さて、どうして前回のような俳優メソッドを作りたいとなったかというと,私が演劇をやり始めたきっかけに至ります。
それは言葉への興味と身振りの研究です。
自己PRに「10歳の文化祭で「ヒラメのムニエル」と言うセリフを当該料理を知らないため言えなかった事から、セリフを発話するメカニズムに興味を持つ。13歳の文化祭で長台詞を攻略するために、高畑勲監督『おもひでぽろぽろ』で主人公が身振りに活路を見出したのを模範にして上手くいき、5年連続で文化祭演劇に関わり一年に一回芝居するというペースが確立する。」と書きましたが, つまりこの時の二つの体験が忘れれなくて、今でも言葉と身振りを研究し続けている、ということです。
そしてそれは同時に「周囲が他者に合わせ決定まで委ねてしまう日本の精神文化に対し、『人は各々自分の荷を負う』という聖書の個人主義を信念とし、孤高の小学生時代を歩」んだせいではないかと思うのです。
つまり、他の人とコミュニケーションしたいけれども、そのスタイルがなぜか自分と異なる、ということです。
実際「お前はズルい」というようなことも同級生に言われました。はっきり意見を言うから。
でもそれは意見を言わないのは卑怯だと思うからです。
「ハイル・ヒトラー」と皆が言う中で「おはよう」と言えるナチス政権下での人間がいたわけです。
でも人間は不完全なのでもちろん全ての人がそうできるわけじゃない。
でも自分は・・・、はっきり信念のもと発言できる、そう言う人間でありたいと、そう思うわけです。
圧力のもとでも信念を曲げずに生きる人間の強さ・美しさを知っている限り、それを演劇で一番表現したいと思う。
なんだか、少し話が逸れたんですが・・・、たとえばハイル・ヒトラーという時に皆、お決まりの動作をしますよね。
そしてたぶん「おはよう」という場合の身振りには多様性が現れる。
人間性ってコミュニケーションスタイルに現れますが、でもそこには文化がもつ影響力も排除しきれないわけで。
それで一旦ニュートラルにして、演じる役柄に合わせた動作・身振りそしてセリフの発話と俳優と練り合わせていくのが演出の仕事かな,と。
そして前回書いたように動きが演技を決定していくと言う考えから、“身振り”の研究のために俳優のための身体メソッド開発に向かおう、と言うわけです。
はあー、なんとか繋がった・・・。
まだもう少し整理する必要がありそうですが。