チャップリンについて、とうとうと語りたいところですが、それはまた別の機会にします。
「独裁者」もいい作品ですね。最後の演説なんか、高校の英語の教科書に出てきていたりします。
かつて、彼のように音楽もすべてやって、主演もする舞台を作りたい、と思っていました。
もう今は、作曲と主演はあきらめていますが、時間が出来たら作曲の方は勉強しなおしたい、と思います。
さて、大阪の専門学校の授業が始まると、やっぱりロンドンで学んだエコール・フィリップ・ゴーリエでのことが思い出される。
そこで彼がいつも言っていたことは「演劇とは真剣に子供がやる遊びをやることだ」と言っていました。
つまり、俳優っていうのは「演じる」ということをPlayする、つまり遊ぶように行う、と言っていました。
悲しい演技をするときも、その悲しい演技をするっていう俳優としての喜びがないといけない、と言っていました。
僕はそこから発展して、演出とは「俳優が楽しく遊べるようにルールをつくること」だ、と考えていきました。
「ここまでやったらやりすぎ」「ここまで以上はやらないと」というようなジャッジを初めとして、彼女は彼をバスケのフェイントやフェイクを使うかのように、彼のディフェンスをかいくぐって下手にはけてください、というような具体的なゲームのルールを決めていきます。
ほんとうに俳優が喜び、楽しむとき、素晴らしい作品ができるのです。
小道具なんか渡して、物凄くそれで俳優さんが遊んでくれると、姪っ子に渡したおもちゃが大好評のとき以上に嬉しかったりします。
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