前々回で、「日本のボブ・ディラン」は河島英五が本命としたので、それについて「ハネツギ」して置きます。
ここではディランのノーベル文学賞受賞に寄与した名曲について論じますが、わたしはこれを以前から「退廃の底」と訳して来たので、そのワケを述べます。
まず「Desolation」は名詞ではなく形容詞なので、「廃墟」と訳すのは飛躍的で「退廃」が適切かと思います。
「Row」も「街」と訳すのはムリがあり、せいぜい「横丁」と云った感じで使われる言葉なので、直訳的には「退廃横丁」が1番正確です。
しかしこれではあまり詩的とは言えないので、「Row」には「ケンカ」とか「どん底」と云った意味合いもあるので「退廃の底」としました。
アメリカの街には実際にこうした「退廃横丁」が存在し、それは日本にも曾ては存ったようで河島英五が「デラシネ(根なし草)酒場」で歌っていますが、その退廃レベルはアメリカには及ばなかったようです。
一方で、ベトナム戦争当時の沖縄には本格的な「退廃横丁」が存在し、それを描いた立松和平(同郷の作家)は書き続ける運命となりましたが、こうした「Desolation」は永遠の文学的テーマかと思います。
わたしも「Sun」の物語で「退廃の底」を描きたいと思いますが、それはドストエフスキー「悪霊」のようなドス黒いモノではなく、ディランに習った軽くて爽快感のあるモノにしたいと思います。
今回は前置きが長くなったので物語に入るのは次回にして、「デラシネ酒場」について最後に補足して置きます。
これは河島英五の6枚組追悼アルバム「天夢」のファースト-ナンバーで、荒削りなライブ演奏が光っています。
この歌では「退廃の底」と同じく「根なし草」の男女が詠われていますが、それはわたし達みんなに共通する気もして、みんなの心を軽くしてくれます。