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■「検証・韓国反米感情の深層」 第七回

 1970年代初めから続いてきたアメリカ軍と韓国軍の合同演習が開かれるたびに、北朝鮮は抗議してきた。もちろん韓国との蜜月が始まった1998年以降とそれ以前とでは、抗議の意味合いにも大きな違いがあるが、ともあれ、米韓合同で演習となれば、心中穏やかではないと言うことなのだろう。

 今朝の記事である。
《以下引用》
 「北朝鮮の南北閣僚級会談の首席代表、権浩雄内閣責任参事は11日、平壌で28日から予定されていた第18回南北閣僚級会談を、同時期に行われる米韓合同軍事訓練を理由に「4月の適当な日に延期することにした」と、韓国側に通知した。朝鮮中央通信が伝えた。
 在韓米軍の再編を契機に、米韓が今年に入り同盟関係の強化を進めていることをけん制し、韓国を揺さぶる狙いがあるとみられる。今月初めの将官級による第3回南北軍事会談でも、北朝鮮はすべての米韓合同軍事訓練の中止を要求していた」(3月12日『日本経済新聞』)《引用ここまで》

 「4月の適当な日に・・・」というところがミソだ。というのも、このような案件で北朝鮮が抗議する場合、これまでは期日を切ることはあり得なかった。しかし今回はなぜか?

 いうまでもなく北朝鮮の核を巡る6カ国協議が暗礁に乗り上げたままだからである。国内の経済的な諸事情を考えれば、韓国との関係だけはなんとか維持させておきたい。しかし北朝鮮を明らかに想定した米韓合同演習となれば、抗議しないわけにはいかない、というジレンマが、このような弱い抗議表現となって現れたのではないだろうか。

 韓国もジレンマのなかにある。北に対する「融和策」が相当アメリカの非難を浴びてきたなかで、30年以上もずっと続いてきた合同演習まで止めてしまったらアメリカとの関係は決定的になる。それは、いまは避けなければならない、という判断が盧武鉉政権にはあるからだ。

 韓国外交もまた綱渡りである。 ということで、アメリカとの関係が冷え込んでいく過程をさらに続ける。題して『検証・韓国反米感情の深層』の第七回目。

■覚めやらぬ衝撃
 昨日はアメリカ軍に基地を提供する際に結ばれる「地位協定」の不平等性について、述べた。韓国も、日本と同じようにこの不平等性がしばしば問題となってきた。その実態である。

 
 アメリカ陸軍第二師団司令部のある正面ゲートと道を隔てた向かい側に、兵隊たちが繰り出す保山洞歓楽街が広がる。狭い路地を挟んだ両側にはクラブやバー、レストラン、スナック、写真館、似顔絵描き屋、クリーニング店、ワッペンやシール販売店、質店、レザー洋品店、洋服店といった基地の街ならではの店が並ぶ。韓国人オフ・リミット(立入禁止)の看板も目につく。

 昼間はMP(軍憲兵隊)2人組が歓楽街の警備に当たるが、夜になると専用の警備小屋が開き、完全武装をした10数人のMPが詰める。この物々しさは〈テロとの戦争〉の影響でもあった。
 警備小屋脇に保山洞観光特区商街連合会事務所がある。会長の丁仁根会長がこんな話を始めた。

 「アメリカ兵7割、外国人労働者2割、残り1割が韓国人だったんだ、店に来る客だがね。それが、9・11テロ事件後は、ほとんどアメリカ兵だけになってしまったよ。本当のことをいえば兵隊だけじゃさっぱり儲からん。彼らは金も使わないしね」
 どういうわけか金を浪費したのは2割とされた外国人労働者だった。

 「連中は35もの国から出稼ぎに来ていた。パキスタン人やらイラン人、イラク人も多かったね。それにバングラディシュ、ロシア、フィリピンもいた。ところが九・一一テロ事件のあと基地からこんな通達がきたんだ。テロを起こす恐れがあるので、イスラム圏から来た外国人をバーやレストランに出入りさせるな、させるんだったら兵隊を基地から出さない・・・・」

 これは困ったことになった、こんな勝手な通達を許していいのか、と商街連合会では会議を持ったが、結局は軍のいい分を聞くしかなかった。腹は立ったが仕方なかった。

 「そこに女子中学生の事件が起きたんだ」
 9・11テロ事件と違って、女子中学生轢殺事件は地元の事件だった。
 基地に寄り添って生きてきた商店街の人たちにとっては、テロ事件よりもこっちの事件のほうが気がかりだった。

 「店は全部閉めざるを得なかった。いや、兵隊に外出禁止令が出たからではなく、基地の前ではデモが毎日のようにあったんでね、軍のほうで自粛してしまったんだ」
 その結果、20日間、歓楽街から灯が消えた。

 「事件に加えてイラクの問題やら北朝鮮の核問題もあって、兵隊の外出はいまも少ないね。最盛期の半分といったところかな」

 朝鮮戦争以降、東豆川の街は基地とともに成長してきた。人々の生計もまた基地頼みだった。もはやこういう商売は斜陽産業なんですかねぇ、と丁仁根会長は肩を落とす。

 基地に依存すればするほど、事件や事故のたびごとに韓国社会からの風当たりも強くなる。どっちを向いてもいいことはなさそうだった。

 「答えになるかどうか、女子中学生事件のとき、軍は兵隊たちに20日間も外出禁止令を出した。お陰で商売は全く駄目だったんだが、それでもなぜ20日間も我慢できたかというと、私らに代わって市民連帯とかの社会団体がSOFA協定の改正を代弁してくれていたからなんですよ」

 「協定が改正されればそれだけ韓国人の人権も改善される。そうなれば寄生虫だとか基地で儲けているといった嫌みも少なくなるかも知れない。そう思ったですよ。だって私らも韓国人ですからね」

 「私らも韓国人ですからね」という言葉に、事件が韓国人の内面にもたらした衝撃があった。(第八回に続く)

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