今回の三連休ほど静かな、落ち着かない連休はないんじゃないかなーって思いました。
多くの皆様にご心配をおかけした弟は、金曜に女川から仙台まで自分の車で行き、
仙台の友達のところに停めさせてもらい。
関東行きのバスに乗ろうとしたところ、27日まで予約で満席だというので、
急遽方向を180度変えて、青森の実家へ向かうことにしました。
情報が入ってきづらいのですが、仙台から盛岡行のバスも運行再開したそうで。
そして盛岡から青森方面の電車も、本数が少ないながらも再開しているそうです。
心配していた両親に顔を見せることができたので、そっちの方でよかったなーと。
そして本日、原発職員の方々で、未だご家族と連絡がとれない方々の捜索手伝いの為に
再度女川へ戻りました。
twitterでも呼びかけている方もいらっしゃったので、
ご無事で避難所にいてほしいと思いました。
いろんな方面で避難所の名簿リストがアップされてますが、
なにぶん写真だもんで、読めない漢字もあり。
テキストに直そうと思ったのですが、読めないのと数千人分という膨大な量と。。。
出来ることは、その地域で未だ安否情報を求める方を見つけた際に、
そのリストで探すことでした。
今日たまたま安否情報を求めている方をみつけたので、
そのリストで探したのですが
今日は見つかりませんでした。
歯がゆくて、申し訳なくて。
今も眠れずに、あの日から続く長い一日の中にその方がいるのだと思うと
自分が無力だと痛感するんです。
客観的には、よくないんだってわかってるんです。
よく、こういった自然災害に遭った人や、ご家族が遭った人が無事であった時も、
自分だけ幸運で良いのかという罪悪感に苛まれると。
楽しい事をしたり、笑ったりする事への罪悪感。
そんな事は必要ないんだって、知識ではわかってるんです。
でも感情はそちらに向かうんです。
土日、大学の時からの友達と会ってました。
その子と話したり、まったりしたり、ただ道歩いたり。
ずいぶんと楽になりましたけど、やっぱり思い出します。
これは、徐々になんでしょうね。
回復するの。
自分にできる事を模索しながら、日常を取り戻しながら。
あの日からずっと心に残り続ける重たいものが軽くなるのはいつでしょう。
でもでもでも。
重たいものを抱えた人に支援をされても、気を遣わせてしまう可能性もあるんで。
元気でいきます。
そんで、素朴であったかくてたくましい東北の復興に協力していきます。