Re-Set by yoshioka ko

■沖縄から(その5)

 『琉球新報』を読んでいたら、「いつから日本人?」という記事が飛び込んできた。沖縄では、日本人を語るときの難しさがある。言うまでもなく、沖縄県民は日本人である。だが、ややこしい歴史があった。
 
 記事によれば、国会での問答だった。照屋寛徳議員の質問書に政府が答えた。「ウチナンチュが日本人になったのは、明治32(1899)年制定の旧国籍法から」というのが答えだった。

 で、照屋議員は噛みついた。「では同法制定前の1898年に沖縄で始まった徴兵制は、法的には日本人ではないのに、おかしい」と。これに対する政府の答えはない。

 1972年の復帰前、沖縄ではウチナンチュ(沖縄人)という言葉の変わりに、日本人とか日本という言葉が頻繁に使われた。これはアメリカ軍による統治がいかに厳しく、逆に言えば、沖縄の人びとの人権や生存権が、軍統治の前に脅かされてきたことに関連している。

 日本は憲法上、基本的人権も生存権も保証されてきた。その保証が、復帰前の沖縄では適用されず、だからこそ、沖縄は「日本復帰」を声高に叫んできた。

 照屋議員の質問はもうひとつある。それは「日本国憲法が沖縄に適用されて60年経ったと考えるか?」というものである。つまり、憲法は制定直後から沖縄に適用されてきたのか?と問うた。

 政府の答弁はこうである。「復帰前に観念的に沖縄に適用されてきたが、米国が施政権を行使していたために実効性を持って適用されなかった。従って米国から施政権が返還された1972年5月15日以降、実効性を持って適用されることになった」
 
 憲法が観念的に適用されてきた、とはどのような意味なのか?よく分からない。しかし現実にはいまも、沖縄にはアメリカ軍基地はそのまま存在し、憲法の精神でもある平和的生存権は脅かされっぱなしである。

 そんなところから、沖縄のアイデンティティーという言葉が今また使われ出した。われわれは日本人なのか、ウチナンチュなのか、というわけである。ここには、復帰から35年経った現実を直視しようという決意のようなものが窺える。

 沖縄からは日本がよく見える。

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