教会⛪に行けない行かない

クリスチャンホームに育ち20歳で洗礼を受けた沙羅がなぜ教会⛪にいかないのか?行かないのか?ひとりごとです。

沙羅の自尊心が低い訳

2024-09-15 01:01:56 | Weblog
もしあなたがたが、聖書に従って、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という最高の法律を守るなら、あなた方の行いは立派です。

このみ言葉は聖書の中でもっとも有名なみ言葉の一つであり『隣人愛』を説いています 説教では「よきサマリア人」・宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ・・」のモデル斉藤宗次郎氏がよく引用されます。「自分を愛するように人を愛しなさい」この言葉は幼い頃に「人に親切にしましょう」「神様の子供としてみんなと仲良くしましよう。」やがて医療従事者として働くようになり「患者さんの中にキリストをみよ」と教えられてきました。しかし長い年月をかけそれがいつしか、「隣人愛」が「自己犠牲」にすり替わってましたつまり「自分のことより他人のこと」になってしまったわけです😂
他人を優先する私は、周りの人から「優しい親切なひと」「いいひと」と思われていたと思います🌟しかし、大学生になってすぐの頃、私は聞いてしまったのです「沙羅に言えば、何でもやってくれるから押し付けちゃいなよ😜」という友達の言葉を それからの学生生活はとてもつまらないものとなってしまいました😮‍💨20年近く「隣人愛」ならぬ「自己犠牲」をして生きてきた私の精神はそう簡単には変わるわけではなく、今でもついつい一歩引いてしまい自分の考えや意見を言うことができません
これが沙羅の自尊心が低い理由です「それでいいじゃない」とひとは言うけれど、しっかり自分の意見を言わなければ舐められます。沙羅は人間関係はイーブンが理想だと思います 前述の斉藤宗次郎氏の話ですが、岩手県でキリスト教に入信し、神を愛し隣人を愛することで、町の人の偏見や迫害を尊敬に変えた人と教わりましたしかし斉藤宗次郎の9歳の娘は町の人の暴力により亡くなってます 隣人愛で済まされること「隣人を愛する」ことと同時に「自分を愛し家族を守る」ことが大切だと思います。沙羅は自分を愛して心の成長させて、家族を悪い道に進まぬよう躾をし、もちろん外敵から守り、神様とひとからも信頼される(この人なら大丈夫だと思われる)人になりたかったなぁ

今日から新たにブログはじめます

2024-09-09 22:33:05 | Weblog
改めて沙羅と申します。
今までは、日々の生活や、大好きな歴史について、ごくたまに発信してきましたが、クリスチャンである沙羅が、なぜ教会⛪に行かなくなって何年も経過してしまったのか?
なぜ教会⛪に行きたいと思うのに足👣が前に進まないのか‥
そんなことを考えるブログです💭

『見よ。 私は新しいことをするそれはもう起ころうとしている。あなたがたはそれを知らないのか。』
        イザヤ書43章19節
数十年も前のこと。もう名前も場所も忘れてしまったけれど、大きなバイブルキャンプ⛺に参加しました。その時、全く知らない姉妹が横に座り沙羅の左肩に手を置きこの御言葉♬をつぶやきました。沙羅には少し前から、このイザヤ書43章19節がついてまわってました。教会⛪の礼拝🙏。福音新聞📰、祈祷会💒やラジオ📻伝道。ありとあらゆる所からこの御言葉♬が降り注いでいたのです。この姉妹は御言葉♬を唱えるとスッと席を立ちひとごみに紛れて消えてしまい、二度と会うことはありませんでした。沙羅はまだ若く、この御言葉♬に期待し、どんな恵みや変化が起こるかとワクワクしました。それから何度も春💮を迎えたましたが、人がうらやむ美女にも、みんなが憧れる有名人🙎になることも、
特別凄い才能🧠もあたえられませんでした😔
でもいつか、この御言葉🙏が成就する日がくるかもしれない
ほんのちょっとだけ期待をもって過ごしている沙羅でした😊
どうぞよろしくお願い🙏します😊