降る雪や 明治は遠くなりにけり。
きょうが「あの日」なのだな。あれからもう14年がたつのか・・・。「十年ひと昔」というくくりでいえば、14年は「ひと昔半」ということになる。私が「あの日」を「遠くなりにけり」と思ってしまうのも、無理からぬことだ。
14年前の「あの日」、2011年の3月11日は忘れもしない、私が脳出血に倒れ、救急車で隣町の救急病院に運ばれた日である。それはまた「東日本大震災」があった日でもある。
「その日」のことは、記憶がだいぶ薄らいでいるが、(毎年、「その日」が近づくと必ずといっていいほどテレビで流される)大津波の映像が、「その日」の記憶をまざまざと呼び覚ましてくれる。
記憶の中によみがえるのは、病院の大型テレビに映された映像である。爆発して煙を上げる原発ーーフクシマ第1原発ーーを背景に、枝野官房長官(当時)が事故処理の経過を逐一報告していた。津波の映像より、原発の上空を飛びかう自衛隊ヘリ機の映像のほうが強く私の印象に残っている。
そんな私からすると、ここ数年の「あの日」の出来事を伝えるテレビの映像には、少なからず違和感をおぼえざるを得ない。ここ数年、テレビは「あの日」の記録として、大津波の映像ばかりを垂れ流すようになった。しかし私からすれば、「あの日」は「大津波」の記念日であるよりも、まずもって「原発事故」の記念日なのである。
(私の知る限りでは、「あの日」を「原発事故」記念日として取りあげたテレビ番組は、NHKの「”傷み”とともに〜西田敏行の知られざる故郷の物語〜」(昨夜0時35分より放送)だけである。
ちなみに新聞では、朝日新聞が「東京電力福島第一原発事故により放射線量が高く、人が住むことができない帰還困難区域が福島県内の7市町村に残る」と伝え、社説では「東電の事故から14年 原発災害の忘却にあらがう」と題して「事故の経験という『出発点』を忘れてはならない」と論じている。)
ともあれ、「あの日」を境に、原発の安全性への神話は大きく崩れ去った。事故によって周辺の広大な地域は放射能に汚染され、立入禁止区域になった。そこに住んでいた5万人近くの住民が避難を強いられ、さながらジプシーの群れのように全国各地をさ迷うことになった。避難所で死亡した被災者も少なくないと聞く。
原発事故のそんな爪痕がまざまざと残る中、日本政府が早々と原発推進策を打ちだしたことが、私には信じられなかった。事故への反省が何もなされないまま、事故の教訓から得られた「40年ルール」など、知らぬ存ぜぬといった態度なのである。
テレビの報道が2011年の「あの日」を「原発事故記念日」から「大津波記念日」へと改ざんしていく歴史修正主義の捏造が、私には政府の原発推進策と密接にリンクしているように思えてならない。
2011年は平成23年である。令和7年の今となっては、平成ですら「遠くなりにけり」ということなのだろうか・・・。こんな具合では、政治不信も高まるわけだわ、石破くん。
きょうが「あの日」なのだな。あれからもう14年がたつのか・・・。「十年ひと昔」というくくりでいえば、14年は「ひと昔半」ということになる。私が「あの日」を「遠くなりにけり」と思ってしまうのも、無理からぬことだ。
14年前の「あの日」、2011年の3月11日は忘れもしない、私が脳出血に倒れ、救急車で隣町の救急病院に運ばれた日である。それはまた「東日本大震災」があった日でもある。
「その日」のことは、記憶がだいぶ薄らいでいるが、(毎年、「その日」が近づくと必ずといっていいほどテレビで流される)大津波の映像が、「その日」の記憶をまざまざと呼び覚ましてくれる。
記憶の中によみがえるのは、病院の大型テレビに映された映像である。爆発して煙を上げる原発ーーフクシマ第1原発ーーを背景に、枝野官房長官(当時)が事故処理の経過を逐一報告していた。津波の映像より、原発の上空を飛びかう自衛隊ヘリ機の映像のほうが強く私の印象に残っている。
そんな私からすると、ここ数年の「あの日」の出来事を伝えるテレビの映像には、少なからず違和感をおぼえざるを得ない。ここ数年、テレビは「あの日」の記録として、大津波の映像ばかりを垂れ流すようになった。しかし私からすれば、「あの日」は「大津波」の記念日であるよりも、まずもって「原発事故」の記念日なのである。
(私の知る限りでは、「あの日」を「原発事故」記念日として取りあげたテレビ番組は、NHKの「”傷み”とともに〜西田敏行の知られざる故郷の物語〜」(昨夜0時35分より放送)だけである。
ちなみに新聞では、朝日新聞が「東京電力福島第一原発事故により放射線量が高く、人が住むことができない帰還困難区域が福島県内の7市町村に残る」と伝え、社説では「東電の事故から14年 原発災害の忘却にあらがう」と題して「事故の経験という『出発点』を忘れてはならない」と論じている。)
ともあれ、「あの日」を境に、原発の安全性への神話は大きく崩れ去った。事故によって周辺の広大な地域は放射能に汚染され、立入禁止区域になった。そこに住んでいた5万人近くの住民が避難を強いられ、さながらジプシーの群れのように全国各地をさ迷うことになった。避難所で死亡した被災者も少なくないと聞く。
原発事故のそんな爪痕がまざまざと残る中、日本政府が早々と原発推進策を打ちだしたことが、私には信じられなかった。事故への反省が何もなされないまま、事故の教訓から得られた「40年ルール」など、知らぬ存ぜぬといった態度なのである。
テレビの報道が2011年の「あの日」を「原発事故記念日」から「大津波記念日」へと改ざんしていく歴史修正主義の捏造が、私には政府の原発推進策と密接にリンクしているように思えてならない。
2011年は平成23年である。令和7年の今となっては、平成ですら「遠くなりにけり」ということなのだろうか・・・。こんな具合では、政治不信も高まるわけだわ、石破くん。