ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

日米安保をめぐって(その3)

2025-04-06 09:22:30 | 日記
(承前)

4.何が問題なのか。それは、1951年に調印された日米安保条約(旧条約)が「片務的」な内容の条約だったことである。旧条約は、日本が米軍に基地を提供する一方、アメリカの日本防衛の義務を明記しない内容、つまり「片務的」な内容だった。

そのことの何がマズイのかーー。日本は憲法9条で「戦争の放棄」を謳っているため、自衛権の行使ができない。そこで、日本の国家防衛を肩代わりしてくれる他国の軍隊が不可欠になる。その軍隊は、(現に日本に駐留している)米軍が適任であり、それ以外にないということになるが、その米軍に日本防衛の義務がないとなると、日本は丸腰で孤立無援の窮地に立たされることになってしまうのである。
そこで岸信介首相は、1960年の条約改定時に、アメリカに日本防衛の義務を課すように要求し、アメリカもこれを了承した。アメリカ側の当事者(当時の米大統領はアイゼンハワー)は、日本側の要求を尤もだと認めざるを得なかったのだろう。

5.注目すべきは、この条約改定を境に、アメリカの日本に対する態度も、また日本のアメリカに対する態度も、ガラリと変わったことである。

アメリカ政府はこの「新条約」の内容を踏まえて、「我が国の軍隊は日本を守るために日本に駐留してやっているのだ。だから日本も応分の駐留経費を分担せよ」と言うようになり、日本政府も、「我が国を守っていただいているのだから、アメリカの要求は無視できない」と考えるようになった。
日本政府の対米依存、対米追従の姿勢はこうして出来上がったと見ることができる。結局、日本政府は、1978年、アメリカ側の要求に応えて、多額の「思いやり予算」を支払うことを決定したのである。

(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日米安保をめぐって(その2)

2025-04-04 09:11:28 | 日記
(承前)

日米の間に安保をめぐってどんな交渉の経緯(いきさつ)があったのか。
以下、私の理解を簡単にまとめておこう。

1.すべての始まりは日本が戦争に敗け、敗戦国になったことにある。戦った相手は、言わずと知れたアメリカ。戦勝国のアメリカは日本を骨抜きにして、「二度と戦争のできない国」にしようとした。そのためにGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のマッカーサー司令官は、「戦争の放棄」を謳う「t平和憲法」を日本に作らせ、これをあたかも日本国民自らの意思であるかのように信じ込ませた。

GHQ(=アメリカ)が日本につくらせた「日本国憲法」の条文は、Wikipedia によれば以下の通りである。

第二章 戦争の放棄 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


2.しかし、やがてソ連、中華人民共和国などの共産主義勢力が台頭してきたため、アメリカはこれを脅威に感じ、日本を「防共の砦」にしようと企てた。そのため「進駐軍」を「米軍」としてそのまま日本に駐留させた。
(このことは、サンフランシスコ講和条約と同時に調印された「日米安保条約」(1951年)に反映されている。このときに調印された日米安保条約(旧条約)では、日本が米軍に基地を提供する一方、アメリカが日本を防衛する義務は明記されていない。アメリカが日本を守る義務はない、と取れる内容だった。)

3.1950年6月、朝鮮戦争が起こると、アメリカは基地の提供だけでは飽き足りず、日本に再軍備を要求するようになった。(経済復興を遂げることが先決と考えた吉田茂首相は、これを断り、代わりに「警察予備隊」を作ることで折り合った。)

ったく、アメリカのご都合主義もひどいものだぜ。新憲法では、二度と戦争ができないように「戦力の不保持」を謳わせながら、都合が悪くなると、今度は日本に再軍備を要求するなんて・・・。
そんなアメリカのご都合主義に振り回されず、自分の主張を貫いた吉田首相は立派だったと思うよ。

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日米安保をめぐって(その1)

2025-04-02 09:57:22 | 日記
そのニュース映像を、私は何度も見た。

トランプ大統領は日本について言及し『日本を好きだし、日本とはすばらしい関係にある。しかし、日本との間には興味深いディールが存在する。我々は日本を守らなければならないが、日本は我々を守る必要がない。直接は関係しないが、日本はアメリカとの間で経済的に富を築いた。しかし、いかなる環境においても日本は我々を守らなくてよいのだ。いったい誰がこんなディールを結んだのか』と述べて、日米安全保障条約の内容が不公平だという認識を示し、不満をにじませました。
(NHK NEWS WEB 3月7日配信)

NHKだけではない。「日米安全保障条約の内容は不公平だ」と不満を鳴らすトランプ米大統領の映像は、民放の報道番組でも何度となく流された。
「これは大変だ!いざというとき、アメリカは日本を守ってくれないかもしれない」というわけである。

だが、この映像を見るたび、私はむかつき、「こいつ、何を言っているのだ!」と、沸きたつ怒りをおさえられなかった。
「この暴走老人は、日米安保をめぐる過去の日米交渉の経緯(いきさつ)を知らないのだろうか、それとも、ボケたせいで忘れてしまったのだろうか⁉」

ひとことで言えば、日本を「戦争ができない国」にしてしまったのは、アメリカではないのか!ーー私はそう思っている。
アメリカはその昔、日本を丸裸にし、武器を持たない(持てない)国にしてしまったのだ。

武器を持たない(持てない)国は、自分の国を守るためにも、アメリカを守るためにも、戦うことができない。
「日本はアメリカを守らない」とトランプ米大統領は宣(のたま)うが、日本を「アメリカを守れない国」にしてしまったのは、ほかならぬアメリカなのだ。
オイラをこんなカラダにしたのは、アメさんよ、あんたなんだぜ。

「平和国家」といえば聞こえはいいが、要するにキン●マを抜かれた腑抜けの国家、それが今の日本にほかならない。日本をそういう国にしてしまったのはアメリカなのだということ、そのことをこの半ボケ暴走老人は知らないのだろうか!

まあ、そう言ってしまっては身も蓋(ふた)もないので、日本という国の安全保障をめぐって、日米間にこれまでどういう経緯(いきさつ)があったのか、順次これを見ていくことにしよう。
日本だってこれまで、丸腰の現状に甘んじることなく、ご主人であるアメさんの言いつけにも従い、それなりに(できる範囲で)武器を備える努力はしてきたのだぜ。

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドラマ「御上先生」について(その2)

2025-03-31 09:34:05 | 日記
(承前)

先週の日曜日(3月23日)に最終回をむかえたテレビドラマ「御上先生」。私がこのドラマに対して不満をいだくのは、もっぱら以下に述べる二つの点に関してである。

第一に、私はこのドラマの終わり方が気に入らなかった。第1回の登場場面では(上から目線が強すぎたため)生徒たちに疎んじられていた御上先生が、最後には生徒たち全員から感謝されて終わる、というメデタシ、メデタシの大団円は、「いかにも」にして「ありがちな」学園ドラマの典型であり、(御上先生が常々批判していた)「熱血教師の学園モノ」とさして変わらない。
こんな陳腐かつ安易な終わり方しかなかったのだろうか。エンディングにも、このドラマにふさわしい意外性に充ちた終わり方が欲しかった、ーーその「もうひとひねり」があればよかった、と私は思うのである。

第二の不満点は、公務員(総合職)の採用試験会場で、男子受験生を刺殺した真山弓弦(堀田真由)の、その犯行の動機を明らかにしないまま、このドラマが終わった点である。
冴島先生(常盤貴子)の一人娘である弓弦は、なぜそのような行為をしたのか?
たしかに、一応の答えが示されていないわけではない。第3話で、刑務所に面会に出向いた御上先生との対決場面で、このドラマの作者はこういう答えを用意していた。「弓弦は世の不正を正すためにそれをしたのだ。弓弦の行為は一種のテロだったのだ」と。
いや、そうではない。正確にいえば、これは御上先生の口から出た言葉であり、言ってみればこれは御上先生が作り出した解釈の産物である。

「きみは世の不正を正すためにそれをやったのだろうが、そんなテロまがいのやり方では、世の中はちっとも変わらないよ」

というのが、御上先生の言いたかったことなのである。

だから、これは御上先生が弓弦の行為を理解しようとして生み出した一方的な解釈の産物であるとともに、ドラマの作者が主人公の志を(視聴者に)明示する道具立てとして設(しつら)えた舞台装置の一コマでもあり、いずれにしても弓弦がそれをしたホントの理由ではない。そう私は受け取った。
その上で弓弦の心の内奥にあるホンネの部分を、私は知りたいと思ったのである。自分はなぜそんな行為をしたのか、ーーもし弓弦自身が自分の言葉でそれを口に出したら、それはどんな内容になるのか、それを私は知りたかったのである。

最終回で、きっとそのホンネの部分が明かされるのだろう、ーーそう私は予想し期待していた。実をいうと、私はそのホンネの部分を自分なりにこう読み解いていた。

弓弦の母親・冴島先生は、キャリアの文部官僚だった夫から隣徳学院への不正入学の斡旋を強要され、渋ったためにこの夫から常日頃、激しいDVを受けていた。
夫からの暴力に苦しむ母親の姿を見て育った弓弦は、暴力への怨念を募らせながら、「キャリア官僚=悪」との思いをしだいに深め、その報復のために公務員(総合職)の試験会場に乗り込んで「テロ」を行ったのではないか、ーー私は勝手に、そんなふうに読み解いていた。
もっと別の解釈があるのかもしれないが、いずれにせよ、そのホンネの部分に立入ろうとしなかったこのドラマのエンディングが、私には不満だったのである。

最後に、ひとつお願いがある。TBSには、弓弦が育った家庭環境をメインステージにした、もう一つのスピンオフ・ドラマを作っていただけないだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドラマ「御上先生」について(その1)

2025-03-29 09:22:08 | 日記
テレビドラマ「御上先生」が終わった。日曜日の夜9時からTBS系列で放送されたこのドラマはとても面白く、私は毎週欠かさずこれを見ていた。
私が通うデイサでもおおむね好評で、何人かのスタッフがこれを見ていた。
このテレビドラマは私にとっては、デイサ・スタッフとのコミュニケーション・ツールとしても大いに役立ったのである。

このドラマが最終回をむかえた今、この回を中心に、総括の意味で若干の感想を述べたいと思う。「感想を」と思ったのは、このエンディングに私はちょっぴり不満があり、これを吐露したいと思ったからである。

このドラマのコンセプトは、全体として大きく二つある。
一つは、主人公の御上先生(松坂桃李)の教えによって、大学受験をひかえた高校3年の生徒たちが「自分の頭で考える」ことを学び、成長していく姿を描くことである。
最終回もご多分にもれず、自分が(政治家の父親の口利きで)進学校・隣徳学院に不正入学したことを知り、思い悩んでいた女子学生・千木良(高石あかり)が、(社会正義の権化さながら)この不正を暴こうとする、新聞記者志望のクラスメート・神埼(奥平大兼)の追及を受け、窮地に立たされながら、この窮状をどう打開するかがこの回の第一のメインテーマだった。

このドラマのもう一つのコンセプトは、教育現場の不正を暴き、我が国の教育制度を根本から是正しようとする御上先生の奮闘を描くことである。文科省の官僚だった御上が隣徳学院に教師として赴任したのも、こうした社会変革の動機からにほかならなかった。

第一のコンセプトに関していえば、女子生徒の千木良が自ら見出した解決は素晴らしいものだった。彼女は隣徳学院を中退したあとで高卒認定試験を受け、自分の力で大学に入るのだと決意を述べる。

もう一つのコンセプトである「教育現場の不正を暴く」という点に関しても、最終回で、御上のこの目的がみごとに達成されたことが描かれた。
御上の文科省の同僚・槙野との連携により、永田町(政治家)の望み(家族の不正入学)を霞ヶ関(文科省の官僚)が隣徳学院(理事長の古代)に取り次ぎ、その見返りとして隣徳学院側が莫大な補助金を手に入れる、という政・官・学の癒着の構図がみごとに暴かれたのである。

それはそれでとても良くできたドラマだった。だから、私が不満をいだくのはこの点ではない。私はこのドラマを秀作だと認めるのにやぶさかでないが、その上で、「この点をこうしたら、もっと良かったのになあ・・・」と残念に思うのである。
私が不満をいだくのは、もっぱら以下に述べる二つの点に関してである。
(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする