Re-Set by yoshioka ko

■金大中拉致事件~竜金号乗組員の証言⑤~

 金大中拉致事件が韓国公権力によるものだとすると、以下の記事が伝える内容はその通りだろう。

《以下引用》
 「韓国政府が「金大中拉致事件」を中央情報部(KCIA)の組織的犯行と認めたことを受け、事件を捜査する警視庁公安部は24日、実行犯とされるKCIA要員で在日韓国大使館の金東雲1等書記官(当時)らから事情聴取させるよう韓国政府に要請する方針を固めた。これに先立ち、外務省を通じ犯行メンバーの調書の提供も求める」(10月25日『産経新聞』)

 果たして韓国政府が応じるものなのか、どうか。というのも、情報企画院内に作られた真相究明委員会は、その報告書の中で、当時、事件解明に当たって日本政府は韓国政府の介入を十分理解しながら、外交的に決着させたのは遺憾、との発表をしているからだ。

 最悪、報告書の発表で、事件は終わったとされかねない。

 さて、事件に関わった『竜金号乗組員の証言⑤』。船長に続き、今日からは乗組員幹部だった人物へのインタビューです。

吉岡(以下Y)「竜金号ではどんな仕事を?」
鄭容碩(以下T)「通信長です。その船が中央情報部のものだということは、釜山の港湾庁で働いている人たちはみんな知っている事実だったんです。私が乗ったのは、そういう事実を知った上ではなく、普通の就職と同じでした」
Y「そうはいっても、その仕事がどういうものだという想像はしましたか?」
T「乗船に際してはクルーリストが出ます。入出港の手続きは自分がずっと関わってきました。中央情報部といってもいつもは釜山分室の職員が出入りしていましたが、そのときはソウル直属の職員でしたので、何かの作戦があるのかな、と推測しただけでした。まさか人を拉致するとは思わなかったです」

Y「兆候はありましたか?」
T「出港直前だったかと思いますが、近くの喫茶店でその人とお茶を飲みました。そのときにある人物を乗せて帰るから、このことは誰にも漏らしてはいけない、といわれました。それが金大中現大統領だとは思いもしなかったですよ」

Y「竜金号はどこの港から出港したんですか?」
T「全羅道の麗水(ヨス)港です。そこから日本の瀬戸内海にある港に珪石を降ろし、空っぽのまま大阪港の沖合で停泊しました。そのときに何か起きるのだろな、と予感のようなものがありました。船員の上陸は許可されず、ソウルからきた二人しか上陸しませんでしたから」
Y「二人というのは誰ですか?」
T「鄭という人と、李という人です」

Y「下船した二人から何かの連絡は入ったんですか?」
T「やりとりはいっさいありませんでした。その夜は暑かったので、甲板でみんなと雑談していました。夜10時になったのでそれぞれ船室に戻り、寝ようとしたときに日本のラジオの速報で金大中氏が拉致されたことを知ったのです。船内には緊張感が走りました。船員たちはこの船の任務こそそれに関することだとわかっていましたから」

Y「事件は直ちに報道されました。危ないとは思いませんでしたか?」
T「容疑船、竜金号という見出しで、運行スケジュールなど日本の新聞にはほとんど正確に出ていました。釜山に帰港してから、こういうことだから絶対口外しないようにと、情報部の二人からきつくいわれました」

Y「監禁された金大中さんを見ましたか?」
T「船の構造ですが、以前はアメリカ軍の輸送船に使われていました。その後ブリッジの後ろにあった客室を貨物倉庫に改造しました。そこにマットを敷いて、手足を縛って目隠しをして横たわっている姿を初めてみました」
Y「どんな状態で横たわっていましたか?」
T「ロープで縛られ、自由に動ける状態ではありませんでした」

Y「鄭容碩さん自身は犯罪に関わっているとの自覚はありましたか?」
T「当時の韓国社会は南北間の対立が激しく、共産主義に対して敏感な反応を見せているときでした。私自身、金大中さんの発言には国家を危うくするものだという不満を持っていましたから、犯罪意識よりも国家のために有益な仕事をしている、という思いでした」(以下次回)

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