日曜の朝のテレビ番組「ボクらの時代」が面白い。
対談の番組なのだが、ここには司会者が居ない。
三人の話し手が出てきて、番組の意図とは関係なしに?勝手に話をして
盛り上がる構図だとか。
大分昔にあった時事放談(じじい放談?)のスタイルを政治談議ではなく
登場人物の世界がテーマで語られる。
例えば、NHKのプロフェッショナル仕事の流儀では、司会者の男女の視野
からその人物なりを表現する格好がとられている。テレビ番組制作者の意図
が司会によって導かれるわけである。
その点、この番組は雑談の中に登場人物の人格が能動的に出されるわけで
視聴者もその言葉の中から自分の知りたい情報などを見極める面白さがある
のでは、と思う。
今回は瀬戸内寂聴と美輪明宏と若手新人作家(知らないので書かない)の三人。
80代、70代と30代の組み合わせは、やはり長老たちの話が中心に
ならざるを得ない。年老いてもなおも元気で説得力のある話しだ。
特に作家としての先輩のは「作家というもの、短命だから気をつけないと
すぐに忘れられてしまう。後に残る作家は稀だ」と後輩を気遣う。
舞台の先輩は「最近の若者では寺山修二を知らない人がいる」と時代の
流れの速さを話している。老人二人は自分たちの時代を突っ走って来た
わけだが、今の若者たちにとっての道標としてその輝きを失っていない。
美輪明宏の話に「30代で何でも分かったように思えていた自分だったが
50歳、60歳を超えるごとに知らないことが多いことに気づき、そして
今70歳を超えて初めて分かることも多いと話す」
前回は椎名誠、篠山紀信と坂東玉三郎だった。
この番組の別の面白さは、各界で中心的な人物である人が、別の世界の人た
ちとある意味での共通点を話しの中から語ることにあると思う。そして、
一般人には知りえない個々の交友の有り様についても興味深いところがある。
対談の番組なのだが、ここには司会者が居ない。
三人の話し手が出てきて、番組の意図とは関係なしに?勝手に話をして
盛り上がる構図だとか。
大分昔にあった時事放談(じじい放談?)のスタイルを政治談議ではなく
登場人物の世界がテーマで語られる。
例えば、NHKのプロフェッショナル仕事の流儀では、司会者の男女の視野
からその人物なりを表現する格好がとられている。テレビ番組制作者の意図
が司会によって導かれるわけである。
その点、この番組は雑談の中に登場人物の人格が能動的に出されるわけで
視聴者もその言葉の中から自分の知りたい情報などを見極める面白さがある
のでは、と思う。
今回は瀬戸内寂聴と美輪明宏と若手新人作家(知らないので書かない)の三人。
80代、70代と30代の組み合わせは、やはり長老たちの話が中心に
ならざるを得ない。年老いてもなおも元気で説得力のある話しだ。
特に作家としての先輩のは「作家というもの、短命だから気をつけないと
すぐに忘れられてしまう。後に残る作家は稀だ」と後輩を気遣う。
舞台の先輩は「最近の若者では寺山修二を知らない人がいる」と時代の
流れの速さを話している。老人二人は自分たちの時代を突っ走って来た
わけだが、今の若者たちにとっての道標としてその輝きを失っていない。
美輪明宏の話に「30代で何でも分かったように思えていた自分だったが
50歳、60歳を超えるごとに知らないことが多いことに気づき、そして
今70歳を超えて初めて分かることも多いと話す」
前回は椎名誠、篠山紀信と坂東玉三郎だった。
この番組の別の面白さは、各界で中心的な人物である人が、別の世界の人た
ちとある意味での共通点を話しの中から語ることにあると思う。そして、
一般人には知りえない個々の交友の有り様についても興味深いところがある。