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■「検証・韓国反米感情の深層」 第三回

 トリノ・オリンピックでの日本勢は、これまでのところいささか低調だ。勢い、というものが余り感じられない。モーグルにしてもスノーボードにしてもスピードスケートにしても、それぞれの選手は一生懸命なのだろうが、それが一丸となっていない感じだ。4年前のソルトレーク、8年前の長野では、よーし、という覇気があった気がする。それがテレビ画面を通じて伝わってきたが、そういうものがどうもトリノからは伝わってこない。

 朝、新聞に載っていた「国・地域別メダル獲得数」という表を見ていたら、いつの間にか韓国が金1,銀1を獲っていた。その瞬間、そうかあの競技が始まったんだな、とピンと来た。そう、あのショートトラック、である。もっといえば、アメリカと韓国との間にきしみさえ生んだ、あのショートトラックである。

《以下引用》
 「男子1500メートルで2連覇を狙ったアポロ・アントン・オーノ(米)が決勝進出を逃した。(中略)オーノは「決勝に行きたかったし、行けると思っていた。精神面でも体調面でもできる限りの準備はしてきたのに」と落胆を隠さなかった。(中略)喜びを爆発させたのは韓国勢だ。金と銀のメダルを独占。ソルトレークでオーノにほんろうされ、メダルなしに終わった韓国男子勢の無念を晴らした」(2月14日『朝日新聞』)《引用ここまで》

 「韓国男子勢の無念を晴らした」という言葉には解説を要する。
 「検証・韓国反米感情の深層」の第2回目で、私は以下のように書いた。

 「ブッシュ大統領の一般教書演説からほぼ3週間後、同じアメリカ・ユタ州のソルトレイクシティーで開かれていた冬季オリンピックのショートトラック男子1500メートル決勝で、1位でゴールした韓国選手に失格の判定が出された。その代わりに優勝をしたのは韓国選手の妨害をアピールしたアメリカ選手だった・・・」

 妨害をアピールしたアメリカ選手こそ、今回敗退したアポロ・アントン・オーノ選手だったのだ。4年前、同じこの種目で韓国のスター選手が先頭でゴールしたものの、オーノは「残り一周のカーブで進路を妨害された」と抗議、判定が覆った。韓国のスター選手は失格となり、オーノが金メダルを手にした。韓国民にとっては、反米感情を募らせるきっかけにもなった「事件」だった。

 それから4年。因縁の対決は韓国に軍配が上がった。前回涙を呑んだ韓国民も今回は溜飲が下がった違いない。とはいえ、これはスポーツの世界。政治の世界での韓国とアメリカの距離は、容易に埋まりそうにない。

 『検証・韓国反米感情の深層』の第三回。2002年6月。いよいよ反米感情を爆発させるある「事件」が発生した。

 【連合ニュース】13日午前10時45分頃、京畿道楊州郡廣積面孝村里の国道56号線で、この村に住む申孝順さん、沈美善さん(共に14歳)が、米陸軍第2師団工兵隊所属の架橋運搬用軌道車両である装甲車に轢かれ死亡した。警察は、事故を起こした装甲車が対向車線を来た同じ基地所属の戦闘車を避けようと、右側の側道を越えた形で運行したため、側道を歩いていた申さんらを発見できないままキャタピラに巻き込み事故を起こしたものと見ている。

 アメリカ軍装甲車による轢殺という痛ましい事故ではあったが、これが韓米同盟関係の根幹までをも揺るがす事態に発展する。

 事故当日、申孝順(シン・ヒョスン)さんが家を出たのは朝の10時過ぎだった。
 「私は野良仕事をしていましたから、家を出て行く娘の姿は見ませんでした。ただ畑から美善とふたりで歩いて行く姿を見ただけでした」

 父親の申鉉壽(シン・ヒョンス)さんが涙をこぼしながら、そのときを語る。
 「1時間ほどすると、近所の人が畑にやってきて孝村里で事故があったらしい、一緒に来て見てくれというんです。誰が事故にあったか、確認を求めにきたんです。私にはいったい誰が事故にあったのかわかりませんでした。現場に行ってみると、片方の運動靴が残っていて、誰のものだ、とそこに来ていた孝順の友達に聞いたら、これは美善の靴だ、いうんです。あわてて救急車に乗せてもらい、病院の救急室に行って、孝順も来たのか、と聞いたら、霊安室に行って下さい、というんだ。それで知ったんです・・・・」

 轢殺事件のあった国道56号線沿いには畑に囲まれた聚落が続く。
 「このあたりはね、北朝鮮との前線に近いからね、毎日が訓練ですよ。アメリカ軍から今日はこんな訓練があるぞ、などという通報はいちいちないですよ。それに今度の事故のように国道を使って演習することなど一度もなかった。あの日だけですよ」

 死亡したふたりの女子中学生はともに14歳。同じ学校に通う申孝順さんと沈美善(シム・ミソン)さんだった。国道も孝村(ヒョチョン)里(村)の人たちが通勤、通学それに農作業にと、いつも使う生活道路だった。その道路が、あの日は演習の場所となった。

 村長をしている朴容安(パク・ヨナン)氏が続ける。
 「衝撃的なんていう言葉ではいい表せない。子を持つ親としては本当に胸が痛いことですよ。村人たちの話では、あの子たちが死んだあと、戦車の音がすると生きた心地がしないと。だからいまは村内放送をするんです。訓練があるから驚かないで下さい、戦車が通っても驚かないで下さい、とね」

 村民が受けたショックを代弁しながら、里長が事故現場を案内してくれた。
 村道から国道56号線を左折すると、片側3メートル20センチ幅の上下2車線のなだらかな上り坂が始まる。歩道もなにもない普通の舗装道路だが、坂の頂上の先がどのような形状になっているのかはまだ見えない。運転者の目線になってさらに坂を上ってみて、ようやくその先が急カーブの下り道だとわかったのは、坂の頂上手前およそ30メートル、ちょうどふたりの中学生が轢かれた場所に来てからだった。

 韓国は右側通行だがあの日、ふたりの女子中学生は道路の左側を歩きながら坂道を上って行った。そして坂の頂上から30メートルほど手前に来たとき、突然正面から装甲車が現れた。そしてその装甲車は道路端を歩くふたりの女子中学生に気づかないかのように坂道を下ってきて、轢いた。

 装甲車の車幅は3メートル67七センチあった、という。つまり、片側車線3メートル20センチしかない道路を、さらに47センチも車幅が広い装甲車が走ってきたことになる。しかも対向車線には別の戦闘車が車道を揺らしながら近づいてきていた。このような状態でふたりの女子中学生が道路端までどんなによけたとしても、事故に巻き込まれずに済んだかどうか・・・・。(第四回に続く)

 

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