災害(危機)利用型資本主義
3.11東日本大震災以降の災害瓦礫広域処理の協力要請・増税・年金カット・TPP参加は、典型的な災害(危機利用型)資本主義の表れだと思います。
「災害(危機)利用型資本主義」と言う概念があります。大惨事のどさくさに紛れその状況に付け込んで展開される市場原理主義の貪欲な行動様式をショック・ドクトリンと批判したカナダの女性ジャーナリストであるナオミ・クラインが、米国の新自由主義の展開戦略を詳細に検討して名づけた概念です。ソ連崩壊、天安門事件、9・11とイラク戦争、スマトラの津波、ハリケーン・カトリーナなどを契機として、アメリ カ主導で新自由主義政策が導入されてきたプロセスを「災害資本主義」というキーワードを用いて検討したものです。大きな事件・自然災害・戦争などを利用して新自由主義的政策を一気に進める手法を、「災害(利用型)資本主義」と名づけました。
9・11のショックを利用して、アフガニスタン・イラクを侵略していった過程などは、その典型と考えられます。そして、今3.11以降の日本社会を取り巻く状況を具に検討してみれば、些か戦慄を禁じ得ない想いを感じます。
ナオミ・クラインによれば1970年代の、チリのアジェンデ政権を政治陰謀で転覆させたピノチェットによるクーデターと独裁、そして経済の新自由主義化(1980年代)を災害資本主義の起源だと考えています。
さらに彼女(ナオミ・クライン)は冷戦崩壊の直後から、中国やロシアに急激に資本主義展開がなされた手法こそがこの災害資本主義の手法に他ならないと考えたのです。
しかしこの概念の検証は、ベルリンの壁崩壊以降の1990年代からの世界の政治構造の変化を把握しての論議が必要だと思います。例えば、中国の国家資本主義への路線変更、ロシアの国際政策の路線転換などを新自由主義の変質とともに検証する視点が必要だと思います。捉え方は様々です。様々な歴史概念、政治的概念を視座に捉えた上での検討が必要だと思います。
そのメルクマールになる歴史的な転換点は三段階あり、それらとはベルリンの壁崩壊以降の冷戦構造の終了、9.11、そして、3.11になるのではと思います。
特に私たちに直接的に関係している展開が3・11以降の展開です。つまり、tomodachi作戦と言う美名の下に周到に準備されたアメリカ主導の災害(危機)利用型資本主義政策を導入することで日本の社会構造を破壊する方向の政策が開始されていると私は思っています。
それは社会の軍事化と経済の市場化と言う言葉で表せると思います。
災害資本主義の特徴は、社会的な軍事化と市場原理信奉の経済の民営化・市場化です。一時的に公務員バッシングの形を取りますが、バッシングを受けない隠された公務員の多数派の自衛隊=軍隊は寧ろ市民権を完全に得ています。
文民公務員バッシングと軍人公務員の尊重の好一対の形を取って展開されているのが現在の公務員改革の隠された姿だと思います。
今回の震災で信頼を回復したものが2つあると周辺の国々から警戒されている日本人の意識の変化が有ります。日本人に向けて行ったある統計結果はその傾向を指摘していましす。その2つとは自衛隊と皇室です。
緊急時の救援活動によって自衛隊への無条件の信頼が醸成され、既成政党への不信が募ったこともあって、
若い人も含めて天皇への信頼感が高まっているという見解です。
特に10代など若年層を中心に自衛隊に対する信頼感・親近感は増大しているのだそうです。
避難所などでのテレビのインタビューで「大きくなったら、自衛隊に入って人を助けたい」と極めて純粋、素朴に何の疑問もなく語る子どもの姿が映し出されています。
しかし、本来自衛隊は災害支援専門の組織ではなくて、別の任務つまり軍事的機能こそが自衛隊の本来的な任務でありまたそれが専門の国家組織だとの見解が意図的に等閑視される報道が専らなのです。
つまり、文民公務員バッシングと軌を一つにした報道姿勢の裏側を問わないのです。
自衛隊の任務は武力の行使にあるので災害救援・支援専門の組織のイメージの刷り込みは、アメリカのtomodachi作戦と同様に効果的に成功したと思います。
つまり、今回の災害が自衛隊の格好のアピールになったこと、武装組織の恐持てイメージを親しみのあるソフトなイメージに変えたことは確かな事実です。
災害瓦礫広域処理の全国的協力要請・増税・年金カット・TPPの加速などは、3・11後の災害資本主義の典型的な表れだと思います。
政府による放射能の除染活動と言う名前の移染活動が大規模に取り組まれようとしていますが、詳細に検討してみるとこれは大手ゼネコンに利益をもたらすだけの公共事業の新たな再編成の展開に繋がっていくのは明らかです。
例えば阪神淡路大震災の復興のケースを振り返って考えて見ます。
果して本当に神戸は復興したのでしょうか?
神戸の「復興」とは、公共事業による『慣れ親しまれて来た好き神戸』の破壊・消滅に他ならないものではなかったのではないでしょうか?
ゼネコンと行政によるブルドーザ効果は、道路を通すために破壊された家々をさらに押し潰し、すでに壊されていたコミュニティを根底から破壊・消滅させた一面があるのです。
いい例が、使い物にならない「神戸空港」です。神戸の開発行政にとって震災は、既存の開発計画を一気に推し進めるまたとないチャンスとなったのです。
同じ様な地方行政による災害に強い復興開発と言う名前の災害資本主義の地域破壊が宮城県の村井県政でまさに展開されています。村井知事の経歴を考えるとその正体が判ると思います。そして、現在の日本国の首相の政策に見えて来るものを検討してみるとこの論考の意味が理解出来ると思います。
私たち、国民は復興の名の下に何が意図され何が行われるかを考えて見届け、異議の声を上げる必要があるのです。
東北地方の建設業界や地元経済界は、「巨大公共事業としての復興」に、生き残りを賭けていますが神戸の時がそうであったように、 今回も地元にお金が落ちるのではなく、市場化=自由競争の名の下に、地元企業を押しのけて東京のゼネコンが復興事業をもぎ取り、地元にはお涙のおこぼれ程度にしか、お金は落ちてこない傾向になっています。
今回の震災は、市場原理主義者の新自由主義路線の展開という文脈で言えば、スマトラ地震震災の復興と同じく震災が起こった時点から意図的に用意周到に狙われていたものであり、災害は彼ら新自由主義者の金儲けの機会として最大限に利用され、またされて行くのだと思います。
貨幣の果たす役割を信奉するマネタリストであり、シカゴ学派の領袖である、ミルトン・フリードマンは貨幣数量説を展開して次の様に自説を展開しています。
「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」
「市場改革を実現させるには、天災・人災を問わず『大災害』が不可欠である」と書いています。
すなわち災害資本主義は、自由主義の名の下に国家が経済をコントロールする巨大なシステムで、アダム・スミスの古き資本主義の神の見えざる手が危機を救うと言うレッセフェール(自由放任)やケインズの危機を救うための金融政策・財政介入、福祉政策の組み合わせによる修正資本主義とは 全く異質な資本主義の姿なのです。他の地域、他の民族の不幸に付け込んで自己の裕かさへの途に利用する火事場泥棒がその正体だと私は思っています。別名は強欲資本主義なのです。
かつては資本主義的な過度の競争や景気の浮沈の激しさに対する防波堤として様々な経済政策が市民生活を守るものとして登場して来ましたが……シカゴ学派の新自由主義は剥き出しの欲望を正当化して欲望のideologyが人間を支配してもそれが市場原理の要請ならば正当化されると言う政治イデオロギーであると同時に経済戦略なのです。
このように、災害(危機)利用資本主義は他者の不幸を食い物にする邪悪で危険きわまりない人間の尊厳を踏みにじる優生思想の行き着く姿であると私は考えています
★注記 ★
*チリ・アジェンデ政権*チリ・クーデター
チリ・クーデター(スペイン語: Golpe de Estado Chileno)とは、1973年9月11日に、チリの首都サンティアゴ・デ・チレで発生したクーデターである。世界で初めて自由選挙によって合法的に選出された社会主義政権を、軍部が武力で覆した事件として有名である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/サルバドール・アジェンデ
冷戦の最中の1970年、サルバドール・アジェンデ(Salvador Allende)博士を指導者とする社会主義政党の統一戦線である人民連合(Unidad Popular)は自由選挙により政権を獲得し、アジェンデは大統領に就任した。しかし、アジェンデ政権の行う社会主義的な政策に富裕層や軍部は反発し、ホワイトハウスに支援された反政府勢力による暗殺事件などが頻発した。そして、遂には1973年にアウグスト・ピノチェト(Augusto Pinochet)将軍らの軍部がクーデターを起こした。
首都のサンティアゴは瞬く間に制圧され、僅かな兵と共にモネダ宮殿に篭城したアジェンデは最後のラジオ演説を行った後、銃撃の末に自殺した。クーデター後にピノチェトは「アジェンデは自殺した」と公式に発言したが、実際にはモネダ宮殿ごとダイナマイトで爆破されたため、当時は誰も遺体を確認できなかった。モネダ宮殿に籠城したもとでのアジェンデ最後の演説では、徹底抗戦の姿勢が示されていた。このため一時期反乱軍によって殺害されたのではないかとの意見もあった。2011年5月23日、当局はアジェンデの遺体を墓から掘り返し、再度検視を行うと発表、これにより死亡の状況が明らかになると期待された。同年7月19日検視が終了し、自殺であるとの結果が発表された。
このクーデター以降、軍事政府評議会による軍事政権の独裁政治が始まり、労働組合員や学生、芸術家など左翼と見られた人物の多くが監禁、拷問、殺害された。軍事政権は自国を「社会主義政権から脱した唯一の国」と自賛したが、1989年の国民投票により、冷戦体制とほぼ同時に崩壊した。
尚、一般に「9・11」というと2001年のアメリカ同時多発テロ事件を指す事が多いが、ラテンアメリカでは1973年のチリ・クーデターを指す事も多い。
WIKIPEDIAより抜粋
個人的な話になりますが……私はこの事件以降アメリカの掲げる正義を全く信じていないのです。
また、昨年2011年の夏にアジェンデの遺体の検死報告が38年の歳月を越えて発表されたのですがこれも不思議な因縁を感じている私の今日この頃です。
2011年9月16日の私の記事
http://blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/52368760.html
転載元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/52869923.html
3.11東日本大震災以降の災害瓦礫広域処理の協力要請・増税・年金カット・TPP参加は、典型的な災害(危機利用型)資本主義の表れだと思います。
「災害(危機)利用型資本主義」と言う概念があります。大惨事のどさくさに紛れその状況に付け込んで展開される市場原理主義の貪欲な行動様式をショック・ドクトリンと批判したカナダの女性ジャーナリストであるナオミ・クラインが、米国の新自由主義の展開戦略を詳細に検討して名づけた概念です。ソ連崩壊、天安門事件、9・11とイラク戦争、スマトラの津波、ハリケーン・カトリーナなどを契機として、アメリ カ主導で新自由主義政策が導入されてきたプロセスを「災害資本主義」というキーワードを用いて検討したものです。大きな事件・自然災害・戦争などを利用して新自由主義的政策を一気に進める手法を、「災害(利用型)資本主義」と名づけました。
9・11のショックを利用して、アフガニスタン・イラクを侵略していった過程などは、その典型と考えられます。そして、今3.11以降の日本社会を取り巻く状況を具に検討してみれば、些か戦慄を禁じ得ない想いを感じます。
ナオミ・クラインによれば1970年代の、チリのアジェンデ政権を政治陰謀で転覆させたピノチェットによるクーデターと独裁、そして経済の新自由主義化(1980年代)を災害資本主義の起源だと考えています。
さらに彼女(ナオミ・クライン)は冷戦崩壊の直後から、中国やロシアに急激に資本主義展開がなされた手法こそがこの災害資本主義の手法に他ならないと考えたのです。
しかしこの概念の検証は、ベルリンの壁崩壊以降の1990年代からの世界の政治構造の変化を把握しての論議が必要だと思います。例えば、中国の国家資本主義への路線変更、ロシアの国際政策の路線転換などを新自由主義の変質とともに検証する視点が必要だと思います。捉え方は様々です。様々な歴史概念、政治的概念を視座に捉えた上での検討が必要だと思います。
そのメルクマールになる歴史的な転換点は三段階あり、それらとはベルリンの壁崩壊以降の冷戦構造の終了、9.11、そして、3.11になるのではと思います。
特に私たちに直接的に関係している展開が3・11以降の展開です。つまり、tomodachi作戦と言う美名の下に周到に準備されたアメリカ主導の災害(危機)利用型資本主義政策を導入することで日本の社会構造を破壊する方向の政策が開始されていると私は思っています。
それは社会の軍事化と経済の市場化と言う言葉で表せると思います。
災害資本主義の特徴は、社会的な軍事化と市場原理信奉の経済の民営化・市場化です。一時的に公務員バッシングの形を取りますが、バッシングを受けない隠された公務員の多数派の自衛隊=軍隊は寧ろ市民権を完全に得ています。
文民公務員バッシングと軍人公務員の尊重の好一対の形を取って展開されているのが現在の公務員改革の隠された姿だと思います。
今回の震災で信頼を回復したものが2つあると周辺の国々から警戒されている日本人の意識の変化が有ります。日本人に向けて行ったある統計結果はその傾向を指摘していましす。その2つとは自衛隊と皇室です。
緊急時の救援活動によって自衛隊への無条件の信頼が醸成され、既成政党への不信が募ったこともあって、
若い人も含めて天皇への信頼感が高まっているという見解です。
特に10代など若年層を中心に自衛隊に対する信頼感・親近感は増大しているのだそうです。
避難所などでのテレビのインタビューで「大きくなったら、自衛隊に入って人を助けたい」と極めて純粋、素朴に何の疑問もなく語る子どもの姿が映し出されています。
しかし、本来自衛隊は災害支援専門の組織ではなくて、別の任務つまり軍事的機能こそが自衛隊の本来的な任務でありまたそれが専門の国家組織だとの見解が意図的に等閑視される報道が専らなのです。
つまり、文民公務員バッシングと軌を一つにした報道姿勢の裏側を問わないのです。
自衛隊の任務は武力の行使にあるので災害救援・支援専門の組織のイメージの刷り込みは、アメリカのtomodachi作戦と同様に効果的に成功したと思います。
つまり、今回の災害が自衛隊の格好のアピールになったこと、武装組織の恐持てイメージを親しみのあるソフトなイメージに変えたことは確かな事実です。
災害瓦礫広域処理の全国的協力要請・増税・年金カット・TPPの加速などは、3・11後の災害資本主義の典型的な表れだと思います。
政府による放射能の除染活動と言う名前の移染活動が大規模に取り組まれようとしていますが、詳細に検討してみるとこれは大手ゼネコンに利益をもたらすだけの公共事業の新たな再編成の展開に繋がっていくのは明らかです。
例えば阪神淡路大震災の復興のケースを振り返って考えて見ます。
果して本当に神戸は復興したのでしょうか?
神戸の「復興」とは、公共事業による『慣れ親しまれて来た好き神戸』の破壊・消滅に他ならないものではなかったのではないでしょうか?
ゼネコンと行政によるブルドーザ効果は、道路を通すために破壊された家々をさらに押し潰し、すでに壊されていたコミュニティを根底から破壊・消滅させた一面があるのです。
いい例が、使い物にならない「神戸空港」です。神戸の開発行政にとって震災は、既存の開発計画を一気に推し進めるまたとないチャンスとなったのです。
同じ様な地方行政による災害に強い復興開発と言う名前の災害資本主義の地域破壊が宮城県の村井県政でまさに展開されています。村井知事の経歴を考えるとその正体が判ると思います。そして、現在の日本国の首相の政策に見えて来るものを検討してみるとこの論考の意味が理解出来ると思います。
私たち、国民は復興の名の下に何が意図され何が行われるかを考えて見届け、異議の声を上げる必要があるのです。
東北地方の建設業界や地元経済界は、「巨大公共事業としての復興」に、生き残りを賭けていますが神戸の時がそうであったように、 今回も地元にお金が落ちるのではなく、市場化=自由競争の名の下に、地元企業を押しのけて東京のゼネコンが復興事業をもぎ取り、地元にはお涙のおこぼれ程度にしか、お金は落ちてこない傾向になっています。
今回の震災は、市場原理主義者の新自由主義路線の展開という文脈で言えば、スマトラ地震震災の復興と同じく震災が起こった時点から意図的に用意周到に狙われていたものであり、災害は彼ら新自由主義者の金儲けの機会として最大限に利用され、またされて行くのだと思います。
貨幣の果たす役割を信奉するマネタリストであり、シカゴ学派の領袖である、ミルトン・フリードマンは貨幣数量説を展開して次の様に自説を展開しています。
「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」
「市場改革を実現させるには、天災・人災を問わず『大災害』が不可欠である」と書いています。
すなわち災害資本主義は、自由主義の名の下に国家が経済をコントロールする巨大なシステムで、アダム・スミスの古き資本主義の神の見えざる手が危機を救うと言うレッセフェール(自由放任)やケインズの危機を救うための金融政策・財政介入、福祉政策の組み合わせによる修正資本主義とは 全く異質な資本主義の姿なのです。他の地域、他の民族の不幸に付け込んで自己の裕かさへの途に利用する火事場泥棒がその正体だと私は思っています。別名は強欲資本主義なのです。
かつては資本主義的な過度の競争や景気の浮沈の激しさに対する防波堤として様々な経済政策が市民生活を守るものとして登場して来ましたが……シカゴ学派の新自由主義は剥き出しの欲望を正当化して欲望のideologyが人間を支配してもそれが市場原理の要請ならば正当化されると言う政治イデオロギーであると同時に経済戦略なのです。
このように、災害(危機)利用資本主義は他者の不幸を食い物にする邪悪で危険きわまりない人間の尊厳を踏みにじる優生思想の行き着く姿であると私は考えています
★注記 ★
*チリ・アジェンデ政権*チリ・クーデター
チリ・クーデター(スペイン語: Golpe de Estado Chileno)とは、1973年9月11日に、チリの首都サンティアゴ・デ・チレで発生したクーデターである。世界で初めて自由選挙によって合法的に選出された社会主義政権を、軍部が武力で覆した事件として有名である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/サルバドール・アジェンデ
冷戦の最中の1970年、サルバドール・アジェンデ(Salvador Allende)博士を指導者とする社会主義政党の統一戦線である人民連合(Unidad Popular)は自由選挙により政権を獲得し、アジェンデは大統領に就任した。しかし、アジェンデ政権の行う社会主義的な政策に富裕層や軍部は反発し、ホワイトハウスに支援された反政府勢力による暗殺事件などが頻発した。そして、遂には1973年にアウグスト・ピノチェト(Augusto Pinochet)将軍らの軍部がクーデターを起こした。
首都のサンティアゴは瞬く間に制圧され、僅かな兵と共にモネダ宮殿に篭城したアジェンデは最後のラジオ演説を行った後、銃撃の末に自殺した。クーデター後にピノチェトは「アジェンデは自殺した」と公式に発言したが、実際にはモネダ宮殿ごとダイナマイトで爆破されたため、当時は誰も遺体を確認できなかった。モネダ宮殿に籠城したもとでのアジェンデ最後の演説では、徹底抗戦の姿勢が示されていた。このため一時期反乱軍によって殺害されたのではないかとの意見もあった。2011年5月23日、当局はアジェンデの遺体を墓から掘り返し、再度検視を行うと発表、これにより死亡の状況が明らかになると期待された。同年7月19日検視が終了し、自殺であるとの結果が発表された。
このクーデター以降、軍事政府評議会による軍事政権の独裁政治が始まり、労働組合員や学生、芸術家など左翼と見られた人物の多くが監禁、拷問、殺害された。軍事政権は自国を「社会主義政権から脱した唯一の国」と自賛したが、1989年の国民投票により、冷戦体制とほぼ同時に崩壊した。
尚、一般に「9・11」というと2001年のアメリカ同時多発テロ事件を指す事が多いが、ラテンアメリカでは1973年のチリ・クーデターを指す事も多い。
WIKIPEDIAより抜粋
個人的な話になりますが……私はこの事件以降アメリカの掲げる正義を全く信じていないのです。
また、昨年2011年の夏にアジェンデの遺体の検死報告が38年の歳月を越えて発表されたのですがこれも不思議な因縁を感じている私の今日この頃です。
2011年9月16日の私の記事
http://blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/52368760.html
転載元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/52869923.html
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