「江戸学」の大家、法政大学の田中優子学長によると、家康は、血を血で洗う長い戦国時代から、徳川支配による封建制の完成という面と同時に、そのためであるかもしれないが、平和で安定した平穏な社会をつくろうとしたという説明になるほどと思います。この温暖な駿河湾のほとりのいちごとみかんとお茶の育つ豊かな丘で、穏やかな人々が生活する地で、江戸の方角を見つめて眠っているようにおもえです。