憲法 精神的自由権-思想良心・信教の自由
(1) 思想及び良心の自由の意義
思想及び良心の自由のうち特に良心の自由は、欧米諸国では信教の自由と不可分のものとして主張されてきました。ただし、思想の自由は表現の自由と密接不可分の関係にあるので、表現の自由を保障すれば十分と考えられ、思想の自由を独立して保障することはなく、明治憲法においても、「思想及び良心の自由」は保障されていませんでした。日本国憲法が、表現の自由や信教の自由とは別に「思想及び良心の自由」についてこれを保障する規定を置いたのは、明治憲法下で、治安維持法によって思想そのものを統制した苦い経験があったからです。
(2) 「思想」と「良心」の意味
一般には、倫理的な性格を有するのが「良心」であり、それ以外のものが「思想」であると区別できますが、憲法上、「思想」及び「良心」の意味については、両者をとくに区別する必要はないというのが通説・判例であり、「思想及び良心」とは、国家観、世界観、人生観、主義、主張などの個人の人格的な内面的精神作用を広く含むと解されています。
(3) 保障の意味
思想及び良心の自由の保障の意味としては、①国民がどのような世界観・人生観・主義・主張をもとうと、内心の領域にとどまる限り絶対的に自由であり、その思想を禁止することはできないこと(内心の自由の絶対性)、②国家権力は人の内心の告白を強制することができないこと(沈黙の自由)、③国家権力は特定の思想を持っていることを理由として不利益的な取扱いをすることができない(不利益的取扱いの禁止)ことの3つがあります。
(4) 保障の範囲
思想及び良心の自由が保障される範囲は、人の内心活動一般(広義説)であるのか、一定の内心活動に限定(狭義説)されるのかという議論があります。
広義説は、内心におけるものの見方・考え方の自由を保障することで、内面的精神作用を広く保障すると考えます。
狭義説は、内心における論理的・倫理的判断、世界観、人生観、思想体系、政治的意見など人格形成に役立つ精神活動を保障し、単なる事実の知不知のような内心の活動を含まないと考えます。