聖書通読箇所
2023年1月7日分
創世記2:15-25
2:15-25
15 神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。
16 神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17 しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
18 また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」
19 神である主は、その土地の土で、あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥を形造って、人のところに連れて来られた。人がそれを何と呼ぶかをご覧になるためであった。人がそれを呼ぶと、何であれ、それがその生き物の名となった。
20 人はすべての家畜、空の鳥、すべての野の獣に名をつけた。しかし、アダムには、ふさわしい助け手が見つからなかった。
21 神である主は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。
22 神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。
23 人は言った。「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」
24 それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。
25 そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。
今日はここが心に留まりました。
18 また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」
ここから私はマタイ12:31にある
第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これよりも重要な命令は、ほかにありません。」が思い出されました。
神様がアダムにイブを与えたように私たちに隣人が与えられていることは神様の御計画だなと思わされました。
自分が一人でないように一人だと感じている人に、一人ではないと思ってもらえるような寄り添える者となりたいと思います。