和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:子罕第九 〔13〕 我は賈を待つ者なり


論語を現代語訳してみました。



子罕 第九

《原文》
子貢曰、有美玉於斯、韞匵而藏諸、求善賈而沽諸。子曰、沽之哉、沽之哉。我待賈者也。

《翻訳》
子貢〔しこう〕 曰〔い〕わく、斯〔ここ〕に美玉〔びぎょく〕 有らば、匵〔とく〕に韞〔つつ〕みて諸〔これ〕を蔵〔おさ〕めんか、善賈〔ぜんこ〕を求〔もと〕めて諸を沽〔う〕らんか、と。子 曰〔のたま〕わく、之〔これ〕を沽らんか、之を沽らんか。我〔われ〕は賈〔こ〕を待つ者なり、と。 




《現代語訳》


子貢さんがにこにこしながら、次のように仰られました。


ここに美しい玉〔ぎょく〕があるとしましょう、それを箱に入れて暗い蔵の中へ仕舞っておくべきでしょうか、それとも、相場通りに買い取ってくれる者を求め、売り払いましょうか、と。


これに対して孔先生も、にっこりしながら次のように仰られました。


売り払おう、売り払おう、私は相場など関係なく、買い手を待つことにするよ、と。




《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

この語句の意味するところしては、一見、孔子は子貢に従ったかのように思えて、その実は、相場通りなど関係なく玉を売ってしまおうとするところに、孔子のカネに対する執着心の無さというものが窺えてきます

また、子貢も大方ですが、師である孔子の出す答えを分かっていながらも、こうしたことを尋ねるというのは、外交交渉のための弁舌を、さらに磨くためのものだったのかもしれませんね。



※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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コメント一覧

yusuke1012
カワムラさん、お早うございます。

はい!私も日ごろは、まんまんちゃん(阿弥陀如来)や日本の神々などに手を合わせながら論語を読んだりしていますが、孔子はまさに人として、師として、そして為政者として本来あるべき姿を実践されていたんだなと、強く想うところです。

これからも一緒の学んでいきましょう!!

そして後生に伝え(背中を見せ)、この国を正しい方向へと向かわせていかなければならないと思います。

あともう少しでれいわの太郎ちゃんも含め、我々世代が中心となるべきときもやってくると思いますので、それまでの辛抱!ではないでしょうか!!そのための準備つくりですかね?いまは・・・(笑)

有難う御座いました(#^.^#)
honngou2_2007
ゆぅすけ様 いつも論語の紹介有難うございます。

いつも勉強になっております。

それにしても まあ~ 現代に比べ 殆どの人が野生に近い

厳しい時代なのに 孔子は物に執着しない 殆ど 仏の境涯

に近い存在なのですね・・・今の世の中に こんな人が居て

為政者達を 厳しく叱咤して下されば どんなに素晴らしい事

か・・・
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