週末専業主夫は見た!たま~に妻も見た!

一家4人社宅暮らし 週末専業主夫とその妻の徒然に書き綴るブログ 

甲子園

2011年08月20日 | ひとりごと
32年前夏の甲子園、星稜高校対簑島高校の試合で星稜高校の投手として
延長18回を投げて惜しくも敗れた星稜のエース堅田さんは
今年も高校野球の審判としてグランドに立っておられた。

星稜対簑島 当時小学生だった私はあの試合を鮮明に覚えている
というのも、そのころ住んでいた団地で隣にいた方のお孫さんが
簑島の選手だったからか、その後もTVに何度も取り上げられられた
からか、とにかくよく覚えている。

先日もその試合を振り返る番組があったのでもちろんチェックしたが
またいろんな物語があったことを知りました。

歴史に残る名勝負、3-2星稜リードで迎えた延長16回裏ツーアウト 
簑島のバッターが一塁にファウルフライを打ち上げた、試合終了かと誰もが思った瞬間
星稜の一塁手が、その年から敷かれたファウルゾーンの人工芝に足を引っ掛け転倒・・・
命拾いした簑島はなんとホームランで同点に追いつき、接戦の末延長
18回サヨナラで星稜が敗れた。
選手の引き上げる通路で、主審を務めた永野さんは、敗戦投手の
堅田さんを呼び止め試合で使ったボールを労いの言葉をかけ、堅田さんに手渡した。
堅田さんは今でもそのボールを一生の宝物として大事にされていました。

物語は更に遡り、今から58年前、昭和28年夏の甲子園決勝戦
あの伝説の星稜対簑島の主審を務めた永野さんは、土佐高校の捕手
としてグランドにいた、9回表ツーアウトあと一人で土佐高校が優勝という場面で
永野さんがファウルチップを落球、そこから松山商業が同点に持ち込み
延長13回に決勝点を入れられ敗れてしまった。
永野さんのその経験から多くのことを学び、ご自身のチームとだぶったのか
敗者である星稜の堅田投手へ労いの言葉と共にボールを渡したという。

そんな多くの物語や人の気持ちが高校野球にはたくさん存在するな~
なんて思いながら、初めてゴルフでハーフ40台で回れそうだったのに
最後18番でOB&大たたき
勝つと思うな思えば負け~よ~と♪、美空ひばりをFM802にリクエスト
したい気持ちで車を飛ばしながら考えてました。life goes on!
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