町内の田んぼでも早稲の刈り取りです。
この石権現(いしなごんげ)って何です?
私の所では子供の頃から石の事を「いしな」と言い、小石は「いしなんこ」と言っていた。
町内の歴史研究家がまとめた物によると
市杵嶋社
通 稱 石ナ権現とか、番場の神様と崇拝されてきた
祭 神 市杵島姫命
鎮座地 赤浦新リノ38番地 面積13歩
祭 日 8月18日 於 番場
由緒
明治25年頃迄、通称石ナ権現山(A氏所有山、6ノ39番地)に鎮座しておられたが、白山神社より6町程(約600m)彦三谷内から、向山の峰道を行った峽にて毎年お祭りを行なって来たが、天候とか距離的において不便を感じ、現在地の番場へ御遷座されたとの事である。
頃は明治26年頃で、当時の区長、区長代理等が指揮をとり、若い連中が丸太棒を4人で担ぎ、交替で担いで運ばれたとの事である。
通行路は右山の峽いから一旦向山の峰道へ上り、それから大谷道へ下り、八木道を通り、浜道へ出て番場の現在の鎮座地まで運ばれたとの事である。
傅説
古老の話によれば、或る晩、里人の霊夢に権現様が現れ、「汝よ 我を石ナ権現山から 番場の中洲へ 速やかに遷し給え」との事で、夢のお告げを受けた里人は、早速、区長にお知らせしたところ、同氏は神主と相談し、次いで在所の寄合いをした結果、番場へ遷座申し上げることになった相である。
右御遷座に際し、白山神社に於いてその奉告祭を取り行ったとの事である。
祭日について
御遷座当時より10月18日を祭日と定め、毎年10月18日にお祭りを執り行って来たものであるが、この祭りを二度祭りと称していた。
ところが昭和6年、白山神社が村社に昇格し、11月26日に新嘗祭を執行されることになってから、10月18日の石ナ権現さんのお祭りを白山神社において新嘗祭と同時に併せて執行されることとなり、終戦時迄続いたが、終戦後社格廃止となりたるも、新嘗祭は勤労感謝祭と名称は変わったが、11月26日(俗称大根まつりと言って11月18日にいつの日からか変更されている)にお祭りは行なわれている。
一方、石ナ権現の祭事は、8月18日に番場で以前通り執行されることになり、現在迄続いている。
8月18日に定めたのは、当時赤浦壮年会が在所の娯楽として、子供の相撲大会をしようとの話がもち上り、一層勧進相撲と云うことにして神主を招き、お祭りをして貰ったらと話が進み、それでは石ナ権現のお祭りの後で子供相撲をと云うことになり、その日取りを8月18日と定めたのに始まり、その慣習が今日に続いているのである。
A氏・区長・区長代理の個人名も記されていますが、お名前は控えさせてもらいました。