ブッタガヤは4回目ですが、前回来たのは15年も前で、観光地化がとても進んでいて人々が商売スレしているのが目に付きました。
そんな中で「幸」は長期旅行者に良心的な安いドミトリーを提供してくれ、オーナーは日本で働いていたインド人で日本語が達者です。
立地もスジャータ村という静かな所にあり、欧米人の長期旅行者にも人気があります。
スジャータは断食明けのブッタにミルク粥(キール)を供養して、それを食べたブッタが「中庸の悟り」を開いたコトは有名です。
この村では以前から旅行者による学校ボランティアが流行っており、わたしも前に少し日本語を教えて、当時は給食が無かったので子供たちにキールを振る舞った思い出もあります。
15年前はインドで最も貧しいとされるここビハール州が、ガンジス川の洪水によって大きな被害を受けた年で、ブッタガヤには難民の物乞いが集中していました。
その時わたしは日本寺(印度山日本寺)の図書館で働いている人の家に半月ほどホームステイして、地元のロータリークラブの人達による救済活動にも微力ながら協力しました。
そんな思い出深いブッタガヤには今回はあまり深入りせず、3日だけ居て近くの王舎城(霊鷲山)に在る日本山妙法寺に移る予定です。
ブッタガヤはおそらく世界一多くの観光客を集めている仏教聖地で、特にテラバーダ(伝統仏教)の信者を多く集めております。
伝統仏教では教義がしっかりと生活に根付いており、タイやラオスやスリランカでよく観られる托鉢がここブッタガヤでも行われています。
一方で、霊鷲山はブッタが法華経を説いたとされるマハーヤナ(大乗仏教)の聖地で、こちらは理念的な救済に特化しています。
伝統仏教が現実的なのに対して、大乗仏教は謂わばファンタジーに走っていると言えますが、その分だけ精神性の高揚が観られます。
大多数のインド人が求めているのは後者のように思え、現実的な教えよりもファンタジックな教えに人々は惹かれる様です。
こうした2つの宗派に分裂し互いに批判し合う様になってしまった仏教を、なんとかまた1つにしようと考案されたのが「一乗」の教え即ちお題目です。
この経緯については「叛逆の宗教」という本に詳しく書かれていますが、日本山が目指しているのもこの「中道」です。
話が「日本人宿」から逸れてしまいましたので、プーリーの老舗日本人宿を紹介して締めます。
このパンフレットを読めば、きっと誰もが行きたいと思われるコトでしょう。
インドの物価はこの頃に比べて倍程になっていますが、それでも700円弱で泊まれて日本に帰って来たような安心感が得られ、それはインドの喧騒に疲れた旅人にとってはオアシスの様にすら感じられます。