「財政赤字は悪でも脅威でもない」MMT提唱の米教授
朝日新聞 笠井哲也 2019年7月16日
財政赤字の拡大を容認する「異端」の理論として議論を呼んでいる「MMT」(Modern Monetary Theory=現代金融理論、現代貨幣理論)の提唱者の一人、ニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授が来日し、16日東京都内で講演した。自国通貨を発行している日本や米国は、税収による財政的な制約を課されることはないと主張。「財政赤字は悪でも脅威でもない」「債務の大きさにまどわされてはいけない」と訴えた。
ケルトン氏は、税収が財政の制約ではなく、インフレ率が制約になるべきだと主張。たとえば日本は2%のインフレ目標に達していないので、さらなる財政支出の余地があるとし、「もっと積極的に財政政策を活用して、減税で成長を下支えした方がいい」と述べた。財政赤字に対する見方を変えることの重要性も強調。「政府の赤字は、非政府部門にお金が注入されることであり、所得や雇用を増やす」とも語った。
MMTは、税は税収を得るために課されているのではなく、「所得を誰かから奪うもの。支払い能力を減らすために課す」との考え方をとるという。そのため、消費税については「消費増税の目的は消費支出を減らすことで、インフレを冷やすなら理にかなっている。だが、インフレ問題を抱えていない国にとっては意味がない」とし、政府が10月に予定する10%への消費増税に否定的な考えを示した。
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【 所 感 】
◆ MMT『現代貨幣理論』の国民的議論を
そもそもとして現代社会における『経済学』とは何なのか? その回答としては、米国の経済学者でスタンフォード大学のフーバー研究所所属のジョンH.コクラン氏が、私のような高卒(落第生)の者でも解りやすい内容で答えられています。
基本的な考えはアダム・スミスにあったのです。すべての貨幣経済学における謎は、「この紙切れのためになぜ我々はこれほど一生懸命に働くのか?」というものです。考えてみれば、それは本当に謎です。あなたも私も一日中額に汗して働き、家に何を持ち帰るのでしょうか? 死んだ大統領の絵が印刷された幾枚かの紙切れです。この小さな紙切れのためになぜ我々はこれほど一生懸命に働くのでしょうか? 誰かがそれを受け取ると知っているからです。しかしなぜその誰かはそれを受け取るのでしょうか? これが経済学の謎です 。
FTPL(財政政策と物価水準の財政理論 )はこの謎に根本的な回答を与えます。その理由というのは、米国では毎年4月15日に税金を払わなければならないからです。そして納税は、まさにその政府貨幣によって行わねばなりません。かつては羊や山羊で納税していた時代もありましたが、今は受け取ってもらえません。彼らは紙幣を取り戻したがっています。ということで、根本的には、貨幣の価値は、政府がそれを税金として受け取ることから生じているのです。
サージェントの研究はそのことを示す上で極めて素晴らしいものでした。しかしミルトン・フリードマンも、金融政策と財政政策の協調について有名な論文を書いています。ということで、ある意味においては、この理論は昔から存在していたのです。問題は、どの程度重きを置くか、ということに過ぎなかったわけです。
さらにコクラン氏は、FTPL(財政政策と物価水準の財政理論 )の議論は以前から為されていたとも述べており、わが国日本においても多くの経済学者がその理論内容を研究し結論を述べているが、ほとんどの学者は揃いも揃って批判的な立場であり、何かしらに忖度しての研究結果かと思わざるを得ないのであります。
そのような中にあって、記事のいうMMT(現代貨幣理論)というものが世を騒がせようとしています。
この理論に基づけば、これまでの経済学者の研究結果があまりに杜撰であることが証明されるのだが、それを財務省はじめ多くの経済学者は認めようとはしないのです。
結果、「MMTに騙されるな!」とはいうものの反証を示しさないことで、単なる弾圧行為としか言いようがなく、財務省や御用学者たちのやっていることは、『慰安婦問題』などの反社会的政略(反日)の本質と変わらないとも思えてくるのです。というよりも、それら反社会的政略よりもさらにタチの悪いことを、財務省や御用学者たちが企ててきたと考えるほうがしっくりくるのです。
なにわともあれ、今回、ステファニー・ケルトン教授が来日されたことを機会に、MMT(現代貨幣理論)というものが国民的議論として活溌化されることを期待したいものです。
【Front Japan 桜】MMT 対 主流派経済学 / 令和時代の日本の安全保障[桜R1/6/17]