門田さんの思い出を書きましが
自分の記憶が正しかったか
ネットで検索しました。
試合は、1980年6月25日(水)
9回三分の一を日ハムの
木田投手(左)が投げて
4-3で南海が1点ビハインド
新井選手(イチローを育てた
ラグビー稲垣選手の義父)を迎えた場面で、右の代打で桜井選手
それに対して日ハムベンチは
リリーフで右投げの杉山投手を
マウンドへ
それに対して、代打の代打で
左の門田選手
そこで代打サヨナラの3ランで
6-4で南海が勝利したことが
記録から読み取れます。
そして観客は3000人・・・
記憶が正しかったことが
なんだかうれしいです。
監督が何度もベンチから出てきて
なんだか、よく覚えてました。
でももっと驚くのは
門田選手はその年41本の
ホームランを打っていて
アキレス腱を断裂した翌年だった
ことです。また、その翌年には44本を打ってます。
ホームランだとゆっくり走れるから
という カッコいい理由で・・・
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