前回の続きです。
早川タケジさんと橋本治さんの対談です。
橋本さんはおっしゃってます。
「ジュリーはステージに立って、イメージリーダーやってくれてるようなところがあって、それで、普通の人間がジュリーの真似を始めると、そいつがそのまんまステージに立って、アマチュアリズムでジュリー的なものが氾濫するようになって。
80'年代はまさにそういう意味で偽ジュリー的なアマチュアリズム。
プロとしてのジュリーが、ひとりで百万人分やってたのが、今度はジュリーを百万分の1にして、ちょっとずつやってる、だからそのひとつひとつはちっとも輝かない。
ジュリーの場合は、一度全部チャラにしても、でも自分があるっていう、たんびたんびの覚悟っていうか、あの覚悟が彼を支えてたエネルギーなんじゃないか。
そういうオーラみたいなものって、覚悟しないと出てこない。
やっぱり沢田研二になっちゃうってことは、“もう普通の人間に戻れないかもしれない、化け物になっちゃってもいいんだ”っていう覚悟して突き進んじゃうところってある」
oh!ギャル
この曲、ジュリーはいまいちお好みじゃないみたいで、あまり歌いませんよね。
こんな衣装でしたっけ
わたし、あまり記憶が…
早川さん
「この衣装は2タイプ作ったんだけど、船長のはディートリッヒみたいにしようと思った。
女から女の子に何かを言ってることにしたら、おもしろいじゃないかって。
ウェスタンぽいのは、パリ風チープシックと当時ニューヨークのディスコで流行ってたローラースケートくっつけた着こなし」
憎みきれないろくでなし
これは覚えてるよ。
早川さん
「“愛の嵐”のシャーロット・ランプリングがヒント。
沢田さん、どっちかっていうと中性っぽいイメージがあったから。
帽子はグアムで売ってたポリスマンハットなんだけど、中性的イメージにあえてこういうマッチョなの合わせると、セクシーになるんじゃないかって」
う~ん、なんかすごいですね。
この頃のジュリーって、何着ても似合ってて、しなやかで、美しかったよね。