週末専業主夫は見た!たま~に妻も見た!

一家4人社宅暮らし 週末専業主夫とその妻の徒然に書き綴るブログ 

3人の18番

2006年11月08日 | スポーツ
 昭和58年夏、彼は間違いなく我々のヒーローだった。隣町出身で地元大阪PL学園、しかも1年生で全国制覇を成し遂げた背番号11番桑田真澄、普通、エースナンバーと言えば、1番だが当時私のソフトボールチームの先輩も彼に憧れ11番を着けていた。風呂屋に友達と出掛けたときも、それまでは31番(掛布選手)の下駄箱を友達と取り合ったが、その夏は、11番を取り合った。彼の家庭環境、PLに入学までのエピソードなど、地元では話題となっていて身近な存在だった。日生球場で彼を初めて見たときは驚いた、小柄な体からは想像できない、速い球を投げていた。
もうひとり驚かされたのが清原でまだ14番をつけていたが 場外ホームランを森之宮の駅まで届くのではと思うほどの打球を打っていた。20年以上の時が流れ、清原さんはオリックスへ、長年エースナンバー18を背負った桑田投手も巨人軍を退団しメジャーリーグに挑戦することが新聞を賑わせている。最後の野球人生をどうするか自ら決断しようとしている・

 桑田投手が甲子園で輝いていたころ まだボールも投げられなかったであろう、もう一人の18番は松阪大輔投手、甲子園のヒーロー荒木大輔にちなんで付けられた名前のとおり、大活躍されている。たまたま友達の弟が甲子園で彼と対戦し、彼から送りバンドをしたのだが、あまりの球の速さにドッチボールぐらいの大きさに見えた話を聞いた。その年、PLとの延長17回、決勝でノーヒットノーランとその才能と努力で高校日本一となった。その後プロに入り活躍し、今年のWBCでは日本のエースとして大活躍、晴れて今年メジャー入りが騒がれている。一番良い時期にメジャーに行くので、今後の活躍に期待している。

 そんな世代の違う二人の新聞記事を眺め、もの思いにふけて嫁さんと二人のことを話ししていると、嫁さんがとなりから「もう一人おるで」とニャっと笑った。その新聞をじっくり見ると、”駒大苫小牧 田中投手 楽天入団 背番号18番”もうひとりの18番はプロのスタートラインに立ったばかりである。そんな3人の18番を今後も注目していきたい。 



 
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