てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

ブラオイラ#146(金沢城Ⅱ:石垣の博物館編)

2016年08月28日 17時15分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
金沢城は石垣の博物館と呼ばれています。

それくらいいろいろな種類の石垣があるんだって。

これはぜひじっくり見学しなきゃと・・・。
前から思っていました。

でも金沢城、昔からそんなこと言われていたっけ?
北陸新幹線の金沢開業に向けて、金沢城を整備しはじめてから
そういうことが広く知れ渡るようになった気がする。

それにしても金沢城は本当にきれいな観光場所になりました。
昔は、城内に金沢大学があったし、いもり堀はテニスコートだったりして、
金沢城なんてとても観光地ではなくて、せいぜい石川門の前で写真を撮るくらいだけの価値だったもんね。
時間をかけて調査し、正確に復元し、観光整備して、
特に石垣の博物館とも呼べる特徴ある城として今観光地として多くの訪問者がきていることは大変すばらしいことと思う。

ということを意識して、金沢城の石垣に注目して周ってみました。


石垣には大きく三種類あります。
自然石積み・・・自然の石や粗割りしただけの石を用いた、古い時期の石垣。
粗加工石積み・・・形の整った粗加工石を用いて積む技法。
切石積み・・・割石をさらに加工した切石を用いて隙間なく積む技法。

さてこれから、
嫌というほど石と石垣ばっかり出てきます。

例えば、有名な石川門を見ても、注目するのは上部の白い建物の方ですが、


下に目を転じても、これがなかなか面白かったりする。


石川門の中の枡形の部分の石垣は、

左右で積み方が違う国内でも大変珍しい例であり、江戸中期の改修時によるとのことです。

東の丸北面石垣

金沢城初期の姿を伝える貴重な石垣。



鉄門石垣(くろがねもん)

本丸への入口の重要な場所は切石積みが多く用いられた。

こういう石垣の案内解説板があるのでグッド


歩いてよく見ると、こういう加工された石が置いてあったりします。
ここまで持ってきて使用されずにここに置かれたままだったのでしょうか。



そういえば金沢城の石垣って多くは戸室山の戸室石だったはず。
城の横にある石引町というのは戸室山からの石を引いてきた場所だから名付けられたんだよね。

苔まで生えて時代を感じます。


さわさわ・・・


戌亥櫓石垣。


そして玉泉院丸庭園の石垣群


そしてこれぞ極みの石垣がこれ


色紙短冊積石垣です。


ブラタモリでタモさんも驚いていました!

ちょいちょい水を通す穴みたいなのがあるんだよね。



土橋門石垣

あの六角形のやつ・・・。


あっ置き場所間違えちゃったのかな


二の丸北面石垣。


メインの所に来ました。


菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓石垣

カラフルな石垣で~す。


石垣だけでなく、敷石も注目!




戌亥櫓石垣。

ふむふむ



こんな穴あけちゃってさ・・・

明治期からの陸軍のしわざ。

お城といえば石垣。

このような貴重な地元の財産である石垣、
ちゃんと保全していってほしいですね。
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ブラオイラ#145(金沢城Ⅰ:金沢城は大きいぞ編)

2016年08月28日 15時22分37秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
休日の午前中は、興味のあるところをブラついて、
午後はゆっくりビールとつまみでブログを打つのがオイラの楽しみのパターンになっている。

(チンしたたこ焼きでビール)

今日は、朝早くに金沢城に行って来た。

金沢城は石垣の博物館と言われているので、以前よりじっくりと石垣巡りでもしたかったのだ。

ところが、帰って撮った写真を整理すると写真が多すぎたのでこの金沢城編は2回に分けて報告します。
Ⅰは金沢城は大きいぞ編、Ⅱは石垣の博物館編です。


さて、金沢城の大きさは日本の城の中で何番目の大きさなんだろうか?
そういう疑問が昔からあった。


加賀百万石前田家の居城だけにそれなりの大きなお城のはずだが、
ネットで検索しても、天守閣の大きさランキングだとか、人気度ランキングはあるが、
お城の大きさランキングというのは見当たらなかった。

そもそも大きさといっても比較は難しいのかもしれない、
城の面積で考えるとしても、内堀までなのか、外堀までなのか、惣構まで入れるのかなど大きさの定義が難しいのかもしれない。

いずれにしても、江戸城や大阪城、名古屋城などは別格の大きさであろうが、
金沢城はそれらに次ぐ大きさなのかそれとも・・・、
知りたいなぁ。



大きさはともかく、金沢城は相当強かったはずである。
二代目の前田利長は一時本気で徳川との決戦を覚悟していたのだから。

金沢城の守りは堅固で、

金沢の町は城を守るために二重の惣構と出丸を兼ねた三つの寺院群を配し、
城下町の道をクランクやできるだけ複雑にして城への侵入を少しでも困難にしていた。


着いたね。

石川門。石川郡方向に向いているからこの名前だ。ちなみにここは裏門である。

今日の午前中は晴れの予報です。

白壁が眩しい。

石川門をくぐると、河北門が見えてくる。

ここが本来の正門である。

菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓がド~ン!


今くぐってきた石川門に入ることができるようです。


オイラはじめて入ります。


ほぉ


石川門をくぐる人を眼下に見る。


あそこが先端。


あっ石落としの扉がありますね。


外に出ました。

これは、外に向けて鉄砲を打つ、狭間(さま)です。


さて歩こう

鶴丸倉庫だ。


武具なんかを保管していたのか。


どんどん進もう


丑寅櫓跡か


兼六園方面です。



セミがよく鳴いている。

おっ池がある。


お城にとって水は大変貴重で、犀川上流より辰巳用水を通じて、兼六園から逆サイフォンにて金沢城に水を引き入れた。

あっイモリがいる!


今回オイラが一番行きたかった場所。


辰巳櫓跡だ。


あの広坂交差点から見える、馬鹿高い石垣の頂上である。
(ここの石垣の高さは日本トップクラスと聞いたことがある)

お~いい眺めだ。


遠くに野田山が見える、前田家のお墓のある丘だ。


やっぱ、高いね。


引き返して
しばらく行くと

!?

日露戦役記念とある。

金沢城は明治以降に陸軍の施設になったので、こういうのが何か所かあります。


本丸跡

かって天守閣がここにあったのだ。

しかし、ここらへんは特に木々が多いね。
中にはこういう大物が。


妖精でも出てきそうです。




森を抜けると


戌亥櫓跡。


鉄門石垣。


そして、三十間長屋。


食器収めていたのか・・・。


下り坂をおりましょう。


薪の丸跡。


そして、人気のスポット玉泉院丸庭園に来る。


昼間でも眺めがよくて、夜のライトアップだと感動モンです。


舟と舟小屋。


おぉ!


段落ちの滝。


いい庭園です。


工事中の場所がありますが、


調査して復元工事するんだよね。


ここ注目です。

鼠多門と鼠多門橋。この橋は尾山神社に架かるんだよね。


この城の中で最も違和感のある建物。

旧第六旅団司令部跡である。
これも歴史的建造物だからなぁ、取り壊すわけにはいかないのか・・・


しかしよく歩いている、やっぱ広いよ。


そして眼下に新丸広場、

正門である大手門からのルート。本来は向こうが金沢城の正面玄関だ。
ここに多くの仕事をする侍が詰めていた建物があったんだろうね。

橋爪門。


なかなか立派です。


番所とは、


ここに監視する者がいたわけね。


極楽橋。


極楽とは・・・尾山御坊の名残か。


ありゃなんだ!


また陸軍か・・・。

残念・・・。

そして、石川門に戻り、金沢城を出ました。

これが今回オイラが歩いたルート。

けっこうな距離でした

これほどマジマジと金沢城を見た事はなかったのでいい経験になりました。
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天皇論・・・続き

2016年08月28日 00時42分00秒 | 【ヒゲ親父】思考日記
朝生の番組では、
生前退位については、
平成天皇のお気持ちを受けての退位は特に問題ないが、
それを一代限りの特別立法とすべきか、皇室典範改正の恒久法とすべきかが論点だった。

そして、議論は、女系天皇論へ、

保守派3名程度は、絶対男系維持!!!

だけど、大勢は女系天皇への道だった。
現時点での厳しい現実状況と時代の流れからというのだ。


でもね・・・・・・・・・・、
オイラも時代遅れかもしれないが、絶対男系維持なんだよね・・・。
時代が変わろうとも、
変えてはいけないものがあると思うんだよね・・・。

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