きちんと辞書を引いてみると「物事の本質を見通すすぐれた判断力」と書かれていました。
演出者、というのは「見る」ことが仕事です。もちろんセリフを「聴いて」もいるのですが。
よく、この公演のテーマは?と聞かれたりします。今回なら「なぜハーフなのか」など。
今公演のテーマについては次回に譲るとして、テーマってないといけないのかなというようなことは平田オリザさんはじめ諸先輩方は書かれています。
僕が思うのは、テーマはなくとも見識はなければならないということです。同じ辞書に「ある物事についての確かな考えや意見」とも書かれていました。
何度か書いていますが、私の作品は観客の頭の中に映ったすべてがそうである、と考えています。
だから、メッセージとか伝えたいこと、ではなくて、神様が創造された人間というものを、そしてその人間と人間との出会いを、そして一人一人が下す決断、決定を見せたいな、と思っています。
そうして見える舞台上の出来事を、観客の一人一人が見つめて考えていくことが、演劇作品というものなのかな、と思っています。
でも、創ろうとしている戯曲がかかわってくる問題というもの、たとえば離婚、不倫、結婚などについて、僕自身がどんな見識を持っているのか。
そしてその見識は、本当に幅広く知り奥深く考え、公平に判断されたものなのか、ということは問われてくると思っています。
受け取り手の自由に見てもらいたいとはいえ、こちらの見識=判断がぞんざいなものでは作品は成立しません。
そして、作品は公演である以上、おおやけのものであって、社会の中でたとえばバリアフリーについてどう考えるのか、
少子高齢化に対して、託児サービスや割引サービスを設けるのか、などの劇団としての社会性も問われてきます。
決断は素早く下したいと思いますが、判断はじっくり情報を集め、真贋を精査し、熟考をした上でしたい、と思います。
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