人生には乗りたくない車があります。
パトカー、霊柩車、そして救急車。じつは、私、この三つ、すでに経験済みです。なお、パトカーは子どもの頃、迷子になって拾われただけ。霊柩車は喪主だったため、というオチがつきます。で、今回はなぜ救急車に至ったかという話をしましょう。
大学病院が思いのほかキレイで図書館もあることに、ウキウキ気分だった私。
検査第一回目の当日は、はりきって始発二番目のJRに乗り込み、前回同様、神社に健康祈願をしてから。
内臓に内視鏡カメラを通す検査。前日午後8時から絶食。
けれども、朝食をつくらなくていいやと思えば、あんがい気にならない。血液検査をして、CT検査もして、喉へ麻酔をかけてなんだか意識朦朧。ぼんやりした頃に検査が終わっていました。この喉の麻酔、よく効いていたのか、前回の街場の病院ほど痛くはなくて。
検査後、しばらく横になってもいいよと言われたものの。
さほど眠くもなかったので、すぐに出発して、会計を待つ間に軽食をとる。そのあと、駅前に移動して本屋でインボイス関連の書籍を漁っていたら――気分が悪くなって、救急車で運ばれてしまいました。いやあ、まいった!
けっきょく、元の病院へ逆戻り。
再度の血液検査や点滴をしてもらい、車椅子で運んでもらって時間外受付近くの処置室で仮眠。身内に迎えにきてもらって帰宅できたのが午後8時近く。寄り道せずに帰宅していれば午後3時には着いたはず。
担当医師いわく、麻酔の切れないうちに食事したのがよくなかったとか、麻酔がきつすぎたのかもとか。ただ、その後、内臓出血が疑われる徴候はなかったのでひと安心。しかし、一時は血圧もかなり下がって、翌日欠勤せねばならないかもと、救急隊員の方に職場に連絡をしてもらっていたぐらいでした。複数回の点滴と血液検査で、左右の腕とか胸とか絆創膏だらけ。
ほんらいは次回の検査で終わるところ、夏のあいだに泊まり込みの検査入院を行うことなりました。もちろん生体検査の入院もはじめて。
今回の時点で、病名が正式につきましたが。健康寿命としてはやや黄信号かも。夏休み中に旅行に行こうとか、バイトしてみようとか計画中だったけれども、水の泡。
今回倒れた件では、担当医者はじめ病院スタッフの方に面倒をみてもらい。
さらにわざわざ迎えに来てくれた身内もありがたく感じました。倒れた書店でも通りがかりの女性に救急車がくるまで介抱してもらえたり。もし、誰もいないような夜で外だったりしたら、どうなっていたいんでしょうね、私は。
検査入院はホテルに泊まるような感覚で受けようと思っていますが。
しかし、万が一のことを考えると、いろいろなことが頭をよぎります。個人事業上の今後とか、会社の業務のこととか。
病気になってはじめて、思ったことは――一日いちにちをもっと大事に生きよう。自分と関わる全ての人と会うのが今日が最後だと思って負の感情を抱いたりしないようにしよう。食事ができたり、手足が動かせたり、読みたいものが自由に読める時間はとても贅沢なのだということで、日常に感謝しなくちゃ、と。
うかつに、これから一人で気ままに外出もできなくなりました。
食事制限もあるかもしれませんね。この病気、調べてみたらかなり稀少性の高いものらしいので、まあ大学病院の実験材料にされている気がしなくもないですが。
…というわけなので。
ブログの記事の在庫もなるべく、健康状態がいいうちにアップしていきたいと目論見中です。
(2023/07/07)