今から40年ほど前の話になる。当時の私はまだまだ元気で、テニスに現を抜かすことが多かった。妻も同じで、ご近所の奥さんたちと一緒にテニスを楽しんでいた。
一度だけ、妻のテニスサークルに参加させてもらい、プレイをしたことがある。男性は私のほかにもう一人いた。Kさんのダンナだということで、とてもハンサムでカッコいい好男子だった。夫妻はまさに美男美女のカップルで、二人ともテニスが上手く、羨ましく思ったことを憶えている。
そのサークルの主婦たちと、妻は今も交流を続け、週に一度、テニスに興じている。あの頃は若かった主婦たちも、今では皆60代〜70代のお婆さんになっているはずだ。
先日、夕餉の食卓で、妻がボソリと呟いた。
「Kさんのご主人、亡くなったそうよ。胆管癌らしいわ。千葉大学のホームページで、自分の病気の進行について、亡くなるまでずっとブログを書いていたんだって」
Kさんのダンナ、ーーあのカッコよかった好男子は、当時は建築研究所に勤めていた。何年か前に千葉大学に移ったのだという。彼が死ぬまで書き綴ったブログは、今でも公開されていて、だれでも読むことができる。多くの人に読まれることを自ら望んだブログだから、別に隠すこともないだろう。彼のブログは、「千葉大学小林癌ブログ」と打ち込んで検索すれば、すぐに出てくる。
彼はどんなふうに死んでいったのか。余命半年と告げられた人は、どんな心境で死を迎え入れるのか。そういう関心でブログに接したために、息もつかず一気に読み終えた。
字面だけを見れば、検査で判った数値の変化とか、癌に効くとされる、どこそこのラジウム温泉に出かけた話とか、描写は詳細をきわめ、あっけらかんとした印象すらいだかせる。これが死を前にした人間なのかと驚くばかりだが、そういうものなのだろう。
たとえばこの私が余命半年の宣告を受けたとしよう。それでも私は「まだ大丈夫だ、あす死ぬことはない」と思い続け、(死の宣告を受けていない)普通の人と同じ意識で毎日を過ごすに違いない。
「まだ大丈夫だ、あす死ぬことはない」という意識は、私に漠然とした希望を与える。そういうふうにして私は、根拠のない漠然とした希望をいだきながら、半年の余命を全うするのだろう。
一度だけ、妻のテニスサークルに参加させてもらい、プレイをしたことがある。男性は私のほかにもう一人いた。Kさんのダンナだということで、とてもハンサムでカッコいい好男子だった。夫妻はまさに美男美女のカップルで、二人ともテニスが上手く、羨ましく思ったことを憶えている。
そのサークルの主婦たちと、妻は今も交流を続け、週に一度、テニスに興じている。あの頃は若かった主婦たちも、今では皆60代〜70代のお婆さんになっているはずだ。
先日、夕餉の食卓で、妻がボソリと呟いた。
「Kさんのご主人、亡くなったそうよ。胆管癌らしいわ。千葉大学のホームページで、自分の病気の進行について、亡くなるまでずっとブログを書いていたんだって」
Kさんのダンナ、ーーあのカッコよかった好男子は、当時は建築研究所に勤めていた。何年か前に千葉大学に移ったのだという。彼が死ぬまで書き綴ったブログは、今でも公開されていて、だれでも読むことができる。多くの人に読まれることを自ら望んだブログだから、別に隠すこともないだろう。彼のブログは、「千葉大学小林癌ブログ」と打ち込んで検索すれば、すぐに出てくる。
彼はどんなふうに死んでいったのか。余命半年と告げられた人は、どんな心境で死を迎え入れるのか。そういう関心でブログに接したために、息もつかず一気に読み終えた。
字面だけを見れば、検査で判った数値の変化とか、癌に効くとされる、どこそこのラジウム温泉に出かけた話とか、描写は詳細をきわめ、あっけらかんとした印象すらいだかせる。これが死を前にした人間なのかと驚くばかりだが、そういうものなのだろう。
たとえばこの私が余命半年の宣告を受けたとしよう。それでも私は「まだ大丈夫だ、あす死ぬことはない」と思い続け、(死の宣告を受けていない)普通の人と同じ意識で毎日を過ごすに違いない。
「まだ大丈夫だ、あす死ぬことはない」という意識は、私に漠然とした希望を与える。そういうふうにして私は、根拠のない漠然とした希望をいだきながら、半年の余命を全うするのだろう。