本を語る前には本を読まねばならない。
けれども、まず本を読むことにすらハードルがある。識字障害などではなしに、本を読むことが億劫になることがあります。
今回はビフォアー読書のお話です。
ハズレ本に出会いたくないがために、話題本の情報収集をやたらめったらした挙句、けっきょく他人のレビューばかりを読んで、読んだ気になってしまう…なあんてこと、ありませんか?とくにアマゾンなどの実際の購入者しか書けないレビューは半匿名なだけに、辛らつだったりもしますよね。
目利きの誰かのものの見方や感じ方を借りるのはいいことですが、悪いこともありえます。
いつの間にか、そのレビュアーと同じ目線でしか本を選べなくなってしまう。学生さんが研究論文を書くときに資料や参考文献の選び方が分からない、だから指導教官や先輩と同じようなテーマやそもそも指導教官の本を資料にする、なんて声もあります。思考停止もいいところです。自分で本を選び抜く目を養ういい機会なのにもったいない!
漫画やアニメでも、映画でもそうなんですが。
ブロガーやSNSのインフルエンサーの語り口が絶妙でおもしろく見えたけれど、イザ手にとってみたらそうでもなかったな、なんてこともありえます。オタクにはよくありがちですが、あれほど入れ込んでいたのに、ブームが去る頃になると熱意がなくなって、逆に批判をし出してしまうなんてこともあるんです。そういうサブカル界隈の動向を見ると、うかつに手を出すのが恐ろしいなと尻込みしてしまうこともありますよね。
別の記事でも書きましたけれども、迷ってしまうぐらいならば、本はいっそ読んじまったほうがいい。清水の舞台から飛び降りるような心持で。
とくに本は図書館でもタタで借りられることも多いので、懐は痛まない。命をとられるわけでもなし。
なんだこのクズ本は!と思ってみても、そのときの自分の負の感情がその後の本選びのヒントになることがあるからです。
これって人付き合いでも同じですよね。私はこういう趣味の人、あの手の考え方の人が苦手だから、敬遠したい。でも、実際にそんなひとと会うのは怖いけれど、そういう類の経験者の本を読んだら、実体がわかる。私の場合でいうと、たとえば、口先八丁で売ってる芸能人とか、ギャンブラーとか、不倫経験があるとか。やたらと難病とか、不登校とか、性的マイノリティーであるとか、自身の傷口を売り出しているんだけれども、同じ体験者からしたら保護欲をかきたてるあざとさが気味が悪くてしかたがいないエッセイとか。本やら動画やらで儲けるために、わざとそのキャラの皮をかぶっている感じの。弱者の代表者ぶってるけれど、じつは本人は他の弱者を蹴落として普通の、高邁な人に近づきたい、そんな功名心がありありとわかるものだとか。
もちろん、無駄な本を読まないためにあらかじめハードルを高くしておくのは悪いことではありません。時間は有限、人生は短いのです。でも、急がば回れ。漢字の書き取りや計算の速さ正確さを求めるのと同じで、自分自身が地道に時間をかけて学習しなければ得られないものだってあるのです。
どんな本を選んでいいのかわからないときは、自分の経験値が少ないのです。
本を手当たり次第に読んでおくと、書影のデザインを見たときやタイトルのつけかた、目次の章の並びなどで、あらかじめの予想がつく。数頁読めばじっくり読めばいい本、将来的に買えばいい本か、なんとなく察しがつくでしょう。つまらない本だと思えば、飛ばし読みするか、途中で断念するかすればいい。
話題にならなかった地味本を読んでおくことにもそれなりの意義があります。
漫画や小説ではよくあるのですが、人気作家や若手の売り出し作家の新作がもてはやされたりする。でもそれは、過去のあまり日の当たらなかったテーマだけれども当時としては革新的だったものを題材とした既存作を参考にしたものだとわかる。そのときに、あれは過去作の何某(なにがし)がその分野の嚆矢だったのだと知っていることは、無駄に斬新さやら、作者のオリジナリティやらを標榜した本にぬか喜びしないために必要なことなのです。新規奇天烈を謳ったものは、たいがいすぐ古いとされてしまうのですから。
ちなみにハズレ本に出くわさない最良の方法は、自分の憧れの作家の紹介する本を読んでみることです。
上記のレヴューを参考にするな、と半ば矛盾するようですけれども。ネット上の消費者としての善悪の意見と、プロの作家の読み解き方とは趣が異なります。
作家さんの中には本のガイド本を書かれている方も多いですし、依頼で本の書評を書かれる方も多い。新聞の読書委員をされて書評を書かれてる方には味のある紹介をする方もいて、紹介本のみならず、その人の著作のファンになってしまうぐらいの上手もいますよね。本をこき下ろさずに、コンパクトにまとめて、自分なりの意見を添えて華をもたせる。作者へのこびへつらいがない、気持ちの良さがあるんです。ああ、このレビュアーはこの本を踏み台にして野心的な新作を発表するんだろうな、とニヤリとしてしまいます。
逆に言えば、ほんらいは読んでいいものをくだらないレビューでしか紹介できない作家は、その著作ごと関わらなくていいのだともわかるわけです。
ここでの面白いかそうでないかの基準はもちろん個々の読者の意見にもよりけりです。
良書はいい読者からつくられる。良書は将来のいい作家を生む。いい書き手はもともとはよい読み手だったことが多いからです。
(2021.8.23)
読書の秋だからといって、本が好きだと思うなよ(目次)
本が売れないという叫びがある。しかし、本は買いたくないという抵抗勢力もある。
読者と著者とは、いつも平行線です。悲しいですね。