吉岡(以下Y)「金大中さんが拉致されたことは、何で知りましたか?」
李淳柱船長(以下I)「船の中にあったラジオでした。そのときは一体誰がやったのか、と思いました」
Y「誰がやったと思いましたか?」
I「私の考えでは最初、もしかしたら北朝鮮のスパイがやったのではないかと思ったんです。それがまさか自分が船長をしている船に連れてこられるとは思わなかったですよ」
Y「船長も事件に巻き込まれたと思いますか?」
I「正直に言いますが、金大中さんはこの土地(全羅道)も、ここに住む私も一番のファンですよ、昔から。朴(正熙)軍政時代には軍政を嫌う人が多かったですが、私もそのひとりでした。国民のひとりとして民主政権を支えたかったんですが、しかし運命のいたずらで私が乗っている船に、私が尊敬していたその方を乗せることになった、心痛いです」
Y「船に運ばれた荷物が金大中さんだと分かったときは、どう思いましたか?」
I「ビックリしました。中央情報部に関わったら最後殺されると思ったら、恐ろしかったし、あの人の運命は一体どうなるのかと、その心配も頭にいっぱいで、国まで帰ってきたんです」
Y「金大中大統領に会う機会があればなんと?」
I「言って済むものではないです、乗せてきた船長ですから。済みませんでした、としかいうだけです」
Y「家族に対しては喋りましたか?」
I「名誉のことだったら子供たちにも言ったりするんですけれど、不名誉ですよ。子供たちにショックを与えるに違いないと、アボジはその船にいたのかと思って・・・。だからいまでも言ってないですよ」
I「それにしても、あの人も生きているんですよ。李厚洛さん。何で黙っているんですか?」(この項終わり)
それにしても、あの人。それは当時の中央情報部長の李厚洛氏。今回の発表でも事件の総責任者とされた人物のことである。私もこの人物に会った。だが・・・。
次回は、竜金号の通信長だった鄭容碩さんインタビューを掲載します。船長とはまた違った考えを持ち、その後の人生は「沈黙」を余儀なくされてきた。金大中氏に対しては加害者だった彼も、その後の人生では被害者のそれでもあった。
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