論語を現代語訳してみました。
子罕 第九
《原文》
子貢曰、有美玉於斯、韞匵而藏諸、求善賈而沽諸。子曰、沽之哉、沽之哉。我待賈者也。
《翻訳》
子貢〔しこう〕 曰〔い〕わく、斯〔ここ〕に美玉〔びぎょく〕 有らば、匵〔とく〕に韞〔つつ〕みて諸〔これ〕を蔵〔おさ〕めんか、善賈〔ぜんこ〕を求〔もと〕めて諸を沽〔う〕らんか、と。子 曰〔のたま〕わく、之〔これ〕を沽らんか、之を沽らんか。我〔われ〕は賈〔こ〕を待つ者なり、と。
《現代語訳》
子貢さんがにこにこしながら、次のように仰られました。
ここに美しい玉〔ぎょく〕があるとしましょう、それを箱に入れて暗い蔵の中へ仕舞っておくべきでしょうか、それとも、相場通りに買い取ってくれる者を求め、売り払いましょうか、と。
これに対して孔先生も、にっこりしながら次のように仰られました。
売り払おう、売り払おう、私は相場など関係なく、買い手を待つことにするよ、と。
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
この語句の意味するところしては、一見、孔子は子貢に従ったかのように思えて、その実は、相場通りなど関係なく玉を売ってしまおうとするところに、孔子のカネに対する執着心の無さというものが窺えてきます。
また、子貢も大方ですが、師である孔子の出す答えを分かっていながらも、こうしたことを尋ねるというのは、外交交渉のための弁舌を、さらに磨くためのものだったのかもしれませんね。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考