2011年3月12日 土曜日 05:00くらい
電話番号は実家・祖母の家・父の携帯。 ほとんど諦めながらの何度目かの父の携帯への電話。 息が止まり、じっと耳を澄ます。 「もしもし。」という眠そうな父の声に涙が出た。 まだ停電が回復していなかったのだから。 電話を切った後、少しだけほっとしたらうたた寝をしてしまったらしい。 電話の呼び出し音で目が覚めた。 相方からだった。 どうやら昨日からずっとかけ続けていてくれたらしい。 私の携帯の受信はまだ混乱していたようだった。 お互いの家族の無事を伝え合い、弟が不安だ、と伝えた後の励ましを貰い、電話を終えた。 聴きたかった声達の二つも聴けて、本当に落ち着いた。 携帯の時計を見ると07:00くらい。 それから職場の同僚たちからメールが届いていた。 不安でたまらなくなり弟の事を話すと、 非常にありがたかった。 でも、Twitterで呼びかけるのに、人数が一人じゃなくてもいいんじゃないか、と思った。 さっそく登録したが、使い方がわからない。 方法を見てもわからない。 なんとなく検索窓があったので、【女川】と検索してみた。 ずらっと、女川についての一言が並ぶ。 リアルタイムな掲示板みたいなものか、と勝手に解釈した。 そうすると、弟の名前が出てきた。 私の教えた情報と全く同じ情報の捜索願い。 きっと同僚なんだろう。 しばらく見ていたが、多くのツイートは女川についての情報求む、というものばかりだった。 中には情報を流している人もいたが、どの情報が信憑性が高いのか判断しづらい。 もやもやしてきた。 自分でも調べてやろうと思った。 まずは、女川原発や社員寮の位置関係・地震の状況。 あんなに頭使ったのは久しぶり。 それでも詳しい情報が欲しくて、今度はmixiの宮城県女川町のコミュニティをみつけ、 すぐに書き込んでくれた人が現れた。 それからぞくぞくと女川情報を求める人達が書き込んでくれた。 一人より二人、二人より三人、人数が多ければ手分けして情報を集めることができる。 ふと携帯が鳴った。 着信はは61から始まる番号。 弟の安否を知りたくて、不安を消したくて、一心不乱に情報を集めた。 まだ一日も立っていないし、事故になったら報道されるはず。 何せ原発施設だ。 施設内にいれば、大丈夫。 でも違ったら? もし、夜勤とか休日シフトとかで街にいたら? じゃあ、施設内にいるかどうかを調べよう。 求める情報がはっきりした。 後はやるだけ。 怖い事は考えるな。 大丈夫。大丈夫。
電気が回復してから何度も通話ボタンを押す。
相方は地震発生直後から、すぐに災害派遣で働きっぱなしのはずなので、控えた。
耳元で呼び出し音が聞こえた。
それまで無音もしくはドコモの音声案内だったのに。
良かった。これで本当に無事を確認できた。
お互いに無事を喜び合い、身の回りの人が全部無事だと知り、あとは弟だけ。
父は、たぶん地震直後で施設の復旧などで忙しくしているんだろう、と平気な声音だったが、
本当は心配で仕方なかったに違いない。
その中の一人がTwitterで呼びかけてくれると提案してくれた。
全く無力な自分が悔しかった。
私が登録して、自分でも呼びかけてもいいんじゃないか、と気づいた。
思わずクリックすると、ツイートした人が大きくなった。
推測すると、同僚の父親も協力してくれたらしい。
同僚の父親は福島にいて、ご自身も大変なのに協力してくれたその気持ちがありがたかった。
ネットとテレビと携帯を全部一度に使って、少しも重要な情報を逃すもんかと集中した。
情報提供と共有を呼びかけてみた。
どうやら、弟の住む社員寮の寮母さんをご家族に持つ方。
共有すれば更に情報の照合もできるし、信憑性も高まる。
もしやと思って通話ボタンを押すと、オーストラリアで同居していたEmilyからの国際電話。
ニュースで見て心配してくれたらしい。
それからFacebookを開くと、たくさんのむこうの友達から安否を尋ねるメッセージ。
もう5年くらい会ってないのに、こんなに気にかけてくれる友達が海の向こうにもいる。
元気が出た。
事故報道がないから、大丈夫。
しかも新しいんだ。
耐震構造は他の建物よりしっかりしてる。