陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「さくらんぼキッスは尊い」(十三)

2020-07-25 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

「千華音ちゃん、あのね。わたしのこれまでのわがままなお願い、聞いてくれてありがとね」

ううん、わがままなんて、そんな…。千華音が首を振る。
そんな今更、お別れみたいなことを切り出すなんて。これまでのお付き合いの想い出をまとめて、片付けるような、そんな言葉を言わないで。私たちにはまだあるの、まだひと月はあるの。想い出はまだ生まれて、花ひらいて、また続いていくの。なのに――悲哀の帯びた目つきをしてしまう千華音。媛子は、先ほどから握りしめた巻貝を見せてくれたのだった。

「巻貝ってね、種にもよるけれど、ほとんどが右巻きなんだよ。左右が鏡像でどちらも等しくあるって思われていたけれど、そうじゃないんだって。でね、千華音ちゃんがくれたのは、左巻きの貝。すごく珍しいものなんだよ」
「そうなの…? 媛子の髪の色に似てるから、きれいだと思って、拾っただけで…」
「千華音ちゃんは、もしわたしが神さまの供物になって昇天しても、いつかどこかでわたしを見つけてくれるんだね」

千華音が口もとを抑える。ああ、もう、それ以上、言わないで。自分で自分の終わることなんて口にしないで。私はそれをしたくはない。私はただ…。顔を手のひらで覆ってしまった千華音の耳に、固く冷たいエナメル質のものが触れる。媛子が貝殻の外唇を、千華音の耳へ寄せていた。

「貝殻ってね、耳に当てると懐かしい音がするの。たぶんね、言えなかった言葉を封じておくためのおまじないの道具なんだよ。ほら、聞こえない…?」

――どんな運命にだって、神さまにだって負けっこない。ふたりのこころは繋がっているから。今度うまれかわったら、ただ、おなじものを笑って、泣いて、ありふれた時間を過ごすだけのふたりでいたいよ――。

その声は媛子の声に似てはいたが、媛子の唇から発せられたものではなかった。
なぜならば、媛子はいま、千華音の背中に顔をおしつけたままだったからだった。
ああ、言ってしまいたい! 打ち明けてしまいたい! わたしは千華音ちゃんをいつか、誰もいない砂浜に打ち捨てられた貝殻みたいに独りぼっちにしてしまうから。あなたの願いを奪い、あなたの栄光を損ない、あなたを生まれ故郷から隔てさせ、この雑多な空気の街の中へ置いてけぼりにしちゃうから。だから、だからね、イマドキのきれいな女の子になってほしかったの。血豆をつくって痣をつくって泥にまみれ殺気立ちながら剣しか握らないような日々じゃなくて、スイーツを食べて、お化粧もして、学校の進路になやんだりして、さざめき笑って、歩くと誰もが振り向くような、そんな人生の輝きを謳歌している、素敵な女の子に、なってほしかったの。だから…わたしは、もう決めたんだ。わたしだけができることの精いっぱいをしようって。千華音ちゃんに、とても残酷で、悲しくて、けれども、幸せになれる贈り物をしようって。

「だからね、最後にこんなお願いをしたいの。大切なひとになってほしいから、…もっと」
「媛子…いいのね」
「千華音ちゃんとなら、したいよ。わたしはあなたの貝になりたい」

お付き合いのお作法、もっと深く進んでもいい。だって、監視役はもう見て見ぬふりだもの。だったら、もっと見せつけてあげたっていい。
電気を消した暗闇の中で、ふたりの影がひとつになる。唇がゆっくりと結ばれ、もつれあう音が、静かな部屋にひびいた。夜風がひゅう、と火照った肌をぬるめて、しばし口づけを休んで、互いに微笑んでしまう。もうすこし温めあいたかった。

千華音が媛子の腰を抱き寄せて、奥の寝室へと滑り込む。
後ろ手に錠をおろしてベッドへ運ぼうかという段になって、千華音はドアを背に押しつけられた。怪我をしていないほうの手のひらを絡めたまま、媛子からキスを迫った。しゃがみこんで、崇高な女神を慕うかのごとく、うっとりと甘く上目遣いで眺めて。着物の裾を割って手を滑りこませて、千華音の白く美しい太ももにも唇を寄せる。そして――…。

千華音も媛子も知らない。リビングルームの床に転がっていた媛子のスマホ。
その画面に映し出されていたのは――さくらんぼの粒を両端にくわえたまま、瞳をこちらへ向けた少女たちの美しい横顔。儀式の御観留役たる者が盗撮した、ふたりの秘密だった。島の大蛇神さまに仕える忠実な「彼」はなぜ、それを贈ったのだろう。はたして、その真意は――…。

皇月家と日乃宮家の御神巫女のその口約束は、やがて現実のものとなろう。
ふたりに、いっときの寂寥感と惨めたらしい後悔と、そして愛に突き動かされた行動力を起こして。少女たちは生まれ故郷にあるお仕着せな言い伝えをひっくり返し、運命を乗り越え、やがて世界を変える。巨大ロボットのような武力がなくとも、天使のような人智を超えた存在にならなくとも、魔力のような能力者ではなくとも、彼女たちはそこで運命をひっくり返す。「一緒に生きていたい」――ただそれだけの願いと意思の力で。


姫神の巫女――、それは神代の昔から輪廻をくりかえす太陽と月の巫女のたどりついた最新世界。
千華音と媛子との哀しくもいとおしい物語は、まだはじまったばかりである…――。


【了】


【目次】姫神の巫女二次創作小説「さくらんぼキッスは尊い」




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