ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

幸せを感じるとき

2020-10-15 10:50:38 | 日記
けさの散策で、すばらしい言葉に出会った。
「幸せを手にいれるんじゃない、幸せを感じることができる心を手に入れるんじゃ」
ザ・ブルーハーツで一世を風靡したミュージュシャン・甲本ヒロトの言葉だという。「団塊シニア」さんの庭(=ブログ)で出会った。

この言葉が新鮮に感じられたのは、私自身がふだん「幸せ」とか「不幸せ」とかにこだわって生きていないからかもしれない。私は「居心地が良い」か「居心地が悪い」かを判断の基準に物事の良し悪しを決めている。きょうは午後からデイサへの「通勤」の日で、雨模様がちだが、私は「行くべし、GO!」と決めている。それは、このデイサで過ごす時間が、たぶん「居心地の良い」時間だからである。

けさ出会った言葉に照らして考えれば、このデイサでの時間は、たぶん私が「幸せを感じることのできる」貴重な時間なのだろう。集団で行う着座体操では、いつも居眠りばかりしている私だが、もっと心の窓を開いて、この時間のハピネスをしっかり味わわなければならない。つくづくそう思う。

先日、3歳年下の弟が我が家にやってきた。1年ぶりだろうか。私が脳出血で斃れた9年前の時の想い出話になり、「あれは不幸中の幸いだった」という話になった。車の運転中ではなく、斃れたのが建物の中だったこと(私はその時、介護付き老人ホームに両親を住まわせるべく、その老人ホームの面接室でスタッフの人たちと交渉をしていた。その場には看護師さんも居合わせた)。

斃れたのが「大震災(東日本大震災)」の起こる前だったことも、幸いだった。あと半日も遅かったら、震災の影響で、救急車は私の救助に来られなかっただろう。

旅行好きで家を空けることの多い私の連れ合いが、たまたまそのときは一緒だったことも、幸いだった。

弟との雑談で、自ずとそういう話になった。今ここにいる私の存在は、無数の偶然によって成り立っている。その偶然の中には、多くの「幸い」の要素も織り込まれているに違いない。

数日前、弟と話しながら、そんなふうに思ったことも、(「団塊シニア」さんのブログで紹介されていた)甲本ヒロトの言葉に、けさ私が心を動かされた理由なのかもしれない。この言葉との幸運な出会いも、偶然の賜物である。

コメント
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