日本とすれば、潘基文外交通商部長官(日本の外務大臣)は、小泉首相の靖国参拝を巡って強行に判定の立場を主張してきた。そういう人物を支持するには抵抗がある、といったところだろうか。
アメリカにしても、北朝鮮の核を巡る6カ国協議で、韓国はどうも北に寄りすぎている、という不信感がある。そういう外交の先頭に立つ人物を支持するには抵抗がある、といったところだろうか。
そのあたりのことを汲んでか、韓国の新聞(電子版)が懸念の記事を発している。
《以下引用》
「潘基文(パン・キムン)外交通商部長官の国連事務総長出馬に対し、米国や日本などは原則的な立場だけを示している。小泉首相は14日、「次期事務総長はアジアから選出されるべき」という原則論だけを明らかにした。しかし日本メディアは韓国が日本の国連安保理常任理事国進出に反対する立場であるだけに、日本の支持を得るのは難しいと見通した。
読売新聞は日本政府の関係者の言葉を引用し、「日韓関係は重要だが、潘基文支持は難しい」と報じた。毎日新聞は「日本政府は誰を国連事務総長に支持するかを安保理常任理事国進出と連携させている」とし、「国連事務総長が紛争国から選出された前例はない」と指摘した。
米国防省スポークスマンは「米国がどの候補を支持するか明らかにするのは時期尚早」とした」(2月16日『朝鮮日報』)《引用ここまで》
韓国政府とすれば、この8年間の間に、IMF管理下から脱出し、そればかりか経済も立ち直った、政治的には独裁から民主国家へ脱皮し、いまだ後進国にあるいくつかのアジアの国々始め、世界のそういった国々のお手本となる要素を十分に持っている、だからこそ総長選では韓国に、という思いが募るに違いない。
そこは分かるが、しかし・・・。日本にとってもアメリカにとっても、この〈しかし〉があるために、すんなりOKできない。こうなると国際政治というのも、人間関係に似ている。
〈あいつのあそこだけはどうも気に入らない〉
ということで、『検証・韓国反米感情の深層』。その第四回。
演習中に女子中学生ふたりを轢き殺したアメリカ陸軍の装甲車。この事故の結末を巡って、韓国民の反米感情は沸点に達し、韓米関係はのっぴきならない事態に陥るのである。
アメリカ軍は、この事故は決して故意や悪意で引き起こされたものではない、悲劇的な事故であり、偶発的な事故だった、と事件性を否定した。そして事故から5ヶ月経った11月、韓国に駐留するアメリカ陸軍第8軍の軍事法廷はふたりの少女を轢き殺したとして、軍事刑法の過失致死罪でそれぞれ起訴された装甲車の管制兵長と運転兵に対して、過失はなかった、として無罪判決をいい渡した。
『管制兵長は女子中学生を発見して運転兵に、停止せよ、と叫ぶなど管制兵長としての義務を尽くしたが、通信装備の欠陥で伝達されなかった・・・・。運転兵は、カーブのある道で装甲車を運転しようとすれば、両方の手でギアとハンドルのどちらも握っていなければならない。その場合、ヘルメットについている交信ボタンを押し話をすることは簡単ではない。従ってこの事故の場合、運転兵に責任を問うことはできない』
これは軍事法廷で弁護側が述べたことだったが、最終的に陪審員は被告弁護側の主張に耳を傾けたのだった。
駐留アメリカ軍の最高司令官レオン・ラポート大将は無罪評決のあと、ふたりの遺族らに悔やみの言葉を伝えたあと、次のような声明文を読み上げた。
『われわれの任務は韓国民のために、平和と安定を確実にするための抑止力と即応態勢の維持にあります。訓練にはできる限りの安全を期しますが、人間の行為である限り、ときとして事故は発生します。韓国民にわれわれが駐留している理由と韓国社会にもたらしている好ましい影響について、もっと知ってもらう必要があります・・・・』
レオン・ラポート大将の声明は、韓国のアメリカ軍は必要であれば民間の土地であろうが国有地であろうが訓練を行える、事故もやむを得ない、と読める。やはりここはいまも冷戦体制下なのだ、とあらためて思う。
それだけに遺族にしてみれば、実の娘の死という現実と冷戦体制下にあるという韓国の現実とに挟まれて、感情の戸惑いというものに悩まされる。
孝順さんの父、申鉉壽さんもこんなふうにいう。
「娘の死を思えば胸は痛いですが、事故は起きるものです。それにここは北朝鮮にも近い。それはわかっています。しかし問題は事故の経緯です。あの日は孝順でなくても、もしあの国道にあの時間歩いていた人がいたら、誰もが被害者にならざるを得なかったのは事実ではないですか」
「あの日は孝順でなくても」という言葉の意味は、事故の原因は、道幅よりもさらに広い装甲車だったからではないか、という過失責任を指している。
裁判の上では、不幸な事故、とかたづけられた女子中学生轢殺事件だが、一皮むけばさまざまな問題を孕んでいた。そもそも道路幅を超える装甲車が走ることこと自体、道交法違反ではないのか、訓練そのものにも過失があったのではないか、死亡に至った事故の究極的な責任は誰にあるのか、などといった疑問。
あるいは軍がからんだ犯罪に、韓国の捜査当局は最初からタッチできなかったことへの不満。そして過失致死罪さえ問うことなく無罪放免とした軍事法廷・・・・。こうした疑問や不満を内包して、事故は韓米同盟50年という節目の年に起き、事件となって急速に膨らんだのだった。そのきっかけを作ったのはネット上の掲示板に書き込まれた文章だった。(第五回に続く)
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