YOU企画は何度か言ってますけど、私の名前ではありません。
かけてさえいません。
一応、俳優としての芸名は同じ漢字でマツウラユウと読ませるのですが、綴りはMatsuura Yuuと、Uを二回ファーストネームもファミリーネームも続けます。
恐らくは僕たちが思春期のころアニメとともに流行った少女マンガ「ママレードボーイ」の主人公松浦遊が僕に似てかっこよかったからでしょう。(ごめんなさい、嘘です。ガウディは好きだけども。)
それはさておき、今回のこのtomoはイタリア語です。
ロンドンのフィリップの学校で出会ったイタリア人に、いつもどおり、
Hi, my name is Tomo. It means friend in Japanese. Please Call me Tom.
と自己紹介しました。
すると、彼は「TOMOかあ、それはイタリア語だと本だねえ。」
ということでした。
今調べてみると、実際には(書籍の)巻、分冊のことのようです。
ボリビアから来た中学生を最近家庭教師しているのですが(ここでも演出家の能力、日本語への洞察は使えます)、彼のお父さんも同じ意味を言っていたのでスペイン語でもそうみたいです。
それで、おおー、僕は本好きだし名前として合うかもと思ってました。
母や私の部屋を知る友達からは、もう追加で本は買うな。
買うなら買う分処分してから買えといわれているほど本好きなので、似合っていると。
ちなみに父がもう後何日かで定年です。彼とは30年違いです。
少なからず宮づとめというかサラリーマンを経験している僕としては、彼に対するその点での敬意はとてもあり、
かつ母に対しても同様によくがんばってくれたなあ、と思い、世間一般の還暦祝い(赤いものを贈る?)とかいうのは嫌なんですけど、なんか贈ろうと考えた末、残るもんもやだし、と子供のようですが図書カードを贈ろうと思っています。
僕が本好きになったのは、実は姉のおかげなのですが(彼女が活字中毒で、おんぼろ宇宙船シリーズから始まり、ドクタードリトル、ルパン、ミス・ビアンカ、冒険者たちやジュールベルヌなどたくさんのものを彼女の後を追って読みました。)、でも図鑑や漫画日本の歴史、世界の歴史、中国の歴史を揃えてくれ、彼ら自身も(そんなに読んでるところは見てないけれども)蔵書をたくさん持っていました。
世界名作全集のグリーン版(僕、レベッカを小学四年で読んでました。読書感想文それでした。)とか、松本清張の昭和史発掘とか(これもすべては読んでないのです)。近年も、父には池波正太郎とか、母はEQとかグッドラックとかいろいろ貸してもらいました。
さて、やっと演出に関わるんですけども、僕は昔から、インプットしないとアウトプットできないと思っていて、京都で偉大なアーティストたちに会ううちに彼らの読書量や観ている映画の量たるやものすごいな、と思っていて、昔は1作品作るのに小説50、ノンフィクション50、映画50、マンガ50、展覧会50いくようにノルマを作ってたりしました。一応自分なりの一言レビューを書くのを課して。
もうそんなことはしてませんが、最後に創ったときからすりゃ軽く超えていると思います。
今は研究にシフトしていて、あだち充とか「ハウルの動く城」を研究しています。あとマグリットと。
なんだか2004年に創った「Hello Out There」にすごく似た創り方になりそうだな、と思っています。マグリットの構図を借りてきて作品に使っていたんですね。
http://www.you-project.com/archive_003.html
上記ページの右下の写真の男のポーズは「中心的な物語」から取ってます。
実は今回Timeにしようかというようなことも考えていたんですけど、リンクしていただいているhttp://blog.goo.ne.jp/nyaopoo/のプロフィール写真(とある財団のとあるプレゼン会議で隣の席だったのです。人見知りな僕は3時間以上経ってから、「はじめまして」と名刺を渡したのでした。)はマグリットだったりしたし、「ハウルの動く城」も2004年の作品だったりするんですね。
なんだかすごいタイミングだなと。
当時は、すごい未完というか、創作の格闘の後が見て取れた気がして、そして当時いろんな人の芸術作品を見たんですけれど、911後の世界というか戦争というものを作品に反映せざるを得ないというか、反映されてしまうんだなあ、というところにとても興味がありました。
自分自身もなぜか戦争はほとんど関係ないのに「Hello Out There」という物語を語る演出家として「ピアノを弾く演出家」を想定し、わざわざ銃弾で演奏が中断され物語が始まり、また物語が終わるとピアノの演奏が始まるという蛇足のようなプロットを付け加えていました。
またこの話はいつか詳しく・・・。
ハウルは絵コンテを今研究していて、やはりものすごく詳しくシーンの詳細を考えていきたいな、ということや、観た当時も思いましたけど木村さんの声に思えないのはなぜか(たぶん言葉遣いですね)とか考えてます。
英語版の吹き替えの方が言っていましたが、ハウルのようなキャラクターはアメリカにはあまりいないようです。
フェミニンな。なるほどな、と思いました。これもまた木村さんの普段のドラマやバラエティーのしゃべりじゃなくて、ちょうど歌を歌っているときの声に近い理由なのかな、と。
絵コンテを見ていると、自然と声優さんたちの仕事に眼が向くのもよいです。
今回の作品は声もまた相当に重要なパートなので。
ちなみにTOMOはイタリア語ではもうひとつ意味があるようで、「偏屈者、変わり者」だそうです。
合いすぎて怖い。
変わり者というのも受け入れていくつもりですが、今日もまた、高校に来ている教育実習生に「変わっている」といわれました。
僕も教育実習行ってたんですけど、先生って教務以外の仕事が多すぎるなあ、と思って教員になるのは止めたのです。
教務をがんばりたかったので、どうせやるなら塾とか予備校だなあ、と。
そして教職の資格を取ること自体を止めたんですね。
それは「変わってる」らしい。
僕としては、ならないんだからいらないんですが。
きわめて論理的な帰結です。
あと1科目2単位だったんですけどね。
普通は取るらしいです。
僕からしたら、いらないのに取るほうが変です。
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