=テグジュべリの撃墜死は、ファンならずとも結構知られた話かなと思っておりました。飛行機大好き人間のパイロット志望の青年から聞かされた昔を思い出しました。その辺のことはよく知っていて驚かされた記憶があります。彼はサン=テグジュべりの作品は一冊も読んだことがないという隣国の青年でした。それを機に「人間の土地」をプレゼントしたので、よく覚えています。
「星の王子様」といえば、一昨年の暮れでしたか、音楽座のミュージカル「星の王子様」を見たときのことをちょっと思い出してしまいました。
わたくしは、サン=テグジュベリの良い読者とはいえませんけれど、彼の愛についての思考、考えは、かなり魅力的だと思っています。
追記
こちらでお礼を書かせていただきますね。拍手コメント有難うございました。
gooブログにも、拍手コメントがあるといいですね。(笑)
でも、FC2のそれは、いただいたコメントにはレスができないのです。
非公開のブログも書ける設定にはなっていません。そのせいか、最近になって思うのは、「(FC2って)意外と不便だわ」です。(苦笑)
個人的な事情により,遅くなって申し訳ありません。
>戦争に志願したサン=テグジュべリの撃墜死は、ファンならずとも結構知られた話かなと思っておりました。
話題になった二〇〇〇年前後のころ、不肖私、こうした話題に疎かったんですの。いまでも大差ないですが、専門の好きな文書ばかり追いかけていて、ほとんどテレビや新聞の時事ニュースに接しない生活をしていましたので。おかげでひじょうにマニアックなことは知っていますが(苦笑)
>飛行機大好き人間のパイロット志望の青年から聞かされた昔を思い出しました。彼はサン=テグジュべりの作品は一冊も読んだことがないという隣国の青年でした。それを機に「人間の土地」をプレゼントしたので、よく覚えています。
その青年が文学に興味が開かれたのでしたらよかったですね。プレゼントといえば、私も中学受験の家庭教師をしていたとき教えた女の子へ、合格祝いとして金子みすずの詩集(+ラファエル前派の画家アーサー・ヒューズの絵はがき)を贈ったことがあります。それが喜ばれたのかどうかはともかくも、若い方にぜひとも読んでほしいと思う本ってありますね。自分が十代のときにあまり文学など読まなかったこともあるので。でも、押しつけがましいかしらとも思い、薦めるのがはばかられることもありますが。
>「星の王子様」といえば、一昨年の暮れでしたか、音楽座のミュージカル「星の王子様」を見たときのことをちょっと思い出してしまいました。
しらべてみましたら。フランスの著作権管理会社から世界初唯一上演許可が降りたミュージカルだったのですね。アメリカ製ブロードウェイミュージカル風な仕立てに、遺族からの反対が根強く、何回も交渉をかさねて、原作に忠実なものに変更を余儀なくされたと。著作権の切れた〇五年以降は、かなりオリジナルな演出がなされて音楽座以外でも上演されてきたようですね。
私は個人的にファンタジー文学やいま流行りの漫画などのミュージカルには、すこし違和感をおぼえてしまうことが多いです。逆に原作にあまりいれこまない方が、かえってそのイメージにとらわれないので楽しめるのかもしれませんね。そういえば、以前コメいただいた「リボンの騎士」もミュージカルになっていたそうですが…ビッグタイトルのネームバリューを借りた二次創作という気がしないでもない。「ヤッターマン」など日本のアニメの実写版についてもそうですが、こうした派生物がはたして原作品を脱し
とはいえ、ファンタジーの実写がなんでもかんでも嫌いというわけではなく、「べるばら」など宝塚歌劇は好物です(笑)宝塚のほうを先に知っていたせいもありますが。
>わたくしは、サン=テグジュベリの良い読者とはいえませんけれど、
私も『星の王子さま』ぐらいしか、きちんと読んだことはないのです。しかも、かなり最近になってから。本のタイトルは知っていましたが、子ども時分は、ライオンみたいな頭で、モディリアーニ絵画にでてくるアーモンド型の白目の人物みたいな王子様の挿絵がいけ好かなかったので(爆)、読む気になれなかったのですが。この本の教えていることってある程度人生経験ふかめないと身にしみて納得できないのかもしれませんね。
完成作品としては遺作となったこの作品には、彼の人生の集大成ともいえるエッセンスがつめこまれていますね。私は河野万里子さん翻訳本で読みました。女性らしいやわらかい訳で読みやすかった反面、訳者の好みが出たのか、王子様と飛行士の主人公との交情を描写するのにやや熱がはいっていたように感じました。ええ、それはもう、少年ジャンプのテニス部の男子高校生漫画などを愛読する女子が好きそうな(王子様違いです)
最後の王子様と飛行士との別れは、サン=テグジュベリの最期と重ねあわせられること多いですが、涙さそう趣きがあります。あとがきの彼の略歴を参照するに、家族を失った不幸、仕事上の挫折、失恋、そして米国におけるフランス人社会での孤立、などなど苦い生の歩みが、あの物語にあるおとなへの諷刺へと落しこまれているように察せられますね。
>彼の愛についての思考、考えは、かなり魅力的だと思っています。
王子様がキツネに諭されて、自分の星に咲くバラの花が、世界でたった一輪のいとおしい存在だと気づくくだり。魅力的ですね。
愛とは所有することなのか?相手の役にたつことなのか?おおくの数を得ればしあわせであるのか?支配と従属なのか、賛辞しあうだけなのか?そして休みなく寡黙に愚直な仕事をする人間への尊敬。
そのほかにも、いろんな格言がそこかしこにつめこまれていて、何度でもくりかえし読みたくなる良書。多くのひとがサン=テグジュベリの言葉を引用しています。世界で聖書の次によく読まれている物語だというのも、うなずけます。
ただし、この作品は愛情対象が生きとし生けるものすべてへと向かっているもので、ふつうの人間どうし、とくに恋愛関係にあるふたりにあてはめられて考えられるものなのかという疑問は残ります。キツネのいう「絆をむすぶ」=「なつく」(その訳語がニュアンスとしておかしいのかもしれないのですが…)という愛玩動物に対する接し方は、子どもや赤ん坊ならいいが、れっきとした成熟した大人どうしの関係に、それはもちこめないように思われるのです。
冒頭からさかんにくり返されるおとな批判にしても、ある意味ピーターパンシンドロームと分析できなくもない。しかし、それは理不尽で傲慢なおとながはびこる社会に疲れた者にとっては、悲しいぐらいにこころにぐっと響くものがありますね。
大戦末期、荒廃した人間の大地を、飛行家の目で見おろしていたサン=テグジュベリ。人間の悪意のもやのかからない空を求めた彼は、なにを望んでいたのか。王子様がさまざまな星を訊ね歩いて人間の愚かしさを見つめながら成長していき、最後にたどりついた七番目の星においてキツネと飛行士という良心の友にであった。そしてその場所こそが、地球であったということ。それは、皮肉をこめながら当時の現代社会を暗喩的に揶揄したこの作における、彼のメッセージであったのかもしれないと。
>gooブログにも、拍手コメントがあるといいですね。(笑)
でも、FC2のそれは、いただいたコメントにはレスができないのです。
非公開のブログも書ける設定にはなっていません。そのせいか、最近になって思うのは、「(FC2って)意外と不便だわ」です。(苦笑)
gooのコメント欄、字数制限がないのは気に入っていますが。私のようなだらだらとした長文書きには(苦笑)
足コメみたいに、ないしょで送れたらいいんですけれどね。
拍手コメントをおかないのは、ブログパーツの制限とおなじで、不自由ですね。おそらくgooホーム加入促進をうながして、gooブログ内でのユーザーの囲い込みをおこないたい意図がみられるかと。
拍手コメントに律儀にも返信されている方もいらっしゃるのですが、これは人それぞれでしょうね。レスする苦労を知っている身としては、相手に負担はかけたくない。しかし、やはりていねいに返礼されると嬉しくもあり。
非公開といいますか、けっきょく下書き段階でおいておくのとおなじなんですよね。私も草稿状態で手をつけていないものがあります。
ブログの記事として反映されるが、投稿者本人のみしか閲覧できないっていうのは無理なんでしょうね。
FC2はけっこう評判がいいブログサービスだとは思いますけれど。それぞれ、よしあしあるんでしょうね。
私も一時期引っ越し(もしくはブログの分割)を考えたりしたのですが。gooブログにいて恩恵をこうむっていることもあり、また記事をエクスポートしてデータが消えたら嫌ですので、ためらっています。リンク先にもご迷惑になりますので。
では、コメントありがとうございました。
マキャベリおじさん講談と、愛猫のご紹介、ご自身の手で育てられ活けられた花の画像、そしてさまざまな愛に関する考察ブログをとても楽しみにしています。