3月11日はとてもよく晴れていたが空気が冷たくて寒かった。私は少しねてから、職場のトミーと麻里子さんと3時半にコストコで待ち合わせをするため準備をしていた。
そろそろ出かけようと思った頃、「カタカタ」と家が揺れだした。それがだんだん大きくなり、やがてぐるぐると廻りだした。
物が落ちたり、家具が倒れたりするかも知れないので、私はベランダにでた。揺れは大きくなかなか治まらなかった。
少し落ち着いたところでテレビをつけると丁度「みやねや」の報道フロアーが映し出されており、豊田さんが机に捕まり何か叫んでいた。入間の地震が東京にやってきた所だった。これが、汐止めと入間の距離なのだと思う。地震直後から携帯も、家電も繋がらなかった。トミーと麻里子さんにも連絡が着かなかったので、私は待ち合わせ場所の「コストコ」へ行くことにした。
途中ガソリンスタンドで給油をして、満タンにした。
これが後になり、とても助かった。余震が続く中ガソリンを給油しているのは、私だけだった。もし少しでもガソリンが残っていれば私は給油しなかった。しかし、ガソリンはまったくなく、スッカラカンだったのだ。
道路は混んではいなかったが、車に乗っていても揺れるのがわかるくらい大きな余震が何度かあり、ノロノロ運転だった。
カーラジオでは、地震直後という事もあり、震源地とマグネチュー度7.8とだけ伝えていた。
やっとコストコの着くとコストコの駐車場は閉鎖されており、三井アウトレットパークの駐車場から入った。その頃には、もう駐車料金をとらないシステムに変わっていた。
私は立体駐車場の一階に車を止めるとコストコに向かって走っていった。
するとコストコを囲むように大勢の人が集まっていた。中には厨房の白衣を着た人もいた。
周りには未清算の品物を載せたカートが散乱していた。
シャッターは少し下りていた。拡声器を持った従業員がやってきて「余震が続くので安全確保のため閉店します。」と告げ、シャッターは閉まってしまった。人々は誘導されながらスロープを徒歩で上がり車を動かし始めた。
周りに人が少なくなってしまったが、3時45分になってもまだ、トミーも麻里子さんも来なかった。携帯が通じなかったので、そのまま4時まで待つことにした。
待っている人がすくなくなり、従業員の人が何度も「どうしたんですか?」とたずねてきたがそのたびに{
「友達と連絡が取れずに待っているんです。」と答えた。4時少し廻った頃、トミーがタクシーでやってきた。嬉しかった。
しかし麻里子さんの姿はなっかた。「むしろ危険だから、家に居ててほしいよね。」と私は行った。
その頃は、アウトレットも閉鎖していたので、トミーを載せ裏の駐車場を出たところで、車から身を乗りだし大きく手を振る麻里子さんが見えた。
私たちは叫びながら、車を路肩に寄せトミーは車から降り、麻里子さんのところへ走って行き、私は空き地で車をUターンさせた。ほんとに会えたことが奇跡だった。