世界各地に数ある日本人宿の中でも、おそらく1番有名な久美子ハウスに沈没して早2週間近くになります。
バナーラスは4度目で、常宿の久美子ハウスには20歳の時に2ヶ月以上も沈没したので、トータルで3ヶ月越えの常連客となっています。
22年前の久美子ハウスは若者達がいっぱいで、今よりも女性旅行者が多く賑やかでした。
長期滞在しているベテラン旅行者達も居り、彼等は音楽教室でシタールやタブラーを習っていました。
わたしはコレと言って何かを習ったりしませんでしたが、ヨガ教室には何度か通い、サールナートの日本寺にもトータルで1ヶ月ほど滞在して学校ボランティアなどをやりました。
ガートで葉っぱを吸っているサドゥー(遊行僧)に弟子入りもしましたが、当時はまだ唱題行を1人で出来なかったので、利施と敬施しか行えませんでした。
利益や敬意を施すコトよりも「道」を施す道施がより貴いとされ、それに今回チャレンジしましたが、残念ながらサドゥーに唱題行は伝えられませんでした。
年取ったサドゥーはそもそも英語を殆ど話せず、若いサドゥーの中には大学出で英語が堪能なのも居ましたが、ヒンドゥー教に凝り固まっていて他の「道」を追求する余裕を持ちませんでした。
ヒンドゥー教は生活に根付いた宗教ですが、曖昧で分裂症気味な部分も多く、アフリカ呪術の様な側面も持っています。
これではとてもユニバーサルな宗教とは言えないので、理性的な仏教を取り入れて補完すべきだと思います。
インド初代首相のネルーもこうした思想を持ち、一向に対立の止まないヒンドゥー教とイスラム教の間に立って、平和へと導いてくれる道を仏教に求めました。
ヒンドゥー教が分裂症気味なのは「葉っぱ」のせいと思え、特に煙を大量に吸うと急性症状が出ます。
わたしも20代の頃は身体のコトなど考えずに深く吸っていましたが、感じ的にはタバコの数十倍は煙を肺に充満させないと、本物のキマリは味わえません。
葉っぱを巻いた「ジョイント」は人と人をジョイント(つなぐ)する役割もあって思い入れがありますが、流石に30代になってからは身体を気遣って食べるだけにしています。
その方が遥かにコストパフォーマンスも良く、久美子ハウスの台所でお茶を入れられるので、政府ショップのバング20円分をお茶に入れて飲んでいます。
これは一杯100円のバングラッシーよりもよく効き、半日くらいは夢見心地で居られます。
酔ってバナーラス迷路を歩けば確実に迷い、最近風邪に罹って頭がクラクラするので沢山あるヒンドゥー教寺院で休ませて貰いますが、そこの曖昧模糊とした神々はいつも旅人を歓迎してくれます。
インドは未だに分裂症の神々の国で、人々はみなその神々を崇めています。
イスラム教ではそれを邪教と見ますが、仏教では有りのままを受け入れて、ファンタジックな神々からも「妙なる法」を学べるとしています。
そもそも宗教は人が作り上げたモノなので、人それぞれに特徴がある様に、みんなそれぞれ違った発展の形をとるべきと思っています。