《以下引用》
「最近、北朝鮮内部には(南北縦断鉄道の試運転や金大中(キム・デジュン)前大統領の訪朝など)対韓国政策に足並みの乱れが見られる。なぜこのようなことが起きているのだろうか。複数の韓国政府当局者は「北朝鮮内閣と対南事業を担当する統一戦線部は交流・協力を強化しようとしているが、体制を守り続けることに不安を感じている軍部が待ったをかけている」と話す。(だがこのような見方もある)。厳密に見れば、北朝鮮軍部と統一戦線部との間で多少意見が異なることはあり得るが、結局は金総書記の気が変わった可能性が高いということだ」(6月1日『朝鮮日報』)《引用ここまで》
つまり、金正日総書記の韓国をさらに引き寄せておくための駆け引き、と見ることができる。韓国とすれば、すねられたら、じゃ勝手にしろ、といえない男みたいなもので、やはりここは『忍』の一字、というところではないか。いや、やはりここは国家同士だから、韓国が『大人』の態度を見せるべきだ、と言うのかも知れない。
北朝鮮の『したたかさ』に比べて、韓国の「純粋さ」は特筆に値する。以下、『黄長はかく語りき』の第九回目で、そのあたりの雰囲気をお伝えする。
□民間交流
1960年代、70年代、韓国の教育現場では北朝鮮を、鬼に角が生えた真っ赤な国だ、と教えた。いわゆるこの手の〈反共教育〉は感情が先行したものであったし、その方が生徒にとってはわかりやすいという便宜性の上に成り立っていた。
だが、1990年代を相前後して、世界史の上では社会主義の夢が崩壊するなかで、唯一冷戦構造を残した朝鮮半島でも、分断された2つの国の首脳が平和的統一のための共同宣言を発表するなど緊張緩和の途上にあった。そしてこの緊張緩和は、現象的にいうならば政府間同士よりも、民間交流の方にこそ濃い色合いを滲ませていた。
パソコンの画面を見つめる喜柱先生は少し興奮していた。
「初めてのことでしたからね、平壌を訪れるのは・・・・。順安空港に降り立ったとき、北朝鮮の先生たちが歓迎してくれたのを見て、平壌も朝鮮半島の土地なんだ、人々も同じ同胞なんだ、という気持ちを強く持ちましたね」
画面には平壌郊外の順安空港に降り立った喜柱先生ら112人のツアー、全国教職員労働組合教育見学団一行を出迎えた北朝鮮の教師らが手を振る姿が映っていた。
2002年7月29日のことだった。
韓国では2000年の南北共同宣言以降、民間人による南北間交流によって、それまで閉ざされ凍結されたままだった北朝鮮に対する不信感が急激に氷解し始めていた。
「ああ同じ血が流れているんだなぁ、と。それと分断が長く続いたせいで若干の違いはありましたが、言葉もひとつ、文化もひとつ、ということを確認できましたね」
分断後初めての南北教師による交流会ということが、そもそものねらいだったから、先生たちが訪れた先は平壌市内の託児所から幼稚園、小学校、中学校といった学校関係が主だった。そして、行く先々で園児や生徒から踊りや歌の歓迎を受け、また北朝鮮教師たちの献身的な歓迎ぶりにも感動した、という。
「子供たちは非常に活発で自信にあふれた姿でした」
「政府はただで給食を与え、メニューも考え、子供たちの健康からなにからなにまでちゃんとお金を使ってしっかりやっているという印象でした」
「北朝鮮の政府は教育に対して本当によく投資をしているな、社会を導いていく上で教育が重要だということを十分認識して、いい支援をしているな、と感じましたね」
先生の話を聞きながら、〈計算された演出〉という言葉が浮かんだ。
―経済的な困難もあると報道されていますが・・・・?
「それは感じました。様々な施設や環境を通じて経済的な厳しさは感じましたが、それに比べて同胞たちは非常に自信にあふれ、活発で、精神的にも健康に見えました」
―政権が崩壊するような印象はありましたか?
「北朝鮮の体制や教育はしっかり機能しているということがわかりましたから、簡単に崩壊するとは思えませんでしたね」
―では、北朝鮮の社会が揺れている、不安な状態にあるという感じはありましたか?
「どの社会にも体制批判者はいると思います。北朝鮮にもいるとは思いましたが、それがいま北朝鮮社会を不安にさせているとは思いませんでしたね」
―豊かさとか貧しさというのは実感しましたか?
「経済的な豊かさがすべての豊かさにつながるとは思いませんが、この視察でお互いに等しく分かち合う、お互いにものを大切にするという姿を見て、心の豊かさがより大切ではないかと思いました」。(以下第10回に続く)
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