わたしは昨晩遅くアヨーディヤーに着きましたが、駅で寝る人の数はバナーラスに迫るほどで、構内は満員で暖かく眠れました。
外にも巡礼者向けの大型テントが幾つかあり、急速に観光地化が進んで間に合っていない宿泊施設の代りになっていました。
ラーマは「ラーマヤナー」という神話の主人公で、これは鬼ヶ島の様に描かれるスリランカを征伐して、そこに連れ去られたシータ姫を救出する物語です。
この神話はヒンドゥー教徒にとても人気があり、ラーマはクリシュナ神の転生者とされています。
ラーマと言えば、マハトマ・ガンディーが暗殺された時に「ヘイ・ラーマ」と言ったコトも有名で、彼はクリシュナの大ファンでした。
クリシュナは「バガヴァッド・ギーター」で、戦争におよび腰な王子アルジュナの軍師と成り、彼を勝利へと導いた戦好きの神様です。
ガンディーは非暴力闘争を貫きましたが、それは強大な軍事力を持つイギリスに対抗する最も有効な手段だったからで、彼はインドを勝利に導いた軍師として尊敬されており、「ギーター」を座右の書としました。
そんな訳でラーマはとても人気があるのですが、「ラーマヤナー」はファンタジックな神話なので、彼が古代アヨーディヤーに実在したかは定かではありません。
それでもラーマ生誕地には古くから壮麗な寺院があり、ムガル帝国の侵攻によって壊されモスクに建替えられましたが、そのモスクは60年程前に民衆暴動によって壊され、またラーマ寺院が再建されています。
こうしたモスクの破壊はインド各地で行われていますが、中でも「アヨーディヤー問題」は1番の注目を集めており、今年モディ首相がラーマ寺院の開眼式を行ったコトでヒンドゥー・ナショナリズムに火が付いて、インド中から巡礼者が訪れるようになりました。
モディのインド人民党はヒンドゥー至上主義と言える政策で人気を得ており、それだけにアヨーディヤーの宗教都市としての再開発はかなりの規模で進んでいます。
これは多くの雇用を生んでヒンドゥー教徒の若者達の心を掴んでいますが、彼等にイスラム教徒をどう思うか尋ねてみると、これまでになく否定的な意見が多く聴かれました。
そうした意見はどれもステレオタイプ(聴き売り)でしたが、年配者ならば昔からのヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立についてより深く語ってくれるでしょう。
それは実際に、国が二つに分裂する衝撃をインドにもたらしており、インパ紛争はこれからも続いて行くよりほか無いと思われます。
パキスタンにとって、インドでヒンドゥー教徒に弾圧されているムスリム同胞を助けるコトは重要な課題で、インドのムジャヒディン(聖戦士)組織を支援しています。
これをヒンドゥーの若者は強く非難しますが、イスラムの若者とは非難の応報になって解決の糸口は見付かりません。
そもそも何故、この2つの宗教はかくも仲が悪いのか?
それには歴史的、政治的な問題が絡んでいますが、本質的に2つの宗教が正反対の性格を持っているコトも大きな要因でしょう。
それは一神教と多神教の争いで、厳格な神と曖昧な神々との間の係争と取れます。
イスラム教徒からすればヒンドゥー教の神々などは原始的な神話のキャラクターに過ぎず、その宗教的、倫理的価値感は低俗で取るに足らないモノです。
逆にヒンドゥー教徒からすれば、イスラム教のアラーなどは人間味のないツマラナイ神で、その頑迷な教えに盲目的に従わなければならない人生などまっぴら御免です。
この宗教間の問題を解決するには、2つの宗教が共に昇華する必要があると思え、時代の進歩と共に宗教も進歩していかなければ、それはタダ社会の足を引っ張るだけのお荷物になるでしょう。
アヨーディヤーの宗教都市としての再開発にはそこまでの自覚は感じられず、ロンリープラネット(英語のガイドブック)で「ヒンドゥー教徒の票集めのタメの火遊び」と揶揄される様に、イスラム教徒の感情を全く無視したモノと映りました。
アヨーディヤーはムガル帝国の都として栄えイスラム文化が花開きましたが、今ではすっかりヒンドゥー教徒の街でイスラム教徒はまったく見かけませんでした。
わたしは旅先でよくモスクに立ち寄っり休憩したり泊まったりしますが、ここではもうムスリムは暮らしにくいと思えました。
しかし一方、ブッタガヤではイスラム教徒が増えており、そこでは少数派の仏教徒が間に入って平和が保たれていました。
やはり人の世は二極対立では上手く行かず、三つ巴でこそ上手く回って行くモノと思えました。
この地方都市は午後にたまたま飛び乗った列車で後にし、明日の朝にはビートルズが1年以上長期滞在したコトで有名になった山裾の町リシュケシュに到着します。