Re-Set by yoshioka ko

■行け行けどんどん、の限界

 膠着状態が続きそうだが、それぞれの政府の思惑が解決を遠のかせようとしているかに見える。アフガニスタンでタリバンに拘束されている韓国人一行のことである。

 以下韓国のメディアの記事から。
《以下引用》
 「韓国人21人を人質として拘束しているタリバン武装勢力が韓国政府との直接交渉に臨む姿勢を見せた半面、米国はタリバンの収監者釈放要求を受け入れない原則と軍事的オプションを排除しない立場を再確認し、15日目に入った韓国人人質事件が重大な局面を迎えている。5-6日に予定されたブッシュ米大統領とカルザイ・アフガン大統領の首脳会談結果に関心が集中しているが、今回の人質事態での韓国側の苦痛は十分に理解するが‘テロ勢力への譲歩はない’という原則を再確認する場になる可能性が高く、人質交渉にどんな影響を及ぼすかが注目される」(8月3日 韓国『中央日報』)《引用ここまで》

 つまり、韓国はタリバンと取引しても構わない、とにかく無事に返して欲しい、という立場だ。取引というのはアフガニスタン政府や米軍に拘束されているタリバン兵の釈放と引き替えに、ということだ。

 アフガニスタンは、前回イタリア人記者を救出した際に、拘束されていたタリバン兵を自由にさせた。このことがアメリカの不審を買い、今後は取り引きには応じない、と決めたばかりだ。アメリカは、いうまでもないが、テロとの戦争ではテロリストとの取り引きは絶対ない、という立場を堅持している。

 問題は、韓国とタリバン、そしてアフガニスタン・アメリカ連合と三者三様の姿勢の中でどう決着を図るのか、最悪の事態を迎えるのか、それとも拉致された人質が無事解放されるのか、ということになる。

 「拉致」は忌むべき行為である。しかし、そもそもの原因に遡って考えてみれば、武力を持ってタリバンを追い出した経緯から、アメリカの一国主義的な行動には一定の批判は仕方がない要素もある。そういう中での解決が求められている。

 別の見方をすれば、仮に「テロとの戦争」に異論はない、としても、自国民が拉致されたり人質に取られたりすると、国家のメンタリティがどうしても出てくる。日本は、この戦争の中でアメリカ的な判断に寄り添いつつある。背景には、ブッシュさんとその政権の理念、すなわち新自由主義、新保守主義の流れに沿ってきた。だから人質事件が起きると、「自己責任」で済まそうとする。政府は冷たい、となる。

 韓国はここ数年、アメリカとは距離を置き始めた。その分、民族自尊の考えが結構根強い。そこに今度の事件の難しさがある。「武力を使った強攻策は採らないでくれ」と懇願するしかない。

 アフガニスタンも、カルザイ政権が実行支配できているのは、首都カブールだけで、しかも最近では市内での自爆も多い。下手にタリバンと事を構えてせっかくの支配を棒に振るような事態だけは避けたい、というのが本音だろう。仮にアメリカが武力制圧をしてくれたとしても、かつてのアフガン戦争ではないが、済んだからさよならでは、混沌の拡大でしかない。

 絡まった糸をほぐすには、この事件がどのような結末を迎えようが、この事件をきっかけに、テロとはどう戦うべきかという最初の疑問に立ち戻って考えてみるしかないのではないか。行け行けどんどんでは事を荒立てるだけで、いっこうに解決には向かわない、ということをそろそろ気づくべきではないだろうか。

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