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■辺野古移設、あるいは舌足らず・・・

 沖縄の宜野湾市をまっぷたつに裂く普天間飛行場の移設問題は、いよいよ詰めの段階にきている。故岸本建男前市長の後継として当選した島袋吉和市長のハラは条件闘争にある。
 
《以下引用》
 「米軍普天間飛行場の移設協議のため上京していた沖縄県名護市の島袋吉和市長が5日夜に帰任、額賀福志郎防衛庁長官との4日の会談内容について「名護市の(沖合へ滑走路を出す)案は絶対に譲れないと申し上げた」と述べ、米軍機の飛行ルートが陸上に設定される限り譲歩しない考えを重ねて示した。那覇空港で記者団の質問に答えた。防衛庁側は滑走路を反時計回りに10度ずらすことで集落上空の飛行を避ける微修正案を提示しているが、騒音や事故の危険性を懸念する名護市側は従来の姿勢を堅持、双方の主張に依然大きな隔たりがあることを示した形だ」(4月5日『西日本新聞』)《引用ここまで》

 日米で合意された「辺野古沖合案」が、ジュゴン始め環境保護の問題から事実上つぶれたあと、辺野古移設はないのではないかと見られた時期があった。というのも、「辺野古沖合案」は、さまざまな移設先案の中で「ベスト」とされて決まったいきさつがあったからだ。

 だが、やはり辺野古、に戻った。となれば選択の幅はより狭くなる。逆に言えば、地元説得はより厳しくならざるを得ない。その結果、浮上した案が「辺野古沿岸案」だった。
 
 稲嶺沖縄県知事は「現行案(辺野古沖合案)以外は県外移設」を公約として掲げてきた。とすれば、いうまでもないが、「沿岸案」を認めるわけにはいかない。

 故岸本前市長は「話し合い次第では沿岸案を認めてもいい」というニュアンスを保ち、後継の島袋市長もまたその考え方を踏襲してきた。

 だが、軍用ヘリが訓練のために市の上空を飛ぶからこそ危険、とされてきた普天間基地のことを考えると、いかなる事情であれ、集落の頭上を飛ばすことになる「案」には反対せざるを得ない。市長が「豊原、辺野古、安部の上空を飛ばないという大原則は堅持する」と強調するのは当然のことである。政府が、反時計に10度ずらしたからといって、飛行ルート下に集落があれば、問題外の案だ。

 辺野古の人びとは10年近い年月を、この移設問題に翻弄されてきた。普天間基地の全面撤去の背景には「県内移設」という条件が付けられたからだ。移設を義務づけられた日本政府には「より危険の少ない、すなわち宜野湾のようなまちではなく、より人口の少ない地域」という発想しかなかった。「大きな痛みをより小さな痛みで凌ぐ」考えだった。

 その先として、過疎化が激しい辺野古が選ばれた。いうまでもなく「経済振興策」という名のカネと引き替えである。
「貧乏の哀しさを十分味わったからね」
 移設受け入れ側の理屈の底にある共通した言葉である。
 
 問題は①日米同盟というものの、軍事戦略を含めてアメリカに議論を挑まない日本政府。②日本政府に欠ける日本全体の「安全保障観」。③国民・地域住民への説明不足。そして④沖縄基地の軽減・削減計画の不透明さ、がある。

 いずれも基本的な問題でありながら、対処療法的な処方が問題を複雑化させてきた。現にいまの「辺野古沿岸案」といっても、いったい国民のどのくらいがこの言葉を知っているだろうか。これがいったどのような問題を指した言葉なのか、を知っているだろうか。

 国の安全、という根幹に関わる問題を、過疎化が進む一地域だけの「決定」に委ねること自体、大いに間違っているといわざるを得ない。

 

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