前回、性エナジーの「昇華」について語りましたが、これは西洋心理学でも大きなテーマになっている様です。
この旅に出てから、三島由紀夫の「音楽」という精神分析医を主人公とした小説を読んで、フロイトの理論に興味を持つようになりました。
それは簡単に言ってしまえば「人は性のタメに生きている」という理論で、それは生物として免れ得ないとしています。
そして社会はいつも、その「生きる目標」を妨害するコトで発展して来たとし、性エナジーを他の有効なエナジーに向かわせるコトを「昇華」と呼んでいます。
インドに於ける性エナジーの昇華は、かなりクレージーな苦行によって成されており、それは生産的なエナジーには殆ど結び付いていませんが、フロイトの精神分析的には有効かも知れません。
裸足で80kmも歩く苦行ではバナーラス郊外のシバ寺院を巡り、そうしたお寺ではバングラッシーやバングクッキーが参加者に振舞われたそうです。
今年、日本人でこの苦行を達成した唯一人の若者から話を聞きましたが、彼はインド人のパワーに圧倒されたと言っていました。
仕事にあぶれたインドの若者達のパワーは、お祭りの時にここぞとばかり発揮されます。
彼等はその多くがセックスはおろか自由恋愛すら経験しておらず、非常に禁欲的な社会に於いて、「生きる目標」を求めてシバに身を捧げます。
これはトルストイの「人はなんのために生きるのか」と重なり、「神を讃えるタメに生きる」のが彼等にとっての昇華と言えます。
それほどシバはインド人にとって身近で、このワイルドな神様はボンとダンスを特に愛しています。
昨晩のシバラトリのフィナーレも、インドのお祭りの例に漏れず大音量での路上ダンスへと流れて行き、ガートでは深夜まで「ボンボンボレー」とか歌って踊り狂う若者達の姿が観られました。
話を「人はなんのために生きるのか」に戻して締めますと、食べたり寝たりの欲求はわりと簡単にクリアーできますが、性の欲求を満たすコトは時に困難を伴います。
わたしは「人は性のタメに生きている」とは言いませんが、それが否定されては人類社会は成り行かないと言えます。
この難しい性の問題を、ぶっ飛んだ神様の力によって解決しようとする社会は面白いと思え、このクレージーな「破壊と創造の神」は「美の女神パールワティー(ドゥルガー・カーリーと三位一体)」を娶ったコトで、インドでも人気No.1の神様となりました。