7月10日は、真壁繁樹先生の一周忌の命日になります。
立川市内の教頭・校長を歴任し、退職後は、立川市民大学の運営に携わるなど、立川の教育に貢献されました。
また、NPO法人立川教育振興会理事としても活動され、社会教育団体立川・自然と科学の会を創設し、「夏休み科学のひろば(現・立川科学のひろば)」を立ち上げるなど、地域活動でも活躍されました。私は、このような活動を、仲間たちと継いでいこうと心がけています。
立川教育振興会の広報誌に書いた追悼文を、一部書き直して転載します。
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子どもたちと地域を愛した真壁先生
一昨年十一月、病状が悪化され先生からたくさんのことを学ぼうと、
何回か学習会をお願いしました。
長い教師生活の中からの珠玉のようなお話でした。
例えば、
「先生は一斉指導で一斉に怒ってばかり。
一人へ怒るときもみんなに聞かせてしまう。
そうでなく一人をほめることで、みんなも称賛する。
いつも拍手の良い学級になる。」
「度々ものが隠された。
『その子は心に苦しいことがあって人のものを隠す。』
みんなで楽しく一人ひとりの心がわかる励まし合える学級にしようと、実践。
その後隠されなくなった。」等々、
平易な言葉ながらハッとさせられるお話が一杯でした。
若い先生方大勢に聞いてもらいたかったです。
真壁繁樹先生は、子どもたちへの限りない愛情に溢れたステキな先生でした。
また、科学教育には並々ならぬ実践家でした。
2009年、先生は立川市立小学校科学教育センターの主幹のとき、
突然六中サイエンス部の私を訪ねてこられました。
「一緒に、科学を広める活動を・・」との、お誘いでした。
立川の科学学習活動の飛躍が始まりました。
「夏休み科学のひろば」を立ち上げ、
歴史ある科学センターをさらに発展させました。
今では、科学のひろばは約1000人、
科学センターは約300人にまで参加者が急増しました。
先生が蒔いた種は見事に実り、
「理科離れ」の社会課題に、立川は正面から立ち向かえています。
実は、先生は学生の時から、科学教育を研究され、
教育系学生の全国的な研究大会の開催に取り組んだそうです。
その頃から科学の大切さを普及する筋金入りの活動家でした。
それからずっと、科学教育をライフワークとして仕事をされてきました。
そして、亡くなられる前には、
「今後の視点は、地球と生命、人類を守る科学、
戦争のない平和な世界を子どもたちに残すこと」と、語られました。
私は遺言と受け止めています。
完全退職されても、市内20程の団体やボランティア活動に関わっておられ、
立川革新懇ニュースという会報誌のインタビュー記事で、
「高齢者も学び交流し、
地域社会を支える生き方が求められている。
それが幸せな生き方=死に方だ。
一生チャレンジ、一生青年、一生学習、一生交流」と、語れました。
正にそのような生き方を貫かれました。
この言葉に、高齢者になった私は励まされています。
私の家のベランダに
九年前、私が定年退職して
科学センターの仕事に就いた時
先生からプレゼントされた 観葉植物ハートヘデラがあり 青々と優しいハート形の葉を たくさんつけて広がって 生い茂っています 眞壁先生の生き方を 象徴しているように見えてます 毎朝、水やりをして 先生の思想と遺志を 継いでいこうと 心に誓っています
立川市立小学校科学教育センター 岡村幸保