正直私は、こうした観念的な哲学には余り興味がなく、今回お話しするのは「一切皆食う」という実際的な哲学についてです。
ヒトも動物も植物でさえも、「食う」コトなしには生きられません。
植物は土のミネラルと水と光を取り込んで生きており、これは「食う」コトと変わりありません。
その植物を「食う」コトで動物は生きられ、動物どうしで食べ合う必要生は、ヒトにはありません。
もう1つ単細胞の微生物も居り、彼等は動物と植物の共通の先祖で、その橋渡し的な存在です。
もしヒトが将来までずっと発展を続け、人口が今よりもずっと増えたとしたら、微生物を主食にする必要性が生じると思います。
もちろんキノコ類も大事ですが、それよりもっと繁殖スピードの速い、クロレラなどの光合成細菌が主食に成ると思われます。
それはともかく、今も我々は「食う」コトで「生き」られており、ヒトは動物よりも「食う」コト以外に時間を回す余裕が有りますが、基本的にはみんな同じです。
それは「不食」に到達したブレサリアンであっても結局は同じで、農聖サイオンやその腸内細菌叢を受け継いだ行善でも、腸内に共生する光合成細菌やメタン古細菌、窒素固定菌などを「食う」コトで生きられています。
光合成細菌は我々の始祖であり、まだ地球にオゾン層が無く宇宙線がダイレクトに降り注いでいた時代に、その放射線を生命エネルギーに変換して進化しました。
我々はようやく最近、この始祖の細菌を農業、医療、環境の分野で上手く利用できるように成ったトコロです。
これについては既に多くを語ってきたので、今回は「食う」コトに専念します。
光合成細菌が「食う」のは光と水とCO2の他にも、イオウ系の他の生物にとって有害な化学物質も「食べ」てくれます。
これはメタン古細菌(アーキア、水素で生きる)から引き継いだ能力で、こうした有害物質で溢れた地球を我々が住み易い環境に整えてくれました。
あと、窒素固定菌も粗末に扱えない「食客」で、彼等のお陰で植物はアミノ酸合成が出来ています。
これは植物を経ないで、動物が直接アミノ酸合成に必要な窒素を空気中から得られる可能性も示唆されております。
上のコラムで述べられている様に、我々の「食う」コト(代謝)にはまだ多くの謎が残されており、次回からはその謎を追って行きたいと思います。