夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2025年 3月19日(水)「今日は書くこともないので、昔書いたものを」

2025年03月19日 20時10分54秒 | 「東京日記」
本好きでしたかぁ。。。
昼下がりの片側3車線もある通りを歩いていた。トラックやタクシーやら自家用車やら。。。いつものようにたくさんの車が通り抜けていく。行き交う人々も多く、ぼうっとしていると肩が触れそうになる。
でも、なぜだろう。。。
騒音は遠くにあるようであり、車や人々は、まるでスローモーションのようにゆらゆらとして見える。
僕の足も地についているのか?
僕は空間の中を漂うがごとく歩いていた。
この変な感じは、さっきまで本を読みながらコーヒーをすすっていたコーヒー専門店を出てきたからである。
僕は好きな作家の本に集中しながら大好きなマンデリンをブラックですすっていた。本とコーヒーに気をとられていたが、時々悪寒に似た寒さを感じた。目を上げて店の中を見回すと、店の片隅だけが闇のように暗く、そこに一人の男がいる影のような気配だけが漂っていた。その影の形は、下をうつむいたように。
どうもその悪寒のような寒さに気分が悪くなり店を出たのである。
今歩く街の様子や僕のただうような足の運びは、その悪寒に似た寒さのせいかと思いながら歩いて。
しばらく歩くと大きな交差点に出た。
僕はこの交差点を渡って左に行かなければならない。長い赤の信号を恨めしく見ながら立っていた。
すると、僕の横にさっきの影のような暗闇の塊が人のような形となって立っていた。
信号はまだ赤であった。
僕の悪寒に似た寒さはひどくなる。
すると突然、地の底から響いてくるような声がした。
「そろそろ渡りましょうか。。。」という男の声である。
ふと横を見ると、影のような暗闇のような人の形は、はっきりとした男の姿になっていた。かかとまである黒いマントにフードが付いていた。フードの中の顔は、闇を塗りつけたように暗かった。右手には柄の長い大きな釜。。。。
僕はその男の声に吸い込まれるように「はい」とこたえて1歩あゆみはじめた。
男は僕の腕を取ろうとした。
僕は、もう今という時間は必要ないんだと思って男に従おうとした。信号の赤の光が大きく見えた。
もう1歩、もう1歩。。。数歩あゆもうとしたとき、僕は、さっきのコーヒー専門店に読みかけの本を忘れたことを思い出した。
「ごめんなさい。本をとってきますね」
僕は、そういって急いで振り返りコーヒー専門店に行こうと戻り始めた。
そのとき。。。。
大きなトラックが僕が数歩歩き進んだ交差点の中の立っていたところをすごい勢いで走り抜けていった。
僕はあわてて振り返った。。。。
闇のような影の男は、やはり地の底から響くような声で「ワッハッハッハ。。。」と笑い、空に浮かびながら僕を見て1冊の本を僕に示した。
その本は僕が読みかけのまま忘れてきた本と同じ本であった。
闇のような影のような男はさっと消え去った。
僕は「あの本。。。」と独り言を言いながらコーヒ専門店に引き返した。
僕の本は、ソファーの上にひかるようにおかれていた。僕はその本を手に取ると同時に思い出した。あの片隅で暗闇のような影の男がうつむいたように感じたのは、じつはあの男も本を読んでいたのかもしれない。ぎらぎらするような目をして。
僕は青白い顔をしてひきつった笑顔を浮かべながら「本好きでしたかぁ。。。」とつぶやいた。
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「3月19日という日」

2025年03月19日 06時11分40秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
本好きでしたかぁ。。。
昼下がりの片側3車線もある通りを歩いていた。トラックやタクシーやら自家用車やら。。。いつものようにたくさんの車が通り抜けていく。行き交う人々も多く、ぼうっとしていると肩が触れそうになる。
でも、なぜだろう。。。
騒音は遠くにあるようであり、車や人々は、まるでスローモーションのようにゆらゆらとして見える。
僕の足も地についているのか?
僕は空間の中を漂うがごとく歩いていた。
この変な感じは、さっきまで本を読みながらコーヒーをすすっていたコーヒー専門店を出てきたからである。
僕は好きな作家の本に集中しながら大好きなマンデリンをブラックですすっていた。本とコーヒーに気をとられていたが、時々悪寒に似た寒さを感じた。目を上げて店の中を見回すと、店の片隅だけが闇のように暗く、そこに一人の男がいる影のような気配だけが漂っていた。その影の形は、下をうつむいたように。
どうもその悪寒のような寒さに気分が悪くなり店を出たのである。
今歩く街の様子や僕のただうような足の運びは、その悪寒に似た寒さのせいかと思いながら歩いて。
しばらく歩くと大きな交差点に出た。
僕はこの交差点を渡って左に行かなければならない。長い赤の信号を恨めしく見ながら立っていた。
すると、僕の横にさっきの影のような暗闇の塊が人のような形となって立っていた。
信号はまだ赤であった。
僕の悪寒に似た寒さはひどくなる。
すると突然、地の底から響いてくるような声がした。
「そろそろ渡りましょうか。。。」という男の声である。
ふと横を見ると、影のような暗闇のような人の形は、はっきりとした男の姿になっていた。かかとまである黒いマントにフードが付いていた。フードの中の顔は、闇を塗りつけたように暗かった。右手には柄の長い大きな釜。。。。
僕はその男の声に吸い込まれるように「はい」とこたえて1歩あゆみはじめた。
男は僕の腕を取ろうとした。
僕は、もう今という時間は必要ないんだと思って男に従おうとした。信号の赤の光が大きく見えた。
もう1歩、もう1歩。。。数歩あゆもうとしたとき、僕は、さっきのコーヒー専門店に読みかけの本を忘れたことを思い出した。
「ごめんなさい。本をとってきますね」
僕は、そういって急いで振り返りコーヒー専門店に行こうと戻り始めた。
そのとき。。。。
大きなトラックが僕が数歩歩き進んだ交差点の中の立っていたところをすごい勢いで走り抜けていった。
僕はあわてて振り返った。。。。
闇のような影の男は、やはり地の底から響くような声で「ワッハッハッハ。。。」と笑い、空に浮かびながら僕を見て1冊の本を僕に示した。
その本は僕が読みかけのまま忘れてきた本と同じ本であった。
闇のような影のような男はさっと消え去った。
僕は「あの本。。。」と独り言を言いながらコーヒ専門店に引き返した。
僕の本は、ソファーの上にひかるようにおかれていた。僕はその本を手に取ると同時に思い出した。あの片隅で暗闇のような影の男がうつむいたように感じたのは、じつはあの男も本を読んでいたのかもしれない。ぎらぎらするような目をして。
僕は青白い顔をしてひきつった笑顔を浮かべながら「本好きでしたかぁ。。。」とつぶやいた。

≪過去の記事≫

【2004年】
東京も桜の開花宣言です。
今年は早いなぁ・・・・花見の準備を急がなくては!
開花宣言が出た割には寒くなりました。昨夜はだいぶ冷え込みました。
明日からは曇りだそうです。咲き急いだ桜も公開するのでは(笑)
車で出かけました。細い道を走っていたら、急に車が上下に揺れはじめました。たぶん事故が多い道なのでスピードを出さないように道路に凹凸をつけたようです。しかし何の予告もなくこのようにされてはたまりません。我が家のおんぼろ車が壊れたかとびっくりしてしまった。ハハハ。。。。
明日は春分。この日記も明日からは春のページになります。

エンジェル エンジェル エンジェル
                     新潮社文庫
            梨木 香歩  著
コウコがコンセントを入れると、熱帯魚の水槽のモーター音が「ブーン、ブーン」と鳴りはじめた。さわこは、講堂の天井扇の「ブーンー」という音を聞いた。
この「ブーン」という音は、ボケはじめていたさわこの記憶を呼び覚ます。コウコにとってもこの音のする水槽はある意味を持つ。音は重なり合っていく。
コウコは、学校の先生の偽善を偽善だと訴えられずにそんな自分をやはり偽善だと苦しむ。佐和子は、自分の邪な願いが現実になってしまったことに苦しんでいた。孫と祖母は苦しんでいる。
この作品は、「ブーン」という音に誘発されたさわこの記憶と、その記憶など知るよしもなくさわこの言葉に答えるコウコを相互に織り交ぜながら進む。さわこもコウコの苦しみは知るよしもない。
そんな二人の会話は不思議なものである。
梨木さんらしく絶妙な構成として進んでいく。内容に触れるとこの絶妙さおも伝えることになるので、後から読む方のためには触れない方がいいと思う。
感想としては、なぜこの作品のタイトルがただの「エンジェル」ではなく、「エンジェル エンジェル エンジェル」なのかということである。
コウコとさわこの自己嫌悪は、二人が直接手をくだした悪ではない。誰もが心の中に沸き起こるような邪なものだったり弱さだったりするものである。人は完全な善や強さを求める。しかし心にはどうしようもない邪なものや弱さがある。この葛藤がコウコとさわこの苦しみであり、自己嫌悪である。
エンジェルすなわち天使は完全な善であるはずである。しかし悪魔と戦う。この中に完全な善はなくなる。ある意味では自己矛盾である。
神は万物を創造した。しかし出来上がったものは矛盾したものあるということ。
水槽の中のある1匹のエンジェルフィッシュは、他の魚をすべて殺して食べてしまう。この悪魔のように見えたエンジェルフィッシュも死ぬ。コウコとさわこは庭に埋めようとする。さわこは怒りのままにそのエンジェルフィッシュを石でたたく。しかしその後「私が悪かったねえ」とつぶやく。そして続けて言う。「神様もそうつぶやくことが終わりだろうか」
完全な善である天使も完璧ではない。ましてや人は善と悪の葛藤の中にいる。こんな人間を作ってしまった神は「私が悪かったねえ」とつぶやくのか・・・・・
ここに自己嫌悪を持つ二人は救われる。
しかし、これだけなら作品名は「エンジェル エンジェル」である。
完全な善を求める人間と、邪な心を持たざるを得ない人間。完全な善である天子と、悪魔と戦うある意味では完全な善から逸脱した天使。これは「エンジェル エンジェル」である。
ではどのように「エンジェル エンジェル エンジェル」というタイトルが仕上げられるか?
それは自己嫌悪である。葛藤する心である。矛盾を矛盾としながらもその矛盾からいかに新たな自分を作るのかということである。これが最後のエンジェルであり、「エンジェル エンジェル エンジェル」は仕上げられる。
フセインを悪魔と規定をし、われわれは平和(善)を求めると天子のような心を示す。しかし悪魔とは戦わなければならない。悪魔というフセインを天上から投げ捨てる。これが神の御意思だ。しかし懺悔はしなくてはならない。神よ救いを・・・・
これでは永遠に人間の矛盾からは脱しきれない。ヘーゲルの言う矛盾を通した発展による神の意思への近づきはありえない。なぜテロという悪魔が根付くのか?この解決がなければ、地球上の富と貧富の矛盾が解決しなければならない。人間が一段高まるにはここに重きを置かなければならないはずだ。
人の心の中にある自己嫌悪や矛盾、これに気付くこと自体が神の御心に近づくことである。ここに人の発展はあり、完全なるエンジェルに近づくことである。
祖母さわこは亡くなる。水槽の台からさわこの家のお手伝いさんであった人が作った天使像が出てくる。その天子の羽はまるで鷲が羽を広げたようなものであった。しかし痕跡として天子の柔らかい羽を作ろうとしていた。

【2005年】
春ですなぁ。。。。
昨夜は強い風が吹いてなかなか寝付けませんでした。北側からの風でしたので、今日は寒くなるのかと思ったら、風もやんで穏やかな一日になりそうです。でも春の天気はわかりませんからね。
道路地図をながめていたら、有名な観光地ではないけど興味をそそる所があります。
那須の国造(みやっこ)碑などは面白そうだし(もちろん見学はできないのでしょうが資料館も近くにありそうですし)、これから桜の時期になると穴場もあるかもしれません。
もう関東内の有名な観光地には飽きましたし、ぶらっと気分転換できるようなところを探したいと思います。
春が近くなると、毎年こんなことを考えます。。。流れる雲に乗りたい。

【2006年】
すごい風でした。
       まるで台風のよう。。。。
台風が来るとテレビ局も大騒ぎで報道しますが、春の嵐で同じくらいの風速があってもそうは騒ぎませんなぁ。たしかに大雨はないですが。
買い物に行くとき、近くのマンションで外壁工事の足場があるのですが、下を通るのが怖かったです。道路には風で飛ばされてきたいろいろなものが転がっていきました。東京は上から何が落ちてくるかわかりません。。。。春の精のいたずらにしては激しすぎます。それともヒステリーでも?(笑)
夜になり風はだいぶ落ち着きました。
桃の切花の枝をこの前挿し木にしました。ここのところ温かいせいか枝のそばの土から芽が出てきました。枝から芽が出ただけなのか?土の中に音が出てきたのか?大きくなるのを楽しみにして毎日たくさん水をあげています。
そういえば、銭のなる木に花の莟が出てきました。記憶違いでなければ。。。。この銭のなる木の花は、10年とか老木になると咲くらしいです。もうだいぶ前から毎年咲いていますが、我が家の木は、結婚した頃に社宅の隣の奥さんから小さな挿し木としてもらったものだと記憶してます。もう20年の老木ということになります。
でかい植木鉢に入れておいたのですが、その植木鉢もそろそろ窮屈なようです。もっと大きな植木鉢ってあるのかな?探してみよう。
それにしても土というものの偉大さと、植物の不思議を感じます。
植物は毎年葉をしげらし花を咲かせ、実をつける。土の栄養分というものは相当なものだと実感させられます。その栄養分だけで育つ植物の効率のよさ!!
その土の栄養分は、川の氾濫や洪水、植物が落とした枯葉などによって蓄えられる。。。。自然は偉大ですなぁ。。。。

【2007年】
なんだか2月のほうが暖かだったような気きがする。。。
春の気まぐれの風は強く吹くが、今朝の強い風は北風。
金魚が1匹死んでしまいました。
なぜかな。。。。うううう
この前水を取り替えたときは元気だったのだけど。水の取替えは、3分の1ほどだったので、急激な水の性質の変化はなかったし、金魚はそのぐらいでは死なないはず。
明日公園にいって葬ってやります。

【2008年】
なんだか2月のほうが暖かだったような気きがする。。。
春の気まぐれの風は強く吹くが、今朝の強い風は北風。
金魚が1匹死んでしまいました。
なぜかな。。。。うううう
この前水を取り替えたときは元気だったのだけど。水の取替えは、3分の1ほどだったので、急激な水の性質の変化はなかったし、金魚はそのぐらいでは死なないはず。
明日公園にいって葬ってやります。

「どこから行っても遠い町」 川上 弘美  著
「どうして女は、というか、おれの知っている女たちは、事を決めたがるのだろう。
いつも、おれは不思議に思っていた。」
主人公の高之がつぶやくような言葉にこの作品ははじまる。
高之は、千秋と結婚をし、千夏という一人娘を持つ。純子という不倫相手がいる。「おれの知っている女たち」の登場人物である。そしてもう一人、高之が中学生のころに近くに住んでいた魚屋の奥さんである「春田のおばさん」の事が織り込まれていく。
男が茶の湯の釜ならば、女は瞬間湯沸かし器に見えるかもしれない。
煮えきれないのが男なら、女はすぐに「事を決めたがる」ように見えるかもしれない。
男は懐手をして悩みながらも時の流れに身を任せるのなら、女はもどかしさに裸足でも駆けて行くような瞬発性があるのかもしれない。
高之は、生活の安定がない中に家を買うという千秋に「決めたがる」女を見る。娘千夏の中に、高之は千秋を愛しているのかと「決めたがる」女を見る。順子は夫をだまし続ける事が出来ないからと離婚をすると言い出し「決めたがる」女をそこに見る。
春田のおばさんを思い出す。いつもは長靴姿のオバサンが着飾って男の元に逃げていく姿を、もどかしそうに駆けるのに邪魔な突っ掛けを脱いで裸足で駆けていく姿に「決めたがる」女を思い出す。相手の男の煮え切らない顔。。。
高之は茶の湯の釜のように煮え切らないままに懐手をしながら「決めたがる」女の中に時を過ごす。
しかし、こんな高之に対して、千秋も別れようとは言わないし、千夏は高之が継いだ実家の今では流行らない活版印刷を教えてという。順子は離婚をしても高之に結婚は求めずに恨みもしない。春田のおばさんは、逃げてたぶん幸せなうちに心臓病で死んだのかもしれない。
高之は煮え切らないままに生きているが「おれの知っている女たち」にうらまれもせずにここにいる。
これもまた不思議な事なのである。
茶の湯のかのように煮えきらずに懐手をして生きているようで、実はそんな自分のために千秋は家を持てなく、順子は自分が引き金になって離婚をした。時間の流れは止められないもので、何かしらの結果がでてしまうのである。そしてこんな自分を誰も罰せはしない。。。
高之は駄目な男なのだろうか?
どこから行っても遠い町。。。。
ある意味、男女間の普遍的な違いなのかもしれない。互いが遠い町なのだが、時の流れの中に自然に形作られる関係。
高之はたしかに駄目な男なのかもしれないが、そんな駄目な男に恨みを言ったり罰しようなどとしない女たち。
この男女間の関係は、「ニシノユキヒコの恋と冒険」に見るニシノユキヒコとその周りの女たちとの関係にも見られると思う。
もしかしたら、千秋にも順子にも高之への恨みや罰しようとする意思はないのかもしれない。どうしようもない男。。。。。あまりにも自然体の?
この男女間は、男にしても女にしても互いに互いが遠い町なのだが、同じ時間の流れに生きていく。
高之は思う。
誰もおれを罰してくれないなら「おれが、おれを罰する事しかない」と。
これがどのような顛末を高之のもとに起こるのかはわからない。
ニシノユキヒコのように墓も入れずに。。。。?
あるいは、「真鶴」の主人公の「京」の夫の「礼」のように失踪をするのか、「光って見えるもの、あれは。」の「大鳥さん」のように馬を見て逃げたくなったからと逃げてドロップアウトをするのか。
高之という男の描き方に川上さんらしい視点がありますし、それは、この間の一連の作品の中で男の姿を常に見つめる川上さんがいるということでしょう。駄目な男かもしれないが、どこか味のある男たち。。。。。そしてその周りの女たちもある意味煮えきれないのかもしれない。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
過去があり、現在という一瞬がリ、未来がある。
現在が一瞬にして過去になり、それは未来においての現在となる。
人の歴史の長い時間の流れはこうして積み重ねられてきた。一瞬の時間の流れは未来のどこに向かって進んでいるか見えにくいが、長い歴史の流れを見れば右往左往しながら間違いの中で逆流したりしながらも一つの方向に向かって進んできたことが見える。科学の発達や哲学や文学などの芸術のの発達などなど。その集約としての土台の上に立った政治。少しづつ発展をしてきたことに間違いがなく、この発展が未来の一つの方向として向かってきた。そしてこの時点から遠い時間の流れの先の未来があるわけである。
現在という今を落胆する必要はない。
ただ逆流を許さなければいいだけである。
そのためには近視眼的に今からの未来を瞬間湯沸し機的に、感情的に見てはならない。もちろん今を見つめなければならないが、見つめてからの一歩先という遠い未来を見つめていなければならない。そうしないとその目先の行動が単なる個人攻撃になり、批判のための批判となり、時には誹謗中傷という形も正当化されたり、正義のための暴力も固定肯定される。そうではなくて今現在を批判するのは、一歩前に進むものでなければならない。
今は理想的な現在という時間の一瞬にあるわけではない。社会もそのシステムも人間集団もそして個人という人間も発展してきた財産を持ちながらまだ足りない弱さを抱えているだけである。その弱さを単なる批判のための批判や個人に向けた感情的批判にしてはならない。一人の人間が生きている。そしてその一人の人間に他の一人の人間が接触している。ここに最小単位の人の弱さのぶつかりが出るだろう。しかしのその最小単位の人同士の中にもこれまでの歴史の発展した意識はある。発展してきた意識と現段階の弱さとの葛藤が未来を方向付けるだろう。
今という時代は大切ですなぁ。。。。

ムフフフ。。。

新車エコ減税     〇〇万円でテレビ購入
               ↓ 
液晶テレビ(大)1
   同   (小)2
家電エコポイント    〇万円でうまいもの注文
               ↓ 
高級牛肉ほか
全国のうまいもの    〇万円 分

有効に税金を返してもらいました。。。。
うん。。。たしかに新車を買うという出費があったわけですが、帰ってくる税金は有効に使わないとね。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
銀色夏生著「今、この瞬間だけに生きよう。銀色夏生×まっきー×ミラ」(PHP文芸文庫)が昨日発売になりました。
まっきーさんは、アカシックリーダー、ミラさんはフォーチューンナビゲーター。。。。。
なんだかよくわかりません(笑)
ミラ三は、以前占い師として夏生さんとトークをしてその本が出ています。どちらの方も早い話が占い師なのでしょう。でも占い師といっても占いだけではなくて占いの中に相手の心の中を明らかにしていくといったような心理学的な心のケアに近いものがあるのかもしれません。リーディングというのもわかりませんが、このリーディングの中にミラさんもまっきーさんもいるのでしょう。
女性三人のトークライブを1冊にまとめた本です。
さてどのようなトークなのでしょうか。。。。
夏生さんご自身もリーディングの講座などを受けていらっしゃいますが、もともと相手の心を見透してしまうような眼光鋭いものを持ちなので心を見透すお三方のトークというものかなとも思います。心をいつも見つめる夏生さん。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
18日朝日新聞6面に「ホンダ集団訴訟 米で和解が成立」という記事があった。
2003年から09年モデルのシビックのハイブリッド車が対象だという。
アメリカの関係法律やシビックの実燃費がどのくらいなのかわからないが、昔から広告の燃費と実際の燃費の違いは言われていたし、買う方も燃費は参考程度で8掛けぐらいにあるいは都市部ではそれ以下に思いつつ見ていたと思う。ましてやエアコンでも使ったり渋滞を考慮したりすれば。。。それども広告の燃費は車を選ぶときの他車との比較には十分なところがあった。
インサイトも23区内の信号機の多いところでタッチ&ゴーを繰り返してエアコンでも使えば相当広告上の燃費より下がる。それでも信号で止まっても流れの良い場合で今の季節のようにエアコンを使わなければだいたい広告上に近い燃費が出る。ハイブリッドの場合は、山道に行けば登りで落ちた燃費を下りでほとんどガソリンを食わないので燃費は上がる。地方の道を走ればリッター30キロ以上いく時もある。このように見ると「燃費が広告よりも悪く、予想外の出費を強いられた」というのはどうなんでしょ?シビックハイブリッドは通常車と同じぐらいの燃費しか出なかった?
我が家のように遠出をしたり実家の行き帰りなど距離を乗ると、以前乗っていたガソリンだけの車に比較してリッター8キロから9キロぐらいは燃費が良いような気がします。燃費は平均20キロぐらいです。これでもガソリンがリッター150円とすれば相当な額が節約になっています。満タンにして仙台往復ぐらい。。。。こう見れば燃費の良さは確かでしょう。
もちろん広告上の燃費と実燃費の開きは小さくすべきだと思いますが。。。。

【2013年】ツイッターつぶやき
日本のバブル崩壊そしてアメリカのバブル崩壊と、どうも資本主義はどこかおかしくなってきている。日本を見ればバブルの崩壊の度に国が銀行や巨大企業を救済する経済対策がとられ。今のデフレと言われる経済の低迷もアベノミクスという形での銀行や企業(巨大輸出産業)の救済です。そのたびに企業が競争力をつければ国民生活もよくなると言われて夢を持たされ、同時に企業がつぶれたらどうするんだといったような恫喝がなされる。
国民は「米百俵」などと我慢を強いられていまだに生活は苦しくなっていくばかりである。
アベノミクスでは、TPPも含めて農業の切り捨て、労働条件の切り捨て、社会保障の切り捨てといった面が強く更なる国民生活の窮状は増していくでしょう。
常に企業を救済するために国民は我慢をするというものが常態化しています。それが資本主義がどこかおかしくなっていると感じさせるものとなっているのではないでしょうか?
国民生活を切り下げ続けなけなければならないとすれば社会に何かしらの矛盾がありそれが社会の効率性を下げているという事です。効率性を上げるといわば、賃金をコストだとして切り下げたり解雇をやりやすくするなどという生産性の向上が言われるわけですが、これが真の生産性の恒常なのかといえばデフレを招いてきたわけでその中で企業の生産性は落ちていく一方でした。真の効率性あるいは生産性の向上にはならずに効率性の低下になっている。結局巨大企業はピラミッド化しているわけです。人々が苦しむばかりの巨大建造物。
企業はその利益を生産拡大に結び付けることができずに金融資産ばかりを膨らませてそれを企業収益にするという架空の企業実績の中に置かれる。そのために労働者は低賃金化が進む。民間活力という言葉は過去のものとなり、民間こそが最も効率の悪いシステムになりつつあるという事でしょう。
ですから今求められているのはアベノミクスではなくて国民生活に直結した経済政策なのです。
「所得を再配分し、個人消費を促進、投資主導で輸出依存型の成長からの転換を図るとともに、内需主導型経済に向けて都市化の次のステップ」(ロイター・「中国は大胆な経済政策へ」)という中国。日本はアベノミクス。政策だから成功するしないはあるが基本的考え方が重要です。

【2014年】ツイッターつぶやき
今朝のツイートのまとめです。
男児母「容疑者に託児、以前も」 偽名使われ気づかず - 」(朝日新聞デジタル)母親が悪いわけではない。。。昔から認可保育園には預けられずに無認可とかあった。その当時はネットなどなかったけど
もちろん無認可やネットでの保育というものが悪いわけではないのですが、認可保育園の不足がずっと続いている中での子供を預ける緊急避難という状態もある。女性の社会進出と育児の保障というものの貧困化でしょう。
安倍政権は女性の労働力の活用を成長戦略の一つとしていますが、その女性の労働力の活用をただ単に安い労働力として活用し、働く女性の育児など働ける条件作りは個人責任(自助)とするのでしょうか?
同時に女性の社会進出は管理職を増やすといったものだけではないはずです。働く権利や平等と同時にそれは経済問題であり、特に生活のために働かざるを得ない実態に置かれているわけです。シングルマザー(ファザー)の実態はこれまでも多く報道されています。
今の日本は昔から比べても共働きの経済的な必要さが増しています。その中での女性労働は家計の足しにするといったものでしかとらえ切れていない社会です。女性が社会に進出することそしてその条件を阻止しているのが政治です。
その上今度は移民を促進するという。移民を受け入れる基本的な考え方はどうなっているのでしょうか?日本の労働力不足を低賃金で補うというだけの考えならば、移民の方々の経済状態や平等はどうなるのか。今の女性労働力に対する対応と同じになるでしょう。
特に今の日本は排外的になっている。その中で移民の方も日本で生活をしなくてはならない。下手をすれば日本人労働者の下に外国の肩の労働を置くことにもなりかねない。それは女性労働を男の労働の補完としてきた日本に染み付いた体質がそうさせるでしょう。女性労働も疎外されていた。
このような労働問題や労働の差別や格差そして社会そのものが人の労働を賃金面や雇用・労働条件において軽視していることが浮き彫りになっています。人の労働の大切さ、それは人の労働なくして富やサービスは生まれないことを忘れた社会なのです。
人の労働を大切にすることが社会の中に根付いていかなければ本気で女性労働力がどうあるべきかそしてそのための条件整備に何が必要化は見えてこないでしょう。社会の中における女性の状態がその社会の民主主義の状態を映し出しているのです。

スパーに買い物に行ったらタバコ売り場のア前で店員さんがしゃがんで何かをしている。。。
なんだろと思ったら4月からのタバコの値札をつけていた。買いだめしなくてはなぁとおもいました。でも、掛国身需要が景気の判断になるのも癪ですからやめました。買いだめするほど金もなかったし。タバコも10円から20円上がるようです。
さまざまな日用品が駆け込みで買いだめされているのでしょうね。
生活の隅々に値上げがおきます。値上げしないものは中身が変わるとも言われています。
すでに円安での値上げがじわじわと生活の中に入ってきているわけですしその上その値上げされた価格にさらに消費増税での値上げが加わりますから生活は相当きつくなっていくでしょう。
アベノミクスでの景気回復は実感のない景気回復になるだろうと今まで書いてきましたが、実感のない景気回復どころかその景気回復は生活を押し下げる中でのものでしかないということですね。そしてこれが成長戦略の中身だとすれば、結局は国や企業のための景気回復でそれは国民生活の犠牲において行われるに等しいものだということでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
フリージアがたくさん開花しました。
風呂上がりにベランダに出たのですが、春の柔らかな風に良い香がしました。
しばらく香りを楽しみながら月でも見ようかと思ったのです月期はありませんでした。
残念。。。。。
赤と黄色が咲いているのですが、微妙に香りの違いがあります。
秋に球根を植えなおしたのですが、葉っぱは伸びると同時に風などで横たわってしまいました。プランタですから球根を深く植えることができなかったのも原因かな。。。。
横たわってしまった葉っぱはあまりきれいには感じないのですが、花の茎がピーンと伸びて花の芽が出てくるとあの甘い香りを思い出してずっと楽しみにしていました。
花の命は短くて・・・・
何も桜だけではなくて多くの花の命は短い。
一気に咲きだして一気に終わる。でも土の中では球根が大きくなって球根が分かれて数を増やす命の営みが続いています。そして来年はまた大きな花と数を増やしてくれます。
ちょっとかわいそうですが切り花にして部屋の中に飾りました。時々香りをかいでいます。
そういえば公園に散歩に行ったらこぶしの白い花がたくさん咲いていました。
木々の若葉もちらほら。。。。
雑草も含めて花がたくさん。
春ですなぁ。。。。。

夜半からの雨風がやんだら
空からさっと日の光が降りそそいだ
きらきらと七色の光は
桜の木にも降りそそいだ
あまりにもきれいなので出窓から眺めた
すると七色の光が集まって
3センチほどの桜の精があられた
蜂のような羽をパタパタと
枝の周りをゆらゆら飛んでいた
おやと思いながら外に出てながめることにした
桜の精は桜のつぼみに近づくと
「えいっ!」と、スティックを振り下ろした
つぼみは開かない。。。。
「開きませんなぁ。。。」思わず声をかけてしまった
桜の精はびっくりしたように振り向き
頭をポリポリと掻いて「あハハハ。。。。。」と
そして大きく息を吸い込んで「えいっ!」
「だめですなぁ。。。。」という言葉が終わらないうち
桜の花がスローモーションのように
1輪咲いた
「ほう、たいしたものですなぁ。。。」
桜の精はにこっと笑い鼻の横をかいた
それから新前桜の精はそそくさと
10輪ほどのつぼみを開かせ
また七色の光に消えていった
「ほう。。。。」しばらく桜の木下で
心の中でパチパチ手をたたいた
              (旧ホームページより)

【2018年】ツイッターつぶやき
東京は桜の花がちらほら。
明日からだいぶ寒くなるようですから今週の週末あたりはきれいかもしれません。
上野や浅草の下町の情緒が好きなのですが、桜の季節になると、東京都が運航する夜桜船を思い出します。
浅草の桟橋から隅田川下ってまた浅草に戻るコースです。都営の観光船ですからそうも高くないと思います。ちょっと飲みたいときは。。。。ほろ酔いセットも。
浅草や上野で食料を買い出しして持ち込むのも楽しいと思います。
子供たちが小さいころはよく行ったのですが、最近は行っていません。桜の花を見ると時々子の夜桜船を思い出すのですが、ついおっくにもなってしまいます。。。
お彼岸中の寒さも終われば暖かくなるかな・・・・・
東京にお出かけの際は検討してみてください。

【2019年】ツイッターつぶやき
天気が良く風もないので松葉ボタンの種をまきました。
最近は花屋さんでもあまり見なくなりました。たまにあっても数が少ないですし3本ほどひょろっと伸びたような物しかありません。わが家は去年たくさん種を採りましたので密集するように咲きます。今年で4年目かな?
ビニールのポット(花屋さんの花の苗を売っているときのもの)で19鉢まきました。
発芽率がどのくらいかわかりませんが多めに種をまいて、発芽したものの中でも途中でダメになりますから最終的には10本から15本ぐらいになります。これが成長すると枝目もたくさん出ますからボリュームがあります。
色は5色混合です。赤、白、クリーム色、黄色、オレンジ。。。。。
4年目ですから色も混ざるのか?変わった色も出ると思います。
でも、赤がどうしても強いので増えていきます。意識的に黄色や白そしてクリーム色の種を採ったのですがどうなるかなぁ。
この色の組み合わせがどう出るかも楽しみの一つです。
ポットの数が多いので花の好きな人に配ります。
阿保がどの蜂アボカドの鉢がだいぶ小さくなって窮屈そうでしたので大き目の鉢に植え替えました。もう新しい葉っぱの新芽が出はじめています。
フリージアがだいぶ咲き出しました。よい香りです。
金のなる木の花はほぼ満開できれいです。
ビオラはたくさん花をつけています。1本ダメになったところにはバージニアストックを植えましたがだいぶ大きくなりました。

朝日新聞によると、認可保育園に入所できなかった待機児童が65000人いたそうです。
今後無償化が行われた場合、さらにこの待機児童数は増加をしていくでしょう。
すでに無償化に賛成する自治多はゼロだという。待機児童の増加と保育の質の低下が言われている。
さらに待機児童の増加により認可保育園に入所できる家庭と入所できない家庭での不平等さが生じる懸念も出ている。行政のサービスを平等に受けられることができないのは差別化にもなります。
外国人労働者の受け入れを行うことを決めたが、受け入れるにしても何の具体的な物が決まっていないといわれているが、無償化についても何の具体策がない状態。
選挙目的の小手先の政策と勘繰りたくもなる。

【2020年】ツイッターつぶやき
PCR検査もしてもらえず風邪の症状でも外出を控えてじっと自宅待機の人々。そして陽性の判定を受けた人々と家族。
この実態が隠されています
生活や雇用はどうなっているんでしょ
2011年の原発事故での避難者の皆さんの苦しみと同じように見えてきます。
自己責任社会(政治)を許してはいけません
(ツイッターより)

【2021年】ツイッターつぶやき
尾身さんが記者会見をして「マンボウ」という言葉を多用したようです。ネット上では「マンボウって何?」というツイートも多くなっていたようです。
ブログでは緊急事態宣言を解除して政府は何を行うのかとして5項目の政府の提言について書きこれまでと変わり映えのない個人責任を問うものでしかないと書きました。しかし今後政府が宣言解除後に何をするのかという点ではこの「マンボウ」が最重要になってきそうです。
小池都知事が飲食店の営業時間については、唐突に罰則を設け命令を守れない場合は30万円の罰金を言い出しびっくりしました。この命令こそが「マンボウ」の正体なのかもしれません。
「マンボウ」とは「まん防」で「まん延防止等重点措置」の略です。
「まん防」は緊急事態宣言発令にまでは至らないが新規感染者数の増加傾向や医療機器を見ながら緊急事態宣言に至らないようにする措置を行うといったものです。ですから21日で緊急事態宣言が解除された場合、それに代わるものとして発令されるようになります。
しかしyahooニュースによると、その問題点を弁護士が次のように指摘しています。
「発令後の罰則の条件も政令でポコポコ追加していくことができる。政令なので、国会の審議に関係なく政府が出してしまえるので、いつ、どういう行動で罰則を受けるのかがわからなくなってしまうかもしれない。そして解除の基準、出口についても“総合的に考慮”のような形になっているし、延長の回数制限もない。これでは“まん防無限ループ”みたいな状態になってしまう。」
としています。
「罰則の条件も政令でポコポコ追加していくことができる。政令なので、国会の審議に関係なく政府が出してしまえる」これが一番危険ですし、緊急事態宣言には罰則がありませんから「マンボウ」の方が緊急事態宣言よりも国民を縛るための命令がきつくなされることになるでしょう。
第四の波をどう抑えオリンピック開催を行うか。。。。。
このためにさらに強い国民への自己責任を強いるために命令を連発していく。小池都知事の30万円の罰金のようなものも増えてくるでしょう。
21日で緊急事態宣言が解除され喜ぶ意見がテレビ画面に出てきていますが、自由が拡大するのではなく、自己責任がさらに命令という形で現れるのです。

【2022年】ツイッターつぶやき
円下落が止まらないニューヨークでは119円台になっているという。
この要因は日銀の量的緩和の継続方針によるものが大きいようです。
一方では日本では「悪い物価上昇」が起きていることを日銀は認める。
原油高や穀物相場によるものだとするが。
しかし原油も穀物も輸入をしているわけで円が下落すればその分価格は跳ね上がる。
経済成長を伴わない物価高は悪い物価高である。日銀の量的緩和が経済成長をもたらさないで、円の下落を産み、その円の下落が悪い物価高を産み、悪い物価高は経済を混乱させる。
日銀の混乱は経済をも混乱させる。

【2023年】ツイッターつぶやき
今奨学金を利用する大学生は50%ほどいるらしい。親も一人暮らしをする子の生活費から授業料まで出してあげる余裕もないでしょう。どうしても授業料ぐらいは奨学金でという人が多いでしょう。
卒業後返済がはじまりますが、月に2万円程度を15年以上返済しなければならないそうです。
大卒と言っても初任給はそうは多くありませんし、正社員ではない中小企業や不安定雇用となると賃金も少なくなるでしょう。
生活が苦しい中で奨学金の返済ですから相当生活を切り詰めねばなりません。
今の若い人は車離れが進んでいると言われていますが、車のローンを組むのは厳しいでしょう。中には結婚を躊躇する人も出ているようです。
大学進学率は50%を超えているそうですが、大学ぐらいは出ておかないと、という社会になっているようですね。その他専門学校や短大もありますから教育費は昔に比べると相当な負担になっている。昔は高校ぐらいは出ておかないとと言われていましたが、今は大学まで。昔は高卒がやっていた仕事を大卒が?
その大学に行くには子供のころから塾や習い事も。
これでは少子化にもなるのは当たり前ですね。

【2024年】ツイッターつぶやき
日銀がマイナス金利から抜け出すようです。
0.0001から0.002へ?
20倍ですが、本格的なマイナス金利からの脱却とはいかないようです。もちろん徐々に利上げするようですが、まだ出口とまではいかないようです。
企業も中小企業は厳しくなるでしょうし、住宅ローンなどもきつくなるでしょう。
ですから出口に向かうというよりも、日銀のイールドカーブの緩和ぐらいなのでしょう。
経済が今年の春闘で好転するかといえば、今まで賃上げがなかった分を取り戻すことはできない。
経済の好転がない中でマイナス金利をやめるといっても2%目標は達成されないで、円安貧乏が続く。
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2025年 3月18日(火)「輸入インフレ」

2025年03月18日 22時11分54秒 | 「政治・経済」
輸入インフレという言葉を初めて聞いた。
円安により食糧やエネルギー、原材料などが輸入した時点で高くなるのですから、この影響で日本国内の物価は上昇し続ける。たしかに輸入インフレである。
アベノミクスと日銀量的緩和により円安が進んだ。アベノミクスも日銀緩和も円安誘導ではないといわれるが、現実は円安誘導である。日本は昔から工業製品を有利に輸出し、食料やエネルギーを輸入するのが日本経済を発展させることになるとされていました。しかし、アベノミクスと日銀緩和は円安誘導により輸出産業を有利にしましたが、この円安のために輸入品の悪性の物価高につながった。このため、日本経済は発展をせずに後退をしていく。70年代、80年代とは違う経済的な構造が出来上がってしまった。それはさらなる円安に向かい、経済は縮小している。
輸入インフレは、為替での経済矛盾です。為替の経済矛盾が現実の経済の矛盾を引き起こすまでになっていますから、経済の好転は無理になっている。円安インフレは、悪性の物価高以外のものではない。これにより物価が上昇してもそれは経済の過熱からのインフレではない。物価だけが独り歩きをして上昇し続ける。経済は落ち込んでいく。これが同時に現れることは負のスパイラルで、それをスタグフレーションという。
株価は維持されているが、常に投資を呼び込まないと下落する。企業利益は金融に流れる。国家が前に出て投資を促す。このこと自体が金の流れが止まっていることであり、投資は高いバブル危機にある。
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3月18日という日

2025年03月18日 07時44分19秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
輸入インフレという言葉を初めて聞いた。
円安により食糧やエネルギー、原材料などが輸入した時点で高くなるのですから、この影響で日本国内の物価は上昇し続ける。たしかに輸入インフレである。
アベノミクスと日銀量的緩和により円安が進んだ。アベノミクスも日銀緩和も円安誘導ではないといわれるが、現実は円安誘導である。日本は昔から工業製品を有利に輸出し、食料やエネルギーを輸入するのが日本経済を発展させることになるとされていました。しかし、アベノミクスと日銀緩和は円安誘導により輸出産業を有利にしましたが、この円安のために輸入品の悪性の物価高につながった。このため、日本経済は発展をせずに後退をしていく。70年代、80年代とは違う経済的な構造が出来上がってしまった。それはさらなる円安に向かい、経済は縮小している。
輸入インフレは、為替での経済矛盾です。為替の経済矛盾が現実の経済の矛盾を引き起こすまでになっていますから、経済の好転は無理になっている。円安インフレは、悪性の物価高以外のものではない。これにより物価が上昇してもそれは経済の過熱からのインフレではない。物価だけが独り歩きをして上昇し続ける。経済は落ち込んでいく。これが同時に現れることは負のスパイラルで、それをスタグフレーションという。
株価は維持されているが、常に投資を呼び込まないと下落する。企業利益は金融に流れる。国家が前に出て投資を促す。このこと自体が金の流れが止まっていることであり、投資は高いバブル危機にある。

≪過去の記事≫

【2004年】
昨日は、風が強かったので洗濯物もすぐに乾きました。ものすごい風で洗濯物が飛ばされそうでしたからすぐ家に入れました。今日も午前中はすごい風でした。
今は雨・・・・
昨日公園の桜のつぼみを見たら、もうつぼみの先はピンクでした。
今年は2週間ほど早くなりそうです。
この雨で1日ぐらい開花も遅くなるかな?
あまり早く咲きはじめてもなぁ・・・・・
まだ花見の心の準備ができていない(笑)
そらさんのHPを見たら、お子さんが幼稚園の卒園で4月には入学式でしょうから・・・・そのころに桜が終わってしまうのもかわいそうです。

【2005年】
さて出かけようかと玄関に立ったら、「ピンポン~♪」と。誰だろと出てみたら隣のご主人。お休みだったようでパジャマで。。。。。何事かと思ったら「雨ですよぉ~♪」そういえば布団を干していたのだ!。。。。助かりました。
布団を部屋に入れてそそくさと雨の中を車で出かけました。
夕方には雨はやんだのですが、帰ってから車を見て「??」何だかフロントガラスの汚れは気になっていたのですが、降りてみると車全体がほこりをかぶったように白くなっていました。
風が強かったから黄砂?それとも。。。。。まさかスギ花粉?
見ただけで暗示にかかりくしゃみを連発。
ぬれた雑巾でフロントガラスを拭いてみたら、なんとなく薄緑色っぽい汚れでした。
やはりスギ花粉だったのでしょうか?だとすると、殺人的な量でした。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
きのう。。。
駅に向かい商店街を歩きつつ信号待ちをしていたら、ないやら長唄?のような歌をうなり声が。。。
後ろを振り向いたら、変なおやじがその長唄らしきものを大きな声で歌っている。
あまり気にもしなかったが、信号が青になって歩き始めたら、そのおやじが僕の歩調と同じスピードで追いかけてくる。なんだか人の後を追いかけてくるようでいやだなぁと思った。後ろからは長唄らしき歌がずっと聞こえる。
しかし、そのおやじが僕の後をぴったりとついてくるということでもなさそうだと気づいた。
「歩行とパチンコ屋さんの軍艦マーチの法則」である。
パチンコ屋さんから軍艦マーチが大きく歩道まで聞こえると、その歩道を歩く人々はみなその軍艦マーチのリズムに従い同じように歩いてしまうという法則。
そのおやじは自分で歌っているのだから歩調もその歌に合うはずで、どうも僕がそのおやじの長唄らしき歌のリズムにつられてゆったりを歩いてしまうことから僕とそのおやじの歩調はぴったりとなってしまうのだろう。。。。
どうしても抜け出せないリズム。。。。歩調は勝手におやじの歌に合ってしまう(笑)
どんよりと歌にあわせて。。。
「こりゃ、いかん!」と思い意識的に早足で歩く。
ちょうどそこに薬局屋さんもあり、花粉対策のマスクもなくなっていたので逃げ込むように入った。
マスクを買って乗りたい電車には10分ほどあったので、いつものコーヒーショップへ。
コーヒーをすすり読みかけの本をぺらぺらめくっていたらもうあの親父のことはすっかり忘れた。急いでコーヒーを飲み干しながら一服して駅の階段を登ってホームで電車を待っていた。
するとどこからかまたあのおやじの長唄の声。。。
ホーム上を見渡したら、なんとあのおやじが立っていた。気持ちよさそうに長唄を歌いながら。。。。。うううう

【2008年】
ううう。。。。ん、やっと肩の荷が降りた・・・
なんて大げさですが、梨木さんの「沼地のある森を抜けて」の感想を入れ終わりました。難しい作品でした。
梨木さんご自身がまだ到達点を探してさまよっているようにも思うのですが。。。。でも、その即席が大事ですし、読者もそれを追いかけるのが楽しい。
作やは、久しぶりに鶏モツと砂肝の花山椒煮を作りました。
少し作りすぎたかなと思ったのですが、のんびり晩酌をしていたらいつのまにかなくなっていた。妻や子供たちにも人気でした。
手抜きのスパゲッティーサラダ。サラスパを茹でて、スーパーの刻んだキャベツとりんごを入れ、フレンチドレッシングとマヨネーズであえました。でもおいしかった。。。

「沼地のある森を抜けて」 梨木 香歩  著
「こんなに酷い世の中に、新しい命が生まれること。
それが本当にいいことなのかどうか。」
                      (プロローグより引用)
このプロローグは、長女佳子が子を宿し、その佳子に三女時子がつぶやく言葉である。そして主人公である久美は生まれた。「こんな酷い世の中に、」「たとえそれが滅亡に至る道行きの途上であっても。」
久美は成長をし、今では母佳子が久美を産んだそんな母と同じ年頃になっていた。
そんなある日、叔母時子が心臓発作でなくなる。母佳子と時子の間には加世子叔母がおり、葬式の一切を滞りなく行った。時子は一人暮らしでマンションに住んでいた。葬式も終わり遺品の整理も行われるが、そこに家宝と呼ばれる「ぬか床」が出てくる。どうも因縁のあるような加世子の話し。
「代々の女たちに毎日毎晩かしずかれ」た(13ページ)ぬか床。
物語は、先に引用した重苦しいようなプロローグの言葉からはなれて久美と加世子のどこか真面目だがおかしみのある会話の中にぬか床の不思議が語られていく。
久美は、あなたは長女の長女なんだからとか、時子のマンションもあなたが住めばいいとぬか床から逃げるような加世子に言いくるめられてぬか床の世話をするようになった。
ある日ぬか床に卵が湧き出て、ヒビが入ったと思ったら一人の幽霊のような透き通った少年が現れる。久美の同級生フリオが訪ねてくるが、フリオはその少年を見て光彦!と叫ぶ。光彦は死んでしまったフリオの幼なじみである。
そのうちにカッサンドラという不気味な女も現れる。現実なのか幻なのかわからないような久美の幼いころの悪い思い出が。。。。美しい母であろう・・・
どうも糠床から湧き出る者は、初めて認識された(フリオが光彦と認識したというような)人物となるようである。
久美はカッサンドラが現れてから体調を崩す。一方、母佳子や叔母時子の心臓麻痺という突然死を重ね合わせていく。カッサンドラが現れると同時にぬか床の酵素バランスも崩れていくようで、久美は昔ながらに辛子粉を入れる。カッサンドラは消える。
このようにこの物語は一つのぬか床の話からはじまるが、ここから久美のぬか床がどのようなものなのかの追求が始まる。その時叔母時子の同僚でもあった酵素を研究しているある意味男を捨てた?ような風野に出会う。久美と風野によるぬか床の不思議が明らかになっていく。
同時にこの作品には、並行して不思議な「シマの話」が出てくる。
この「シマの話」は、人の世の話しではないファンタジーな世界である。
この「シマの話し」は、久美の先祖の地でもありぬか床のあった沼地のある島とリンクしていく。
ファンタジーの世界は美しくも寂しく悲しい。だいぶ前に読んだ「裏庭」に現れるファンタジーの世界を思い出します。梨木さんのファンタジーの世界。。。。
「シマの話し」には、「僕」という少年が現れる。同じ「僕」がたくさんいる。なぜなら「僕」は一夜のうちに分裂して現れた「僕」だから。この世界は、ぬか床から湧き出る光彦でもあり、ぬか床の故郷である島の沼地のある村人でもある。
この作品は、このような物語を長編として語られているが、それ以上のものは直には語らない。
物語のストーリー性にもひきつけられ、これだけでも素敵な作品といってよいでしょう。そして最後に心の中に沸き起こる暖かさを感じざるを得ない中にこの作品の奥深さがあるのではないか。
しかし、この最後に感じる暖かさが何なのか、ファンタジーの世界は何を暗示しているのか、ぬか床から現れた人たちと自分たち「人間」との関係は?、そして梨木さんご自身の心の中は。。。と、いろいろと考えてしまうのですが、解釈を含めて難しい作品だと思います。
その中でヒントととなるものはあると思います。
「こんなに酷い世の中に、新しい命が生まれること。
それが本当にいいことなのかどうか。」
このプロローグにある「こんなに酷(むご)い世の中」とは、どのように解釈をしたらよいのだろ?
自然の摂理は、小さな生き物は植物を食い、その小さな生き物を小動物が食い、小動物はより大きな動物に食われるといったように、考えてみれば酷いものである。そして生きるものすべては死を迎えるというところに酷さもある。その死は肉体を土に返して植物の栄養ともなっていく。
しかし、この「酷い」という認識は、知的にも心というものをも進化させてきた人間だけが持つものなのである。死を避けて少しでも生き延びていくという本能は、動物すべてが持つものだろうが、平穏に生きているあいだにも死の怖さを認識するのは人間だけだろう。だから人間の持つ知性や心というものがまた一面として酷さかもしれない。
その中に不老不死の理想を描いたり、死後の世界や輪廻転生という宗教も作り出した。それらは本来、自分の命をいとおしみすべての命の尊さを認識する役割をしたのだろうが、そういう死を見つめる事の出来る人間が作り出した社会というものが、戦争という道を捨てきれずに殺し合い、日常の社会の営み自体も弱肉強食から抜けだせない。この社会という自ら作り出した人間独特な発達した「群」にも酷さが存在をしているということだろう。
自然全体そしてその自然の中に生きる人間自身が作り出す社会。それが「世の中」という広い意味での世界だろう。
この「世の中」という言葉を言い換えれば、先に読んだ梨木さんの作品名である「ぐるりのこと」という言葉ともなる。
「ぐるりのこと」。。。
それは自然の摂理でもあり、人間の社会が作り出す時には酷い世の中というものだろう。
この新潮文庫版の梨木さんのエッセイ「ぐるりのこと」の「解説」に
「『沼地のある森を抜けて』誕生前夜の思索の日々ともいえる本書『ぐるりのこと』は、さらに、梨木さんの物語の背景に近づく手がかりを与えてくれた。」 
                              (216ページ)
とあります。
この「酷い世の中」そしてそれは「ぐるりのこと」。先に引用したプロローグの言葉に続いて「ぐるりのこと」88ページの次の言葉が続くような気がします。
「母性的なものに縁遠かった人間であっても、場合によって、人はーー男性も女性もーー意識的にでも、行きずりにでも、母性を振舞う事は出来る。そして時にそれは人を救う。
たとえそれが滅亡に至る道行きの途上であっても。」
自分という個の周りにはたくさんの人という個がいて、それが集まり社会というものを作り出している。その社会は人間が動物である事から群とよんでもよいものだろう。
この個と社会は切り離せないものであると同時に、個に対して対立するものとして社会は現れる。
生物は、細胞分裂のような形で生命や子孫を維持するものがあり、植物もその発達した形態なのかもしれない。一方では、オスとメスとが結びついた有性生殖を繰り返す中に子孫を残すものがある。
個の生命を維持し、個を残すという意味では、細胞分裂のような形態が一番よいのかもしれない。ファンタジーな「シマの話し」に出てくる「僕」は、一夜にしてもう一人の「僕」を分裂させる。同じ「僕」を。人は不老不死を願い今やクローンを夢見る。個というものの無限な継続を。それが人間の世に現れたのがぬか床から現れる人々とその村なのだろう。「僕」が「僕」として分裂をする社会は安定をしている。「シマの話」のシマは安定をし、ぬか床の人々の村も安定をしている。ここには厳密な意味での個はないだろう。「僕」は、「僕」であって名前も必要ない。。。。
しかし、有性生殖は、二人の違った人間の結びつきの中での子孫であり、「僕」は「僕」ではない、「わたし」は「わたし」ではない一人の人間を産む。常に違う人間が個として現れながら社会は形成をされる。さまざまな事しての人間が作り出す社会だからそれは安定をしない。「酷い世の中」にも社会はなりえる。個は個と対立をする。
「シマの話し」の「僕」は、ふと思う。。。。
「もう一人の僕は何をしているか」と。
ここに安定性は崩れるだろう。細胞分裂をしたクローンのような」僕」もやはり違う意識を持つ「僕」ということになる。「僕」に名を与えられる。
ぬか床の人々の娘が島から出て行って人間と有性生殖をした。。。。ぬか床を持って。ここに島の安定は崩れていく。
ぬか床を久美と風野が森を抜けて沼地に返(帰)す。
「シマの話」は終わり、ぬか床の人々も消える。ここに寂しさと悲しみがある。それは個が個として存在していけないことを目の当たりとして見つめる事であり、安定しない社会、時にはそれが酷くて滅びの道行きの途上にあるという社会に個が存在していかなければならないというさみしさと悲しみであろうか。
しかし、梨木さんは書く。。。。
「この境界の向こうは異世界だ。こんなふうに圧倒的に迫ってきたら、自衛本能でこちら側に萎縮してしまう。私はぼんやり考えている。それを乗り越えて、意識的に自分を開く訓練について。」(「ぐるりのこと」34ページ)
たとえ酷くて滅亡の途上にあるような社会にでも、自分を開く訓練をと。
作家梨木香歩にとっては、「沼地のある森を抜けて」という物語を書き上げる事だったのだろうし、この物語で読者に語ろううとしたものは。。。。
「シマの話し」やぬか床の人々の消滅は、寂しく悲しいものだが、人間の社会に生きざるを得ない事は仕方ない事。その社会に生きる事は社会に自分を開く事なのである。
「生まれておいで(中略)輝く、生命よ」(エピローグより)
すべて引用することはしないほうがいいと思います。
久美は、祝福されて生まれてきた命。母や父とはまったく違った個として孤独にこの世に生まれてきた命。
「母性的なものに縁遠かった人間であっても、場合によって、人はーー男性も女性もーー意識的にでも、行きずりにでも、母性を振舞う事は出来る。そして時にそれは人を救う。
たとえそれが滅亡に至る道行きの途上であっても。」
命の流れの中に身をおき、その個である自分を自分として生きていく事。
命の流れの中に、最も美しくてなくてはならないもの、それは母性なのでしょう。
ぬか床の糠を沼地に返した久美と風野は愛し合う。祝福されて新たな命が孤独な人間として生まれてくるでしょう。こんな美しいラブシーンが他の作品にあったかな?
孤独なそれぞれの個と個は結び合えるもの。命は引き継がれるもの。引き継がれて生まれた個は、また違う個と結び合えるもの。新たな命を祝福する母性という本能。
何も男女のことだけではない。人と人とは結び合えるものが本来あるものなのである。愛と母性。。。。
社会は歴史的に見れば少しづつ進化していく。たとえ酷さや滅亡の危険を増殖させながらとしても。その進化の原動力は、愛と母性。。。。
そしてこの愛と母性を心の問題とするだけではなくて、社会は人が作り出したのだから、愛や母性を形として社会システム化できないわけがない。
是非この作品をお読みになるときは「ぐるりのこと」もお読みになることを僕からもお勧めします。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
    ◎キャベツと豚肉のポン酢和え
キャベツを一口大に切り塩茹でします。しゃきしゃき感が残るぐらいで水分を気ってボールの中へ。
豚肉も茹でてボールの中へ。
熱いうちにポン酢で和えて桜海老を入れてからもう一度和えて出来上がり。
好みでカラシを少々。

    ◎イカ納豆キムチ
ボールにイカの刺身と納豆をいれ、納豆に入っているタレを隠し味に入れます。
キムチを刻んでボールの中へ。
そこにまろやかさを出すために卵の黄身を入れてかき混ぜて出来上がり。

    ◎あとは。。。。。ホッケを焼きます!!

酒の肴ですなぁ。。。。ビールがうまそう。。

淡い春の光が浮遊する
光は粒子となって漂う
その粒子は桜のつぼみを包み
雀の羽ばたきに小さく揺れた
霞むような春の光
僕はのんきにコーヒーを淹れた
湯気も見えない暖かな朝
コーヒーをすすりながら
植木の花に水をあげた
霞むような春の光
僕を包む春の粒子
それは美しい君の言葉のよう
春の光は粒子となって流れ
ぼうっとする僕は空を見上げた
僕の言葉にならない気持ちを
春の粒子は空に舞い上げた
言葉にならない光の粒子
漂う中に一筋の流れ
僕はこれが祈りだと思う

淡い春の光が浮遊する
光は粒子となって漂う

霞むような春の光

【2011年】ツイッターつぶやき
空を眺めよう
こういうときにこそ
空は3月11日以前と
変わらなく青いよ
雨が降ったり雪かもしれないけど
その雲の上は青い空が
雲は流れていく
必ず流れて青い空が
その青い空を眺めてあげようよ
空を眺めよう
それはきっと穴のあいた心を
きっとふさいでくれるはずだから
心も3月11日以前と同じはず
変わらなく暖かいよ
雨や雪を運ぶ心もあるけど
その上には青い空のような心が
輝く心があるはず
必ず青い空のような心が見えるはずだから
その青い空を眺めてあげようよ

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
まずは今朝のツイッターから
朝日新聞デジタル:世論調査―質問と回答(3月16、17日実施) - 政治 http://www.asahi.com/politics/update/0317/TKY201303170204.html …。。。。。TPPに対する世論調査ですね。農業や健康保険制度への対応ができるかでは「できる 39 できない 40」と。期待と言うよりも願望ですね。安倍政権への世論は
今の日本は、「強い日本」への願望ですね。この積極性だけを前に出す。もちろんこの積極性自体はよいことですから世論は動く。しかしこの積極性が国民生活をどう変化させるかを見れば、アベノミクスも株価上昇と不動産バブルへの懸念。国際関係は対立。消費増税と改憲。強い日本と国民との乖離が進む。
安倍内閣への支持率は、小泉内閣の高支持率に似ている。積極性や強さに国民は動く。「改革」という漠然としたものへの願望と現実の国民生活として見た改革との乖離。安倍政権は「戦後レジュームからの脱却」ですが、それで国民生活がどうなるか。スポーツと同じ「ニッポン、チャチャチャ」ではだめ。

小泉内閣は「改革」でしたが、安倍内閣は「戦後レジームからの脱却」ですが、レジームとは「体性」といった意味でしょうから改革よりも一歩進めたり年です。小泉内閣から安倍政権へとつながりましたが、この第一次安倍内閣の向かうべきものを辞任した後の現在の政権で行おうとしたものでしょう。
小泉内閣はその改革において古い自民党をつぶすとさえ言いましたし、現実に郵政民営化に反対する自民党内も含めて抵抗勢力としました。ある意味戦後レジームの否定です。ここでは戦後ずっと続いてきた自民党政府の政策を自ら修正するというように見えます。同じように安倍内閣の戦後レジームからの脱却は「今までの自民党とは違う(変わった)」が強調されます。
世論も自民党政治ではだめだとなっていましたし、日本は自民党政治では停滞傾向になると。
このような「自民党をつぶす」「自民党は変わった」として戦後レジームからの脱却が進むわけですが、では、この戦後レジームからの脱却とは何かが問題です。
それはずっと行ってきた農業保護としての補助金や労使協調路線からの一定の労働法制という保護からの脱却であり、社会保障制度という国民保護からの脱却であり、仕上げが憲法改正です。根底には新自由主義の自己責任が推し進められます。
こう見ると戦後レジームからの脱却とは一面日本の強さを取り戻そうとした積極性に見えるのですが、現実はより国民生活を切り下げることによる企業利益や富裕層の利益の確保以外のものではありません。

刹那な花の匂いに酔いしれて浮かれ騒ぐ愚かさに偽りの花はほくそ笑む

【2014年】ツイッターつぶやき
貨幣の流通は市場においての流通量とその貨幣が流通する際の速度によってその時々の経済状態を反映するでしょう。しかしその貨幣量と流通速度が市場のどこで活発になっているか停滞をしているかによっても経済の状態を反映するでしょう。
同時にこの貨幣量と流通の速度は市場においての商品の流通量と速度を規定します。しかしこの商品もどのような商品が活発に動きどのような商品が停滞をしているかによって経済の状態を反映します。
そしてこの貨幣量と流通速度そして一方における商品量と流通速度によって商品の価格が規定をされてこれがまた貨幣と商品の流通量と速度を規定していく。また経済のグローバル化の中においては商品価格が為替によって変動するしその結果として貨幣量にも反映される。
では今の日本の状態はどうなっているのでしょうか?
貨幣量は日銀の量的緩和によって市場に流れる貨幣量は増加をしている。
その増加した貨幣量は株など金融市場に流れる。そしてそこからの利益を得る者に流れる。
その中で金融市場の中で貨幣の流通は量と共に速度をあげる。
一方では消費財の一般的な商品の市場には貨幣量もその流通速度も停滞をしている。
消費財という商品を消費する人々にも貨幣量とその速度は停滞をする。それはその商品を生産するための設備投資などにおいても停滞をする。
貨幣量の量的緩和は貨幣価値を下げるので為替によって輸入商品の物価は上昇をして、エネルギーなどの全商品に関連する商品は消費財全体の価格を引き上げる作用をする。
消費増税は最終的には消費者が支払う仕組みの中で物価上昇を引き起こす。法人税減税などは商品価格を引き下げる作用は基本的にはない。
消費者のほとんどは賃金労働者であるが、その中に貨幣量を増やすために賃上げを言うが仮に賃上げがあっても為替や消費増税によって実質賃金は低下をする現状がある。
労働の規制緩和が進むことによる低賃金層が増大をする。
成長戦略の公共事業はやはり貨幣量を企業に集めて低賃金層の雇用増加を引き起こす。
。。。。。
こう見てくると貨幣量の増加とその流通速度は経済を動かす作用はなく、商品の量と流通速度を揚げることはない。

【2015年】ツイッターつぶやき
時々行くラーメン屋さんに入った。
今日はチャーハンにしようと決めて入った。少し濃いめの味付けとチャーシューが多いことが気に入っている。
チャーハンがきてもくもくと食っていたら、店員さんが注文を聞いて厨房の人に注文メニューを大きな声で伝えていた。
「辛さ抜きのマーボー豆腐、一丁!」
(うん?辛さ抜きのマーボー豆腐?)。。。心の中でその味を想像してみる。
するとすぐに
「半味噌味噌、一丁!」
(うん?半味噌味噌?)心なのかで量の少ない味噌ラーメンか、味噌の少ない薄味の味噌ラーメンかと想像してみる。
どちらもうまくないだろうとその味も想像してみた。。。。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
身欠きにしんをコトコトと柔らく煮ました。酒、砂糖、みりん醤油で味付けしました。
身欠きにしんもソフトタイプというのがあり、米のとぎ汁で戻したり長時間になくてもいいので楽です。味はやはり違うのでしょうか。
今夜は食べないで、明日の昼ににしん蕎麦にしようかと思います。
正月は昆布巻きをつくったのですが、ニシンの風味というのはいいですね。
子供のころはあまり好きではなかったのですが、ニシンというのも大人になってわかる味なのかもしれません。

ツイッターからです
トランプさんの北朝鮮攻撃の危うさが見えますが、これまでも何回も書いたように民間人の多くが犠牲になるのが戦争です。北朝鮮からは多くの難民が発生して、中国、韓国そして日本も受け入れることになるでしょう。アメリカはまた難民を大量に発生させ国際問題を作り上げるのでしょうか?
日本は日米安保を「強化」させて集団的自衛権まで踏み込んでいます。北朝鮮のミサイル攻撃は日本にある米軍基地だという報道もありますが、これが安保と絡んでくるでしょう。そして拉致問題は積極的平和主義の考え方によって解決を見るでしょう。
以上のように見てくると、ツイッター上でも日本は他国を責めるわけではなくて防衛のために軍事強化が必要という論理がありましたが、現実はその成り行きによっては日本が攻めていくことも空想ではないということです。以前から先制攻撃が一番の防衛と言った論理があります。
アメリカの軍事戦略が北朝鮮に対してどのような方法を選ぶかはいくつかのパターンがあるそうですが、一つの基本的なものとして「テロとの戦い(正義の戦争・民主主義の戦争)」があります。以前から北朝鮮のテロ国家の指定がありました。日本もテロとの戦いに参加しています。
中東等では国に対するテロとの戦いは戦争を意味しますからテロ集団への攻撃として行われていたと思います。しかし北朝鮮は国家でありますから戦争という形をとらざるを得ないでしょう。国際社会からの見方はどうなるのでしょうか?北朝鮮国民の開放と言った理由からの正義でしょうか?
しかし北朝鮮の国民の開放が難民を作り出さざるを得ない皮肉と矛盾がかっが得られる。
平和的解決しかないのです。

【2018年】ツイッターつぶやき
一連のモリカケ問題そして最近の財務相決裁文書の改ざん問題から内閣の支持率が急激に下がっている。
毎日新聞 支持33%12%減 不支持47%15%増
NNN     30.3%13,7%減
安倍内閣の支持は、株価と企業利益、消去法による自民党しかないという支持、多くの言葉だけの期待、これ以外にはないでしょう。そこに不信感が入ってきたわけですから支持率は大きく低下する。(ツイッターより転載)
経済面でも今国会で労働の規制緩和関連の法案が提出され、裁量労働制の労働時間のデーターに間違いが生じたりしたうえ労働の規制緩和が労働者のためのものではないことがはっきりしてきた。そして経済の好転はいつまでたっても出口が見えないどころか日銀緩和の継続すら言われている。経済面の不信感と同時に政治の不信感が重なるようになりました。
北朝鮮の危機を煽ることで国民をひきつけることが行われましたが今では話し合いが注目をされています。安倍内閣も一転話し合いを言わざるを得ない情勢です。
国民一人一人が労働や生活の実態を見つめなおしながら今の政治の流れでよいのかを見つめなおすことが求められているのかもしれません。

【2019年】ツイッターつぶやき
結婚は男女間の愛情から成立する。
今もこれが大前提でしょう。少なくとも恋愛をして愛する中で結婚する気にもなるでしょう。
しかし現代社会は愛する人を見つけても躊躇したり、結婚そのものをあきらめざるを得ない状態にも置かれる。
「1990年時点での生涯未婚率は男性が5.6%、女性が4.3%でした。よくこの数字を見ておいてくださいね。それが、2015年時点で、男性23.4%、女性14.1%です。男性の4人に1人、女性の7人に1人は生涯ついに配偶者を得ることなく死ぬというリアルな数字が出ています。そして、ご想像の通り、東京の未婚率がきわだって高く、30代男性の未婚率は驚くなかれ43.7%です(女性は34.1%)。30代男性の7人に3人、女性の3人に1人は未婚者なのです。」
今の日本は残念ながら後進国です
ごめんなさい少し長い引用になりました。
この実態は異常ですね。日本は後進国の仲間入りというだけの問題ではなくて、後進国の未婚率はこんなにも高いのでしょうか?経済的政治的後進国というのではなくて、先進国の矛盾の現れであり資本主義が行き着くところまできたと見るべきかと思います。相対的貧困と同時にその相対的貧困は経済の落ち込みによって絶対的な貧困も作り出す。
経済的な理由で未婚が増えるだけではなくて、社会の中にある保守的思想や風習によって男は結婚に踏み込めないのかもしれない。男は「女子供を養う」という常識が強ければ低賃金や不安定雇用では結婚できないとなるでしょう。一方ではマスコミにより女性の結婚条件のハードルは高いと報道されている。女性の専業主婦へのあこがれもまた保守的な考え方ですね。現実はパートなどで働いているのですが。
未婚者が増えればそして既婚者の少子化が増加するならば労働力人口は減少をして総人口自体も減少します。自助だけの「子が親の面倒を見る」という保守的な考え方も破綻をしています。
高齢化社会においては今の未婚の若い人が高齢になった場合どうなるんでしょう。今も老夫婦の年金でかすかすの状態ですが、どちらかがあの世へ行けば極端に生活合落ちていきます。
先の引用サイトで「結婚は安全保障上のリスクヘッジです」とありますが、言葉はクールかもしれませんが、夫婦の支え合いと読めばその一面はありますね。高齢夫婦も互いに生き延びる支え合いの中にあります。むしろここに愛情が生まれているのかもしれません。未婚の人たちが今後どのような老後を過ごすのか。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
このブログの3月8日の記事で校庭開放と給食をというものを書きましたが、校庭開放をする学校が増えているようですね。と言ってももう春休みに入ってしまいますが。
安倍総理もやっと公園遊びを認めました。
最近のニュースでは学校給食用の食材が余ってしまっているそうですが、工夫をして給食を実施してみてはどうでしょうか。電車通学などをしている私立校の子供たちも来れるようにして。もちろん給食費を取ってはだめです。
これは子供たちのために行う行政の責任です。
子供たちを大切にする行政はその親たちも助けることになります。
専業主婦の女性も三食作る苦労から少しは解放されるでしょう。働く女性はもちろん弁当作りなどから解放されます。そして働き続ける条件としても。
春休みに入ってしまいますが、あと3週間、春休み中の校庭開放と給食の実施をしても良いでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
今日、コロナウイルス対策本部が開かれ、正式に21日で1都3県の緊急事態宣言が解除されるようになった。
緊急事態宣言は遅すぎたのではないかという批判を受けながらピークが下がりはじめるかと思われる頃に発令をされ、だらだらと目に見えた対策もなく再発例が行われ今日にいたり、下げ止まりあるいは微増するのではないかと思われる時期に解除される。
まったくメリハリのない緊急事態宣言下が続いた。
病床使用率も下がったことで宣言の解除理由とされているが、解除されて新規感染者数が上昇に転じればすぐにレベル4になるでしょうし、ベッドがあいているから感染者が増えても大丈夫というのも責任感のない解除理由です。
5点の基本的対処方針が示されたが、これもメリハリのないこの1年間の感染防止策の二番煎じでしょう。
緊急事態宣言下においても国民は政府を信用していませんでしたから宣言が解除されればさらにタガが緩むでしょう。そこに不要不急の外出自粛を呼び掛けてさらに国民への自己責任を負わせる。そして今後はロックアウトという言葉を突き付ける。

【2022年】ツイッターつぶやき
東京は気温が25度あった夏日のような気候から一気に下がって今日は10度あるかないか。
7時ぐらいにベランダに出たら息が少し白かった。
北側のサッシのガラスに結露。
10時過ぎてきてなんか寒さも薄らいだようですが冷たい強い雨が降っています。
寒くて冷たい雨にどんよりしていますが、花粉症が楽になりました。
また明日は気温が20度ほどに戻るようです。
桜のつぼみがだいぶ膨れてきました。
白木蓮の花のつぼみを包んでいた茶色い殻がはがれてきました。
貸与が涼む夕方にぼうっと空に浮かぶような花が好きです。
そういえば、墓参りはいつ行くかなぁ。。。。。
そういえば冷凍庫に冷凍牡丹餅があったな。。。。。
ぼたもちというのは牡丹餅ですよね?
僕の感覚ではぼたもちと言えば潰しあんこでおはぎと言えばこし餡なんですが、お袋はぼたもちが好きで時々つくっていたのですがそれがいつも潰し餡でした。和菓子屋さんに行くとおはぎがあってそれはこし餡でした。

【2023年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記「山羊を数える。」が更新されました。
1月ごろはまだコロナウィルスの感染が拡大していました。川上さんの周りでも感染者が。
野良コロナ患者。。。。。
病院もいっぱいですし、検査もままならず自宅でじっとこもっている患者だそうです。陰性化要請もわからないですが、具合が悪いときは自宅でこもる野良コロナの日とは立派だと思います。
1週間ぐらい自宅でこもる苦しさ。人にも会えない。
川上さんは暖房機器の工事業者の方とコーヒーを飲みながらお話をしたり、ほんの買取り業者の人たちの話を聞きながらお仕事。
野良コロナ患者の方の苦しさは人との接触ができないところにもありますが、こうしてのんびりと人との接触ができる楽しさ。
そんな人とのふれあいの楽しみである飲み会もぐったりして二次会では帰る。。。。。
眠るときはぴょんぴょん跳ねる羊ではなく、髭の生えた山羊を数える。。。。。

【2024年】ツイッターつぶやき
パソコンをいじっていたら、ツーーっと鼻水が垂れてきた。
ヘックシュンッ・・・・
東京も強い風が続きました。
どこかの杉の花粉が一斉に飛んだのでしょうね。
今はつらいけど、一気に飛んでくれたらこれからは楽かもしれない。
目がゴロゴロして痒い。。。
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2025年 3月17日(月)「味変」

2025年03月17日 22時11分38秒 | 「思うこと」
昨夜はサトイモ、干しシイタケ、鶏肉で煮物にしましたが、作りすぎてだいぶ残ってしまった。
そこで、今夜は味変。
天婦羅にしてみました。
以前から煮物の残りは天婦羅にするとうまいと聞いていましたが、5年ほど前の御節の煮しめを天婦羅にしたきりやっていませんでした。
思い出してやってみたら、サトイモはふっくら、しいたけは味が染み、鶏肉は柔らか。
美味しかったです。
思い出したのですが、正月の煮しめの残りのこんにゃく。
少し硬くなり歯ごたえがありうまかったです。
梅雨が残っていると脂が華得るのでしっかりクッキングペーパーで拭きとってから作ってください。
味変といえば、子供のころ、煮魚が少し残るとそれを焼いてくれた。それもまたまかったな。
先日二坂野をして、わざとそのまま焼いてみました。ブリだからよくなかったのか、硬くてあまりうまくなかった。やはりお子供のころ食った味がいつ版です。
残った天婦羅を甘じょっぱく煮つけたり、味噌汁に入れたり。これもうまい。
昔は味変なんて言葉はなかったけど、案外お袋はやっていたのかも。
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3月17日という日

2025年03月17日 06時57分23秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
昨夜はサトイモ、干しシイタケ、鶏肉で煮物にしましたが、作りすぎてだいぶ残ってしまった。
そこで、今夜は味変。
天婦羅にしてみました。
以前から煮物の残りは天婦羅にするとうまいと聞いていましたが、5年ほど前の御節の煮しめを天婦羅にしたきりやっていませんでした。
思い出してやってみたら、サトイモはふっくら、しいたけは味が染み、鶏肉は柔らか。
美味しかったです。
思い出したのですが、正月の煮しめの残りのこんにゃく。
少し硬くなり歯ごたえがありうまかったです。
梅雨が残っていると脂が華得るのでしっかりクッキングペーパーで拭きとってから作ってください。
味変といえば、子供のころ、煮魚が少し残るとそれを焼いてくれた。それもまたまかったな。
先日二坂野をして、わざとそのまま焼いてみました。ブリだからよくなかったのか、硬くてあまりうまくなかった。やはりお子供のころ食った味がいつ版です。
残った天婦羅を甘じょっぱく煮つけたり、味噌汁に入れたり。これもうまい。
昔は味変なんて言葉はなかったけど、案外お袋はやっていたのかも。

≪過去の記事≫

【2004年】
風が強いです。
洗濯物が舞い踊っています。
この風がなければ春は最高なのですが。
今年はスギ花粉も少なくて楽です。こんなすっきりした春は数年ぶりです。

きれいな色とことば
                         新潮文庫
           おーなり 由子  著
暖かさを感じて思わず上着のボタンをはずしたとき、春の風が体を包む。そんな季節を感じるとき、いつも見慣れた風景も新鮮に感じられます。
それぞれの季節に光かがやくような風景を見ますね。心ははずみます。
もしいつもの風景が光かがやくように見えたなら・・・・そんなときにこの作品を読めたら楽しいだろうなぁとおもいます。
いつもの風景にもさまざまな色がある。季節はさまざまな色を作り出す。あるときは青だったり赤だったり、黄色だったり・・・・・
そして心の中にもたくさんの色がある。
悲しいとき、楽しいとき、恋をしているとき、ときめいているとき。。。。
そのときのあなたたちの心の中は何色?と、問いかけられているような気持ちになります。
でも、心の中の色は、言葉としてうまく伝えられないものがあります。
おーなりさんは、そのことを何度か書き、なぜ伝えられないのだろう、なぜ言葉として出てこないのだろう、もし伝えられたらこんなうれしいことはないと書いています。
言葉では伝えられない心の中の色。言葉では伝えられないけどなぜか伝わることがある。心と心のつながり。そんなこともありますね。
この作品は、きれいな色がいっぱい。おーなりさんの心の色がなんとなくわかるようなそんな作品です。
言葉をうまく駆使して読者の説明をするような文章ではなく、一つ一つの短い言葉に心の色を見せてくれます。だから読んで納得というのではなくておーなりさんの短い言葉を感じ取って、そこにおーなりさんの心の色を見ることができます。
言葉・文章って、こういうものなんですね。
本にはいろいろなジャンルがありますが、言葉や文章で伝えるのではなく、言葉や文章を通じて作者の心の中を読者の心の中へなんとなく伝えるというのが素敵な本なのかもしれません。
もうすぐ春分。春の色を感じたら、そんなときこの作品を読んで見てください。きっといつもの風景が輝いて見えますよ。。。。

【2005年】
新聞を読んでいたら100という数字を二つの記事に見た。
ひとつは、ライブドアとフジテレビ関連で、村上ファンドというところが100億円もうけたという記事で、もうひとつは26歳だったか女性がローンが100万円たまってしまい、冗談半分のように夜の仕事をするところだった、生活を見直して30才までには100万円貯金したいという小さな記事だった。
ううう。。。。ん、数ヶ月の間に100億円。一方は3,4年かけて100万円の貯金。
汗水たらしてまじめに働いていくという本来の姿に魅力を感じない世の中なのか。たしか、一時アメリカで株ブームがあり、バイトで稼ぐより株で稼いだほうが稼ぎは大きく、小学生のうちから株などを教えるというような現象があったと思う。マネーゲームかぁ。。。。

【2006年】
洗濯物が飛ばされそうな風の強い一日でした。
ここのところ腰の調子もよくなく、用事ができてスポーツジムも休んでいました。日曜日あたりから再開したいと思います。
用事があり帰宅が遅くなり夕食は簡単なものにと思い五目寿司にしました。
五目寿司の具は、市販の瓶詰めの五目寿司の素。でもそこに、しらす干と柚子のみじん切りを混ぜ、胡瓜とシソの葉の千切りをご飯にサンドし、上には蒲焼を切ったものときざみ海苔を乗せました。
すごくおいしかったです。3合半ご飯を炊いたのですが、家族4人でペロッと食べてしまいました。

「国家の品格」
                           新潮新書
                藤原 正彦  著
大昔、家族の中には男と女というその体の構造からと子孫を残すことへの男女の役割から、分業があっただろう。このような家族が集まり小さなコミュニティー(動物としての群といってもいいと思うが)もあっただろう。素朴に助け合って労働していただろう。もちろんそこにはリーダーという優れた尊敬される人がいただろう。その後、歴史の流れの中で農業やいろいろな技術の発達が在り、その専門の部門でのすぐれた人が出てきただろう。コミュニティーのリーダーや各種の専門家は、日常の労働から解放されてその能力を生かしただろうし、それが分業にもなっただろう。日々の労働をする者の生産したものを消費しながら自分の能力を生かしてそれをまたコミュニティーに還元しただろう。
しかしいつの頃からか、このリーダーを頂点とした専門職の人々が日々労働する人々を支配するようになってしまった。特別な能力がある人が社会を支配する構造。これが当たり前になり、この特別な人々自身が日々労働する人々の生産したものに依存していることを忘れ、支配するようになってしまった。
この人と人との支配関係にあるコミュニティーとしての国家。ここに国家の品格が崩れた要因がある。
というよりも、生まれたばかりの国家というものの未熟さだったのかもしれない。
もちろん人々の中にはその能力の違いが生まれることは自然であり、社会の生産力が高まれば分業が進むのも自然である。それが社会の生産力をまた高め、精神文化も発達させた。だから分業というものは不可欠なのであるが、その分業による支配被支配関係が生まれたばかりの国家の宿命だったし、国家の成長の中での生産力の発展と精神文化の発達の中でこの支配関係も薄れていくようになる。この精神文化は、宗教ではじまり哲学や文学音楽と、様々な分野で国家と人々のあり方を人間自らが考えるようになる。ここでやっと人間動物がその動物本能だけのものから開放されるものとなる。日々労働するだけの人々にも、自分が人間なのだという意識も生まれてくる。社会全体の平均した精神文化の向上が国家を成長させ、人間の作り上げた国家もその成長の中にこそ品格を得る。
このような視点で藤原さんの「国家の品格」を読むと、衝撃を受けざるを得ない。
近代社会は、欧米の合理精神によって進められてきたが、この欧米主導の社会にほころびが出始めている。そこに今の社会に現れている様々な矛盾点が露呈をしている。
ここから欧米の合理精神批判と、日本の武士道精神を対比させる。
欧米の合理精神批判としては、論理だけではだめ。自由平等民主主義はフィクション。成熟した国民は存在しないと、批判を強める。
これらは、戦後生まれの僕たちが学校や社会から学んできたものを覆されるような衝撃である。
たしかに、理想とするような今ある社会をよい方向に進める論理がないし、自由平等民主主義も無いかもしれない。国民意識も自由や平等という民主主義を進めるだけには成熟していないだろう。だからといってすべてをばっさりと切り捨てることが欧米の合理精神批判なのだろうか?
人間の数千年の歴史(先にも書いたように国家の歴史)の中においての欧米合理精神の役割と限界を見なければ、欧米合理主義精神への批判とはならないだろう。
欧米合理精神は、封建制社会を批判することに結びついていたと思うし、その中で資本主義が打ち立てられたはずである。その延長線にというのか基礎に産業革命もあっただろうし、それ以前の科学進歩や思想の進歩もあったはずである。この意味において欧州は進歩的だったのである。先に書いたように、生まれたばかりの国家は、未熟で支配関係の中に国家があり、それがずっと続いていた。この中に風穴を入れたのが、自由・平等という民主主義の発想であり、観念的であっても今までの国家に比べればその品格を高めたのである。
欧州中世の停滞というのは、昔本で読んだことがあるような気がするが、その歴史となるとわからない。しかし、突如としてイギリスに産業革命が沸き起こったのではなく、様々な文化・思想が花開いたのではないと思う。藤原さんは、この欧州中世の停滞期とくらべ日本の文学などを対比させて日本の素晴らしさを書いているようだが、日本に産業革命を起こす基礎があったのかどうか?この産業革命と一体となった封建社会から資本主義社会へと推し進めるような文化や宗教、思想が育っただろうか?
やはり欧米の影響の中に、江戸末期から明治という時代を待たなくてはならなかった。もちろん、日本も豪商というような資金を持つ商人が準備をされていた。
もちろん日本は、中国や朝鮮半島の文化を吸収しながら独自の文化を作り上げ、その文化は誇りえるものだと思うし、何よりも欧米の植民地にならなかったというのは誇りである。この点でも明治維新というものは、欧米の産業技術と思想・分化をすばやく取り入れたことの素晴らしさでもあると思う。
同時に、学校制など、国民意識の向上もあったはずで、この意味でも国家の品格は高められたのではないか?
このような歴史を見れば、産業技術の発展や自由・平等という民主主義、国民意識の向上は、国家というものの品格を高めたことになる。幼稚な国家から青年期の分別ある国家へと成長したのであり、その成長そのものが品格ではないか?
ところが社会は青年期を過ぎて熟年期に入ってしまった。
産業技術は高められて、コンピューターや産業ロボットが普及して人の労働力を極限的に必要とされなくなった。分業化はますます広がり、商品の流通量も増える。一方では、この生産量の増加と競争の激化により世界は狭くなり、生産の増加や発展途上国の台頭によってますます商品はあふれかえり、環境破壊やエネルギー問題も大きくなってきた。人自身もこの競争激化の中に巻き込まれ、所得格差なども広がってしまい、それは職につけるかどうかというような競争にもなり、人心が乱れてきてしまった。
これは何を意味するかというと、社会が成長して来て熟年期に入ったのに、そこに人間自身が対応しきれなくなってしまったということではないか?
ここに藤原さんの著書からの苦悩を見る思いがする。藤原さんの著書だけではなく、先に読んだ養老さんの「バカの壁」や「超バカの壁」にも現れているのではないかと思うし、知識人全般に言えることではないかと思う。
このような中で、短絡的に求められるのが、社会や国民を引っ張っていけるような力を持つ人やエリートである。小泉総理の人気もこの辺にあるのかと思う。アメリカで言えば、強いアメリカであったり、世界の憲兵としてのアメリカだったりもしていた。イギリスで言えばサッチャー。同時にこれは、国を引っ張るような次元の話だけではなく、競争による社会一般のエリート作りでもあったと思う。そして企業のつぶしあい。
藤原さんもエリートを求める。そしてこのエリートが国民を慈愛を持って守るというのが藤原さんのお考えではないかと思う。この慈愛といったものが武士道精神という形になっているのか?こうなると、たしかに自由や平等という民主主義は必要としなくなると思う。国民はバカであったり、精神構造は成熟しないのだから。
ところが上に書いたような社会的な矛盾は、力のあるものやエリート層が社会を治めるというやり方にこそ80年代の頃からのやり方にこそ現れてきているのではないか。慈愛などはなくなってしまった。「国民国家」「福祉社会」というのは消え去ってしまった。
社会の成熟期が老齢期になってしまうよな疲弊しきった社会になってしまった。
たしか80年代には、労働時間の短縮や休日増の高まりがあった。それはワークシェアリングという形で進められるべきだった。生産現場にコンピュータや産業ロボットが導入され、人がいらなくなった分を労働時間の短縮や休日の増加に回すべきだったが、いらなくなった人をリストラという形で切り捨ててしまった。もちろんそこには競争原理が働いた。それに輪をかけて人件費の抑制は、企業競争として派遣労働制といったものや「自由な労働」という流行からフリーターを生んでしまった。海外への企業移転も。
競争は、社会の中の無駄をなくすことでもあったが、この無駄とは競争に敗れた国民や労働からリタイヤせざるを得ない高齢化した人だった。それがまた少子化というおまけをつけてしまった。
ところが、成熟した国家・社会というものは皮肉なことに強い国家や人が生き残るだけでは成立しないのである。
金があればその国やエリート層の人は自由であるが、一方には金がないと自由は得られなく、そこには平等というものもなくなってしまう。民主主義は成立しなくなってしまうのである。生産物(商品)というものは、たとえそれが生産設備というものであっても、めぐり巡って幅広い国民の消費によって支えられなければならない。金持ちのための金持ちによるぜいたく品ばかりを作っていては社会は成立しないのだから。だからたとえゆがんだ形であっても、発展途上国に自由平等を言い、大衆消費財を生産するための経済的な働きかけをせざるを得ない。
これを裏を返してみれば、形骸化した自由や平等という民主主義と生産と消費のバランスをより発達した形に持っていくことが必要なのであり、それは、国の関係からすれば発展途上国の進歩であり、国民的には、自由と平等をより根付かせることによる民主主義の拡大しかないのではないか。
だから、自由平等という民主主義は、フィクションであるとか、国民意識の成熟はないと見るべきではなくて、形骸化したものをより実質な物にするこが重要ではないか。
たしかに観念的な理想とする自由や平等という民主主義はないし、国民意識の完全な成熟はない。しかしより発展したものにする必要性はあるわけである。1からはじまって10という完璧なものに向うとするならば、今は3とか4かもしれない。だからといって5,6にする必要性を捨て去ることはまったくないのである。
人が空を自由に飛べる自由は、飛びたいという観念だけで飛んでいるわけではなく、その観念をいろいろな人の研究や実験から人の行為として発達したから飛んでいるのであり、初めは金持ちしか乗れない飛行機も一般国民までもが乗れるという平等と同じように、成熟した社会に沿ったシステムを作り上げないと人は社会の中で自由にも平等にもなれない。
だから国を動かしたりしているエリートが慈愛を持って国民を助けるという観念だけのものではなくて、国民一人一人が自立できるシステムが必要なのである。社会の中のエリートが国民を慈愛を持って助けるというのは国家の品格ではない。国民一人一人が経済的にも精神的にも自立できるようなシステムを持つことが成熟した国家の新たな発達した形の品格である。
障害を持ったり、老化したりした人たちに手助けするというのも慈愛を持って助けるということではなく、社会的システムとしたものにしなくてはならない。
「福祉社会」という古い国家に戻ることではなく、一人一人が自立できる社会システムを作ることが、成熟した国家なのではないか。ところが、今の社旗も自立を言うが、それを支えるシステムが無視をされており、格差社会を作り出しているだけである。
一人ひとりの自立というのは、経済的な社会システムと同時に、精神的・意識的な成熟にもあるが、今のように競争に追われ、勝ち負けだけがすべてという形の中ではたしかに成熟はしない。
国民意識の成熟に向けたものは、日々の労働の軽減と時間の削減が必要である。分業という形の中での知識人や芸術家も日々の生活物の生産から開放されてこそ成り立つし、時には家事労働からも解放されてもいる。生活に欠かせない物やサービスなどを生産したり提供する人々も同じで、このような労働から解放される時間の長さが必要である。子供は就労を禁止される形で日々の労働(家事のお手伝いは別にして)から解放されているから勉学に励むことができる。
いつも仕事に追いまわされ、仕事のことが頭から離れないならば意識の成熟には程遠く、少ない時間に金を使ったいテレビを見たりと安易な娯楽にも走ってしまうだろう。
先に、今の社会はコンピューターと産業ロボットにより昔のような多くの労働力が必要とされない時代に入ったと書いたが、これを労働時間の短縮に使うことができれば、一方における過度の労働と一方における失業という矛盾が少なくなり、余暇時間は増えるだろう。余暇が増えること。。。。これは、今エリートとされる人々にも喉から手が出るほど欲しいものではないか?ここでは競争ではなくて皆が必要とされているものなのである。
ある程度の金の面での平等と余暇時間の平等。ここからくる自由。これを前提にしてはじめて民主的な競争も生まれるのではないか。
成熟期を迎えた国家。しかしこの国家の成熟さを生かさないで、今あるいろいろな悪いところを前提にして人の心の持ち方に議論を持っていくというのは、本来の意味での品格ではないだろう。新たな成熟した国家に見合ったシステムを作ること、それは自由や平等というものをもっと拡大した社会的な民主主義でもあり、そこに国家の品格が成熟期に見合ったものとして現れてくるのではないか。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
現実とこころ

現実世界から降り注ぐ粒子
心が焼きついてしまうようだね
だからその瞬間の喜怒哀楽がある
でも、その粒子をフィルターに通してみよう
心が焼きつかないように
現実に対して感情的にならないために
そうしたら喜怒哀楽は
詩にもなるでしょう
悲しみの中に美しさも見えるかもしれない
怒りの中にも許しを見つけるかもしれない
楽に溺れない自分への諌めを持つかも
時には喜びを悲しみにしてしまうかもしれないけど。。。
そうすれば現実と思っていたものが
まったく違ったものだったことに気づくかも
そしたらその冷静な心で
喜怒哀楽をもう一度持とう
人をそして人の世を見よう
素直に感情という色眼鏡をつけないで
それがほんとの自分にとっての現実
梅に鶯。。。

    桜に雀。。。
今朝、雀を二羽見かけました。
テレビのニュースで見たのですが、雀の数が激減しているそうです。
燕などの益鳥は守られますが雀はたしか。。。。雀は米を食うので害鳥?それに雀焼きとして食われてしまいますからね。
たくさんの雀がやかましく鳴く風景が少なくなりました。
雀たちがたくさん鳴き始めると桜のつぼみもだいぶ膨らみます。今朝、出窓から公園の桜を見たらだいぶつぼみが膨らんでいました。もう一度ぐらい寒さが戻り、そしてその寒気が通り過ぎるとつぼみはピンク色に。。。。今年は東京も開花が少し早いかな。。。。
東京は暖かい朝ですよ。。。。
アマリリスの鉢植えに2年ほど前から植えた覚えのない球根から花の芽が出てきました。たしか、紫色の花でとてもよい香がします。球根の数が増えてきて狭苦しそうなので今年は植え替えてあげようと思います。
デンドロビュームが咲きそうです。胡蝶蘭は質素な花の数ながら一ヶ月以上咲き残っています。ミニバラの若葉がきれいです。
ミモザは花が終わりました。シクラメンもそろそろ花は終わり。。。。
時より日差しがさっと差し込みます。先日もらった花の種をまきました。

【2011年】ツイッターつぶやき
揚子江だかどこの川かわかりませんが、渡るのに難儀する大河を渡るときは互いに対立関係にある国同士の兵士も同じ舟に乗るといったような故事らしいですが、今国会内で子供手当てをどうするといった議論があるそうです。地震災害や原発問題そして停電と災いの大河がありそれを乗り越えん愛と意見愛わけですが、日本は呉越同舟とはいかないようですね。悪いほうに呉越同舟では困りますが、良い方向に国会が一致していかないと。。。
子供手当ては、災害地に満額送り、こういう状態ですから被災地でどう使うかは決めればいいし、物が必要なわけですからその金で必要物資を送ったりもできると思うのですがそうもいかないのでしょうか?
自民党と公明党が一時国会の休会を呼びかけましたが、統一自治体選挙の延期も国会で決めたわけですし、国会の役割が今がより必要になっているわけです。被災地の皆さんはもちろん国民第一の立場で国会も呉越同舟で何とか災いの大河を越えなければいけないでしょう。。。。再度書きますがよい方向へです。

【2012年】ツイッターつぶやき
昔息子が赤ん坊のころ、風呂に入れていたら湯船で気持ちよさそうにいきんでいた。出てしまったものは拡散してはいけないのである。すくおうとしたが焦れば焦るほど拡散していく。。。。
原発が水素爆発をして放射性物質は拡散をしてしまった。汚染の様子がだいぶ明らかになってきている。この放射性物質をどうするのか。答えはこれ以上人為的に拡散しないことであり、除染や今問題となっているがれきの放射能はどこかに集めて処分するしかないわけです。
がれきの広域処理が言われているが、その汚染の状態が安全な数値化危険な数値化の見方の違いがあるが、一つ言えることは放射能に汚染された物はその汚染の数値にかかわりなく拡散してはいけないということを確認できるのではないか。もちろん数値的には原発事故による通常時よりも高い非常時に許容されるとされる数値であるのだから異常な汚染であることに変わりはないのです。
各地にがれきは拡散されて焼却をすれば汚染された灰としてその各地に残る。最近ではがれきの再利用が言われて建材や紙などにというものも出ている。これは生活の場に拡散することを許すことになるだろう。
テレビでがれきを再利用して建材を作りその建材で非難している方の住宅に使うというものが放映されていた。一見がれき処理と再利用で一石二鳥のようだが、これではがれきの放射能を被災された方の未来の生活の中に拡散することではないか。その建材はいつかまた粗大ごみとして処分をしなければならないわけで拡散は続いていく。
がれきはすでに東北各県で復興の邪魔にならないところの仮置き場に全体の90%(福島は50%だったか)は集められているのである。それをなぜ全国に拡散しなければならないのだろうか。集められたがれきの処分は埋め立てたり堤防という使い方もあるようです。高濃度に汚染されたガレキはすでに人が住めなくなった原発周辺に集めて処理するしかないでしょう。
がれきの広域処理は、ただ東北の応援などという論理しかない。東北応援=がれきの受け入れという短絡的な感情論、精神論しか聞こえてこない。

【2013年】ツイッターつぶやき
千葉県野田市にあるうどんのお店「ゆでたて家」に行ってきました。
以前から時々このうどん屋さんの前を車で通り少し気になるお店でした。1か月ほど前に思い切って入ってみてその独特な個性あるうどんにびっくりしました。
今日はちょうど昼飯時でしたので混雑していました。平日ならもう少しすいていると思います。
そうは目立つような店構えでもないし少し古さも感じるお店です。店内も昔風の雰囲気。
入り口横ではご主人?がうどんを打っています。
前回は冷たいうどんにしましたが今回は熱いうどんに。鴨汁うどん。。。。熱いざるうどんをこの汁に点けながら食べます。
店のおすすめは熱いざるうどんです。たしかに太くてコシのあるうどんですから熱いほうが適度の硬さになり美味いようです。
鴨汁の汁もおいしかったです。
うどんのおいしいお店はたくさんあると思いますが、今まで食べたうどんとは違い素朴さを感じる個性的なうどんですからうどん好きの方は一度いかがですか?
サイクリング途中の方もちらほら。あんがい口コミで広がっているのかもしれません。

【2014年】ツイッターつぶやき
SATP細胞が発表をされてその後論文のある箇所がコピペだったとか再現実験も成功していないことから捏造疑惑も出始めている。小保方さんへのバッシングも始まっているという。
こういった一連の流れの中で一番よくないのが、たとえば「日本の誇り」だとか、反対に今回のようなことがあると「恥だ」とかいった持ち上げ方や叩き方ですね。「○か×か。。。。」といった単純なものではないことは確かなことだと思うのですが、どこか感情も含めたまさにバッシング的な「○か×か」になってしまう。特に小保方さん個人への攻撃になってしまう。
小保方さんには研究所を与えた組織があり共同研究者もいてそういった組織上のシステムの中に小保方さん個人もいたはずです。日本人で科学・化学でのノーベル賞受賞者がいますがなぜか国外の研究施設での研究者が多い。なんとなく日本の研究所の体質のようなものを感じないでしょうか?
そうならば今回の「捏造疑惑」も「○か×か」的なよいか悪いかといった点だけで片付けられる問題ではないと思います。
捏造では考古学で自分で埋めたものを発掘したという有名な先生の問題がありましたが、成果を出さねばならないとか、研究の競争だとかさまざまな面で研究者は追い詰められたり、研究者といえども食っていく上では低賃金で不安定雇用でいるわけには行かないといった待遇の問題もなかったでしょうか。
「○か×か」ある個人の責任で終わらせることで一応の解決は出るのですが、将来を見ればどこか覚束ない体質が日本に残るのではないでしょうか?
なんとなく日本の現状は「○か×か」とか「日本の誇り」だ「恥だ」とかいった持ち上げ方や叩き方という単純さが出ていると思います。このような社会の中にも研究者は置かれているんですよね。スポーツを見ていても世界遺産関連でもさまざまなところでこの「○か×か」とか「日本の誇り」だ「恥だ」といった言動を見受けられるのではないでしょうか。それは安倍政権の精神的な言葉と現実の乖離といった中にも感じられるわけです。
もう少し日本は落ち着いて冷静に感情的にならずに現実を見つめねばならないのではないでしょうか。

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
お題「卒業ソングといえば?」に参加
やはり『蛍の光』ですね。
と、いうか、これしかなかった。
「我が師の恩・・・・」いろいろな先生のお顔が浮かびます。
でも、先生を尊敬しなければならないといった道徳心を精神論で植え付けてはいけませんね。
晴とそれぞれに好きな先生がいるきらいな批判すべき先生がいて、そのすべてが学校の思い出ですし、卒業式でのいろいろな色の涙です。
それ以上に仲間。。。。。
今日、幼稚園の卒園式の親子を何組かみました。
今は高校でも平日に卒業式があるということを以前聞いたこともあります。
平日の卒業式。。。。仕事を持つ保護者はどうするんでしょ?
何か平日に行うことの必要性があるのでしょうか?
家庭状況もいろいろとあり、そこへの学校側の配慮も?でも、仕事を休めない時はどうするのでしょうか?PTA活動も平日が多くて仕事を持つ僕は大変でした。女性の活躍が言われる中、仕事を持つ女性も以前のようには偏見で見られなくなったようですが、やはり仕事を持てば学校行事も「普通の家庭」という意識が出るのでしょうか?
すみませんお題から離れてしまいましたが、卒業式は学校の思い出だけではなくて、卒業までの家庭の思い出ですね。親の涙を照れくさく見つめた記憶がよよみがえります。

【2018年】ツイッターつぶやき
数日前に松葉ボタンの種をまきましたが今日小さな根が出ました。このところ急に暖かくなりましたので早めに発芽したようです。来週はまた寒さが戻るようですがたくさんの芽が出てくると思います。
松葉ボタンは毎年種をとって増やしています。今年で3年目かな。。。。。。
去年採った種の半分ほど巻きましたがポット15個作りました。あとの半分はあっちこっちにまいてみようかと思います。
昨日はトリニアの種もまきました。まだ早いようですがなるべく6月ごろには本植えしたいので。。。。。トリニアも毎年種をとっています。
フリージアがもうすぐさきそうです。
撫子の新芽がたくさん出て花を2輪咲かせました。今年の寒さでダメかと思っていたブルーサルビアも葉っぱの芽が出てきました。
あっちこっちの空き地にも名前の知らない花が散らほろ。。。。
そういえば今日、東京も桜の開花宣言が出たようです。
花粉症ももうすぐなくなると思います。

【2019年】ツイッターつぶやき
朝早く起きて伊豆の温泉に行ってきました。
帰りに天城峠にある道の駅によって山葵ソフトクリームとカレーパンを食ってきました。
いろいろなところに山葵ソフトクリームはありますが、こちらの道の駅のソフトクリームはソフトクリームの横にすりおろした山葵を乗せてあります。この山葵を少しづつスプーンでとってソフトクリームと混ぜて食べます。甘いソフトクリームですが、本わさびが鼻につーんっと。
カレーパンはトマト風味があり、かりっとして美味しいです。
しかし・・・
温泉はいいですなぁ。
住む場所の近くに良い温泉があるというのは幸せだろうなぁ。

【2020年】ツイッターつぶやき
コロナウイルスで落ち込んだ経済をどう立て直すかが課題となっている。
中国もそしてそれに続いて日本も経済のⅤ字回復を目指すとしている。
しかし日本はすでにコロナウイルスの拡大前から経済の先行きに不安を持っていた。2019年10-12月期のGDPは年率にして7.1%のマイナスになっていた。中国GDPの落ち込みがあったが6%前後の伸びを示していた。ここに中国と日本とでは同じⅤ字回復を目指すにしても土台というのかスタート店に差が出ているのではないかと思います。
コロナウイルス対策も2カ月ぐらいでその感染を抑えつつあると中国は自信を深めつつある。日本は3月下旬までにどのくらい感染を抑えることができるかを問われている。そして日本はPCR検査数の少なさに不安を抱えている。ここでも現地店での差が出ているでしょう。
国会では公共料金の支払いもままならない世帯への援助が討議されていた。日本は貯蓄ゼロ世帯が増加と不安定雇用労働者の増加の中での定位賃金がが増加しているが、コロナウイルス問題で仕事を辞めざるを得ない労働者が出た場合すぐに公共料金も支払えない世帯が問題化となるのは必然でした。すでに格差社会の矛盾が個人消費のの伸びの減少として現れていました。そして個人消費の減少傾向は企業の設備投資を減少させる。観光客の落とす金で国内の消費は支えられていたがその外国人観光客も激減している。
中国はバブル的な経済をソフトランディングさせる政策が出ており、その中に格差の是正ともいわれる貧困の解消もある。人口も14億である。個人消費が経済を支えるでしょうし、このために外国資本も呼ぶことができる。
日本がⅤ字回復を本気で行おうとするならば、その財政支出は国民生活に直結したものにしなければうまくいかないでしょう。その中で金融の混乱を正常化させるために日銀の量的金融緩和も株価の下支えと企業防衛だけにつながるなら何の効果も果たさないでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
菅首相は明日専門家の意見を聞きながら予定どおり21日に緊急事態宣言を解除する方向を示した。なぜ今解除できると判断したか、その一つは医療体制の改善です。新規感染者数が減少すれば重症者数も減少するでしょう。ベッド数にも余裕が出る。
しかし医療体制を見るときに今現在の数字だけで判断しても良いのでしょうか。
今後も新規感染者数が少なくなるという判断はあるのか。また増えても受け入れ態勢に余裕がるという問題ではないでしょう。
今日の東京の新規感染者数は400人をまた超えました。全国的にも新規感染者数は下げ止まり状態です。宮城県では107人でした。これは2月にGO Toイートを再開した結果かもしれない。この中で1都3県が解除されることにより新規感染者数が全国的に増加するリスクは大きいでしょう。
また東京都の変異株の感染状況は公表されていません。変異株は全国に広がりつつあります。

【2022年】ツイッターつぶやき
昨日の午前中だったか。。。。。
気持ちの悪い暖かさというのか暑さのため、妻の横で「こういう気候の時って、地震があるんだよねぇ…」とひとりごとを言ったら、妻が「え?なんでよ」と。何でと訊かれても答えようがないので黙ってた。
夜は11頃床に入って寝付いた頃にゆらゆらと揺れるような地震が。
だいぶ長い地震で驚きましたが、翌日になってネットを見たら2回の地震が連続して起きたようですね。
起き上がってゆれの様子を見ながら「やっぱり、来ちゃったな」と思いました。
東北の大震災の時も東京はゆらゆらとゆっくりした揺れでしたから、今回も震源地は遠いなと言いながら家族みんなで寝なおしました。
我が家は停電はありませんでしたが、区によっては大規模な停電があったようです。たぶん関東一円だったのでしょう。地震で設備が損傷したというよりも電力の配分を考えた停電のようなものだったと思います。信号機が消えて大変な地区も。
新幹線が脱線したり、東北道にひびが入ったり、一番心配な福島原発も地震直後には使用済み核燃料の冷却水が止まったようです。
しばらくは注意をした方がいいですね。
被害にあわれた方にお見舞い申し上げます。

【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカの銀行破綻があったらしい。
といっても、ビットコインなど仮想通貨を扱う銀行らしい。
ビットコインがどのくらい社会の中で流通しているのかわからないが、そうは目だって流通しているわけでもないでしょう。値上がり目的の投資のようなものですから暴落すれば一気に現金化するでしょう。普通の銀行で言えば信用がなくなって取り付け騒ぎが出たような状態なのかもしれない。今アメリカは物価高ですから、生活のためにゆとり資金としてのビットコインを売らざるを得ないのかもしれない。
値上がり目的のマネーゲームですから、ねずみ講のようなもんで親が設ければさっと解散するようなもんでしょ。
しかし物価高の中で生活費のために預金を切り崩すことになっていけば、銀行の預金高も減るでしょう。一方貸し付けは金利上昇のため借り手が少なくなる。また、返済に困る人も多くなるでしょう。案外銀行は苦しい経営をしているのかもしれない。その中で少しずっこければ信用を失い取り付け騒ぎも。
アメリカ経済も危ないのかもしれない。物価上昇は経済の好転から生まれたものではないのですから。

【2024年】ツイッターつぶやき
今年の春闘では大幅な賃上げがあったといわれていますが、その賃上げが中小企業や不安定紅葉者にどのくらい波及すか。ある程度の賃上げは、この数十年賃上げがなかった時代のわずかな穴埋め程度の効果はあるかもしれません。
しかし、去年もそうですが、ある程度の賃上げがあっても円安などの影響で物価が上昇しましたし、増税や釈迦的負担が増加した。今年もすでに医療関係において賃上げ分を値上げでとなりつつある。医療関係に自己負担が大きくなるでしょう。
賃上げの恩恵のない世帯はさらに暮らしは苦しくなる。
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2025年 3月16日(日)「老化現象?」

2025年03月16日 22時26分49秒 | 「思うこと」
最近、夜車で出かけるのが怖くなった。
走っているときはそれほどでもないが、駐車場に止めるのに怖さを感じる。
今日は雨、車で買い物に行って駐車場に入れようとしたら、ばっくみらに雨だれがたくさんあり一苦労。
若い時はこんなことなかったんだけどなぁ。。。。。
やはり老化現象でしょうか。
こういったことを自覚していかないと危ないですね。
でも、車がないと東京でも生活がしにくい。
少し遠くのスーパーなんか車じゃないといけないし、近いスーパーでも買い物袋を提げて帰るにはきつい。
生協なんかいいかもしれない。
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「3月16日という日」

2025年03月16日 08時40分11秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
最近、夜車で出かけるのが怖くなった。
走っているときはそれほどでもないが、駐車場に止めるのに怖さを感じる。
今日は雨、車で買い物に行って駐車場に入れようとしたら、ばっくみらに雨だれがたくさんあり一苦労。
若い時はこんなことなかったんだけどなぁ。。。。。
やはり老化現象でしょうか。
こういったことを自覚していかないと危ないですね。
でも、車がないと東京でも生活がしにくい。
少し遠くのスーパーなんか車じゃないといけないし、近いスーパーでも買い物袋を提げて帰るにはきつい。
生協なんかいいかもしれない。


≪過去の記事≫

【2004年】
うう・・・・んっ!
     ビールがうまいっ!
暖かかったです。明日は23度ぐらいまで気温が上がるそうでうきうきします。
梨木果歩さんの新刊が出たそうですが、単行本は高くて買えない。文庫が出るまで数年の我慢です。でも、文庫本で新刊が出ました。「エンジェル エンジェル エンジェル」です。おーなりさんの本を読み終わりましたので今日から読みはじめました。さすがぐっと引き込まれていきます。
おーなりさんの「きれいな色言葉」は近く感想を書きます。

【2005年】
暖かでした。
晴れていて風もなく上着をぬいでもいいくらいでした。。。一歩づつ春が近づいていますね。
今年の春分の日は3月21日ですが、天文学からの厳密な春分は、20日の21時33分だそうです。春分・秋分は、春分の日や秋分に日とはずれるそうです。
とりあえずこの日記は春分の日から春になります。待ち遠しいです。
そういえば日の長さも延びたし日差しも強くなりました。心もなんとなくうきうきします。

【2006年】
午後になり黒い雲が出てきて風も強くなりました。夜には大荒れだそうです。
永田議員のいわゆるメール問題が収束しそうだが、これまでの国会議論が二大政党の中で政策的な論戦よりもメール問題にあるようなスキャンダル問題といったらよいのかそのような議論が目立っていたような気がする。政策的には、二大政党間にそうは違いがあるとは思えないが、そこでの国会議論自然にスキャンダル問題などになっていくのではないかと思う。
そこでのメール問題の収束もなんとなくなあなあ的に終わるような気配だ。永田議員が最悪の場合は辞職して終わる?
二大政党は、今の二大政党制とも言える国会運営を双方共に崩したくないというのが今の本音ではないか?国民が二大政党制に飽き飽きしてしまうのが怖いのでは?
明日はカビが出てしまった天井のペンキ塗りをする予定。
6日の日は、脱衣場の天上を試し塗りのように塗ったのですが、うまくできたので、明日は廊下部分です。だいぶ面積があるのでペンキもたくさん買ってきました。
朝早くから頑張りたいと思います。

【2007年】
外食でした。
ワンタンとビール。
朝、小雪が舞いました。小雪といっても白いものがぱらりと一つ二つ。。。。。。
今年は、雪のまったくないままに春一番が吹くという暖冬でしたが、3月も中旬というのに冷え込んでいます。自然というのはどこかで帳尻をあわすようです。人間も頭に乗って自然を支配しているなどと浮かれていると自然による帳尻あわせに合ってしまうかもしれない。
梨木さんの「家守綺譚」を読んでいるが、その中に毎年移り変わる自然だが、同じように春が来て夏が来ていつの間にか秋になり冬になるというこの移り行きが信頼できるものというような言葉があったが、思い言葉である。
でも、自然も短い時間の流れに気まぐれもあり、気の遠くなる時間の流れの中に一瞬の驚きを見せてくれる。

【2008年】
14日は、夜に雷雨がありました。
一時激しく降りましたが、風は暖かで本格的な春を感じました。そして昨日も今日も日差しの中は暑いくらいでした。
公園の早咲きの桜が咲き始めています。ソメイヨシノの芽も膨らんでます。
今。。。。風呂上り。
パジャマ1枚でもちょうどよいぐらい。
まぁ、この後も花冷えというものもありますし、桜の花に雪が降る事もありますが、やっと春ですなぁ。。。。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
鶏肉をマヨネーズ風味にして焼いてみました。
鶏肉(胸肉)をマヨネーズ、粒マスタード、卵の黄身、砂糖、醤油、味噌のタレに漬け込み、グリルで焼きます。
僕は漬け込んだだけで食べてないのですが、家族には好評だったようです。。。。
どんな味だったろ?(笑)
でも、適当に味付けをしたわけではなくて、マヨネーズは肉を柔らかくしますし、マヨネーズと醤油や味噌は味の相性がとっても良い。粒マスタードは適度な辛さに仕上がりますからね。マヨネーズとカラシは、サンドイッチの味で実証されています。
ですからまずくはないわけです。うん!!これまで見たり聞いたりもしていますし、主夫歴の長い僕といたしましては料理の理論的裏づけがあるわけです。。。。
とはいっても僕自身は食っていないわけでして。。。。今度また作り食ってから毒味の結果を書きますのでそれまではお試しのないように。。。(笑)

【2011年】ツイッターつぶやき
昨夜は静岡での大きな地震で東京もだいぶ揺れました。ゆらゆらとゆっくりした横揺れで火山性の地震だなと家族に話しましたが震源地が富士山の裾野ですからなぁ。。。。
東は東北の大震災、北は長野でも地震、そして西が今回の静岡の地震で、南は太平洋の大海原。。。。東京はまさに四面楚歌です。四面楚歌という言葉が適切かといえばそうではないのですが、周りに兵士ではない動員された農民のときの声での心理的圧迫ですかが、この真理的な圧迫が大都市圏にも出ているのではないかと思うのです。その意味でいろいろな情報が不足したり言い知れぬ不安が募ってきてそれが真理的に四面楚歌状態を作っていくのではないか。
子にもいろいろと国民向けに発表をしていますが、結局は国民はテレビに出てくる専門家の意見でいろいろなことを知っているわけです。何もいちいち総理大臣や官房長官が出てこなくても報道官的な政府を代表する人が出てきて逐一国が何をしているか、国会が何をしているかを情報として流すことはできると思います。
国民はテレビなどで知るものしかよくわからずにそこに国が見えない。国や国会開会中の姿が見えない中に疑心暗鬼にもなっていきます。そこに国会は休会させるべきとか増税を検討すべきなどというものが流れてくる。国民は不安になるわけです。
このようなことは一つひとつの企業やさまざまな社会を担っている組織の中身にも出てきます。例えば一般社員は危険や家族を残してどうにか出社をしようとしていますが、鉄道関連の二乗という中に出社しないで自宅待機という形もあり、自分の企業の動きがどうなっているのか、上位下達式な命令系統と同時に今企業は何を考えているかの情報を流すことも必要でしょう。
生活もだんだんといろいろな物がなくなっている中にじわじわと精神面を追い込んでいく。東京にも微量の放射性微粒子がというものが民間の研究機関が調べてそれをマスコミが発表する。外に出るときはマスクをというがそれは原発近隣だけなのかあるいはもう東京でも必要になっているのかはその報道から誰にそれを呼びかけているのかわからないものがある。
今無事な地域がしっかりしないと大変なことになるのですが、その中で働く人が四面楚歌的な精神状態になり疑心暗鬼が強くなってくると社会性が崩れてくるでしょう。
それでも出て行かないと休暇扱いになるからとか会社に忠誠を見せないととかいろいろと考えながらも頑張っているわけです。

【2012年】ツイッターつぶやき
拝啓 川上弘美様
日記を拝読いたしました。
食事制限をされている娘、ティッシュを持ち歩きなんでも拭く娘、するめを焼く娘。。。。
旅の約束に変な動物を拾わないと約束させられる娘。。。。。
どこか想像をかきたてられる娘さんたちですなぁ。しかしその想像はどこか快楽を感じますなぁ。
どこか快楽っぽいという意味ではミゼラブルのお医者さんも快楽を感じます。。。
食欲が、初恋の人会いたさに勝ち汁を飲み干すというのももしかしたら快楽主義かもしれない。
ストイックの反対はなんというんだろ?
凍りつく。。。。。そう、凍りつくお話ですね。
           敬具

トイレにコルセット。。。オヤジの僕としては腰痛のコルセットしか思いつかないからなっとくしてが。。。。

【2013年】ツイッターつぶやき
車を走らせていたら、じい様がふらふらと出てきたのでクラクションを控え目にならした
じい様はこっちをにらみつける
その顔は。。。。
「なんだ、ばかやろう」
しばらくして、今度は細い道から車が出てきてブレーキを踏んだ
そろりそろりとその車は出てきて僕が進むのを牽制する
するとさっと出てきて僕の顔を見てにやりと笑う
その顔は。。。。
「なんだ、ばかやろう」
そういえば、この前電車に乗り込んだら
座席はもう一人腰かけられるのに大股開いて体を傾けている若い人がいた
その前を通り抜けて先の車両に進む
その時その若い人がにやりと笑った
その顔は。。。。
「なんだ、ばかやろう」
こういう「なんだ、ばかやろう」がはやる。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
牡蠣と長ネギのぬた
長ネギは一口ぐらいの輪切りにして塩茹でして冷ましておきます。
牡蠣は塩でよく洗い水で塩分を流します。水分をペーパータオルなどで吸い取り片栗粉をよくまぶして茹でます。
片栗粉をまぶして茹でると身が縮みません。
牡蠣を冷水で冷まします。
牡蠣と長ネギの水分をよくふき取って小鉢に盛り付けます。
ぬたのタレは。。。。
    味噌・砂糖・酢・からし
このタレを乗せたら出来上がり。
牡蠣がプリプリでおいしかったです。

あと半月ほどで消費税が8%に上がります。同時に政府は法人税減税の検討に着手したという。
消費増税は民主党政権時から社会保障に使うとされていましたが、野田政権あたりから公共事業にもといった議論が出てきて安倍政権は成長戦略の中でこの公共事業を優先させていると思う。消費増税は最終的には消費者(勤労国民)の負担へ向かい、消費増税による値上げが進んできていますし、「消費増税分値下げ」といったものを政府は禁止をしている。
消費増税の中、社会保障は自助へ向かい円安を含めて悪性の物価上昇。そして公共事業などという国家財政の再建は見えなくなる。
このような中で法人税は減税という方向に向かう。これも安倍政権での成長戦略に組み込まれるものでしょう。すでに賃上げ・設備投資の減税も。
法人税減税による税収不足をどのようにその財源を確保するかはあやふやである。
この政府の動きに対して日銀総裁は法人税減税に慎重な態度を示す。財源の確保をどうするかと慎重な態度ですが、日銀としては「財政の信頼がしっかりしていないと、思わぬところで国債価格が下がり、金利が上がる。経済にとって好ましくない」(上記リンクページより引用)ということでしょう。
財源の議論から早急な消費税10%では国民生活は溜まりません。もちろん10%へというのは景気判断からとされていますが、財源問題と成長戦略は結びつく可能性があると思います。
アベノミクスが成功しているかといえば最近では貿易赤字の拡大などマイナス面が多く出てきています。国民生活上の経済への期待は消費増税に関する駆け込み需要に頼る。
安倍政権の経済政策で明るいものといえば株価上昇や高級品の売り上げの拡大。しかしこの株価も最近では日銀の更なる緩和を求め始めている。
消費増税と法人税減税は成長戦略という矛盾のひとつの中心であることを描いているのではないでしょうか。

      真鶴

路地裏に風も吹かずに春近し
人も無き路地を下れば海光る
静まりて小さき船は揺れもせず
見上げれば貴船の石段古びたり
華やかな祭りの景色思いおり

凪に似て動かぬ時はゆらゆらと
真鶴や人の心は幻か
華やかな祭りの影に心揺れ
時も無き心の景色激しけり
誘われて波打つ磯に何を見る
波に濡れ誘うも心我が心
ゆらゆらと祭りの船は燃えており

現世の光る水面も幻か
燃える船うつつの闇も光りけり
夢うつつ時の流れにさ迷えり
庭先に時は動いて梅一輪
磯辺にて海苔掻く音は響きおり

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「お気に入りの靴」

お気に入りの靴と言っても多く靴を持っているわけではなく、人様にお見せするような靴でもないです。
でも、昔お気に入りのスニーカーがあり大切に履いていたのですが、しばらく履く機会もなくげた箱に入れておきました。
久しぶりに履いて駅まで自転車に乗ったのはいいのですが、ペダルをこぐ足が冷たい?
おかしいなぁと思い自転車から降りて靴裏を見たら、なんと、靴裏の底がボロボロになっていました。
手でつまむとやはりぼろぼろと靴底が崩れます。
たぶん長い間履かなかったので劣化したものと思います。
お気に入りの靴でも大切にしまっておくべきではなく履いてあげないとだめですねぇ。。。。

2014年の今日、「真鶴」というものを書きました。
      真鶴

路地裏に風も吹かずに春近し
人も無き路地を下れば海光る
静まりて小さき船は揺れもせず【2018年】ツイッターつぶやき
森友学園関連での偽装公文書問題が様々な形で矛盾が現れている。
官僚がなぜ胡散臭い小学校の建設で虚偽文書まで作らねばならなかったのかがわからない。今回は報道で安く国有地を売ったという以外は贈収賄のような一度も金に関した記事もない。
結局は忖度以外のものではないのではないか?
もちろん官僚も火のないところで忖度というような煙は立てないでしょう。
忖度についてんロイターにおもしろい記事があった。
日本独特な忖度という美徳。。。。。。
しかし忖度は美徳でも何でもない。
忖度するには相手の意向が見えないとできないことです。今まで、「俺の言っている意味わかるよな?」というときの笑顔の醜さをいくつか知っている。
問題化したときに忖度をした人々が犠牲になり、忖度させた人が涼しい顔をしているというのは普通ではない。忖度させた人間が忖度したものをかばうというのが最低限の美徳でしょう。

見上げれば貴船の石段古びたり
華やかな祭りの景色思いおり

凪に似て動かぬ時はゆらゆらと
真鶴や人の心は幻か
華やかな祭りの影に心揺れ
時も無き心の景色激しけり
誘われて波打つ磯に何を見る
波に濡れ誘うも心我が心
ゆらゆらと祭りの船は燃えており

現世の光る水面も幻か
燃える船うつつの闇も光りけり
夢うつつ時の流れにさ迷えり
庭先に時は動いて梅一輪
磯辺にて海苔掻く音は響きおり

川上弘美さんの小説『真鶴』を読み終わり、真鶴を訪ねてみたとき書いたものです。
川上さんの不思議な世界を表現した作品です。この不思議な世界は川上さんの作品の特徴です。
興味のある方は是非お読みになってはいかがでしょ。
先の文章は、俳句を17行並べたものです。
5行、7行、5行の構成です。17文字17行の私的なもの。
勝手ながら「俳連詩」と名付けています。この「俳連詩」という言葉や形式が昔からあるのかどうかは和k理ません。
「カテゴリ」に「俳連詩」があります。
なかなか私的な気分になれないのですが、また異聞が乗ったら書いてみようと思います。
季語にはこだわらないですが、5,7、5行の各連句の一つに最低一つの季語を入れています。

【2018年】ツイッターつぶやき
森友学園関連での偽装公文書問題が様々な形で矛盾が現れている。
官僚がなぜ胡散臭い小学校の建設で虚偽文書まで作らねばならなかったのかがわからない。今回は報道で安く国有地を売ったという以外は贈収賄のような一度も金に関した記事もない。
結局は忖度以外のものではないのではないか?
もちろん官僚も火のないところで忖度というような煙は立てないでしょう。
忖度についてんロイターにおもしろい記事があった。
日本独特な忖度という美徳。。。。。。
しかし忖度は美徳でも何でもない。
忖度するには相手の意向が見えないとできないことです。今まで、「俺の言っている意味わかるよな?」というときの笑顔の醜さをいくつか知っている。
問題化したときに忖度をした人々が犠牲になり、忖度させた人が涼しい顔をしているというのは普通ではない。忖度させた人間が忖度したものをかばうというのが最低限の美徳でしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
「日本人はなぜ席を譲らない?。。。」
なにも日本人が席を譲らないというよりも外国に比べて席を譲らない人が多いということなのでしょう。
日本人の美徳として喜怒哀楽を表面に出さないというものもあるでしょうが、そこから自己表現が下手なのかもしれない。
電車の中で席を譲るというのもこの自己表現ですから、なかなか席を譲るというのにも勇気というのか思いっきりが必要となります。社会の中でうまく人と人との関係を維持するには自分を殺すことが多い社会です。自分の考えを相手に知らせようとすることもいろいろなしがらみの中で胸にしまってしまったり忖度してごまかしたり。縦割り社会の力もありますから。自己表現が下手と同時に自己表現がしにくい社会ですね。
しかし日本人が席を譲らない理由にはもっと深いところに理由があるのかもしれない。
自分を殺すことになれてしまっているということは、社会の中での利害関係による。
会社など、そしてカネを挟んだ従業員対客などという利害関係という中では自分を殺す。しかし利害関係のない電車の中の対人関係においては自分を殺す必要はない。利害関係のある場所での笑顔やおもてなしに対する利害関係のない中では席を譲るという「表ない」心は必要ない。
また差別主義は女性軽視になったり、やさしさのない高齢者への軽視にもなる。今の社会はこの差別主義が正当化されることがある。
また今の社会は力そして競争の社会だというものを日常身にしみこまされる。電車の席に座るのも力となるときもありますからその競争力を発揮する。。。。。

【2020年】>ツイッターつぶやき
株価の急落が止まらない。
この中で日銀は追加の金融緩和を打ち出した。そしてアメリカはほぼゼロ金利となる1%の利下げを行い量的緩和も行った。
先週からの株価の急落が週明けにどうなるか心配があったがアメリカも日本もどうにか乗り切ろうとしたようです。
しかし日本の株価は乱高下するだけで最終的には429円安となった。アメリカもダウ平均CFDが1203ドル安となっている。
株価の下支えの金融緩和ですから経済全体の景気後退を食い止めるような効果はないということです。すると株価もそこに安心感を持てないのは当然です。
今回の株価急落はコロナウイルスの影響と言われていますが、たしかに影響は大きいでしょう。しかしこれだけの株価急落につながるような要因だったのでしょうか?個人消費や企業の設備投資が活発ならば一時的な損失で済むでしょう。この場合これだけの株価急落になるとは考えられません。
昨年からエコノミストの間では世界経済は後退に向かっているとしました。それでも政府は消費増税を行い、アメリカも対中国をはじめ保護主義に動き出しました。コロナウイルスがどうのという以前にすでに景気の後退要因がありました。
好景気は株価と企業利益だけにしか見えないもので、個人消費や設備投資も含めた経済全体の景気の過熱はありませんでした。格差を拡大させながら富の再配分は下から上へ吸い上げ、株価維持のために量的緩和や年金積立金の利用までされました。
これらの経済矛盾がコロナウイルスを引き金に一気に噴出したのでしょう。コロナウイルスがなくても他の要因が引き金になったでしょう。
株価の下落にとどまらず景気はさらに冷え込んでいくでしょう。
日本はデフレからの脱却などアベノミクスの中では起きなかったのです。

【2021年】ツイッターつぶやき
菅総理の息子さんの接待問題から総務相≪過去の総務相も含め≫のNTTからの接待問題へとなってきました。接待を受けて企業に手心をというものは隠したいでしょうから、総務省は「国民が疑念を抱くような会食・会合」ではなかったと繰り返すばかり。
まぁ、総務省や官僚とNTTとの関係がどうだったかは倫理面での官僚の辞任で終わらすかもっと政界にもメスが入るかはこれからですね。
しかし「国民が疑念を抱くような会食・会合」はないと仮定したとしても、緊急事態宣言下で国は国民に対して自粛を呼び掛けている中、自民党の議員が4人以上の会食をしたというニュースが多く流れていましたし、今回は仕事上の会合ではなかったとする会食がまたあったわけです。
同時に政府は緊急事態宣言は成果が薄いとして宣言を解除する方向に動いています。ニュースなどを見ていると、カラオケでクラスターとか人出が減らないと国民の自己管理が問題のように報道されています。しかし国民の目線から大臣をはじめとした議員や官僚が1回の会食で国民年金生活者の1か月分ぐらいの支給額やサラリーマンのお小遣い以上の額を企業から接待され会食を堂々と行っていることを見るとバカバカしくてやってられないとなるでしょう。
緊急事態宣言が役に立たなくなっているというのは、国の信頼がなくなっているからなんです。
このへんからも政府のコロナ感染対策は失敗をしているのです。

【2022年】ツイッターつぶやき
朝テレビをつけたら天気予報をやっていた。
各地の天気のような日本地図が出てきたら東京は真っ赤っか。。。。。
パソコンをつけたら画面の上の方に花粉が非常に多いと。。。。
目は痒いし、鼻水とクシャミは止まらないし、咳まで出はじめて、耳の穴まで痒くなった。
たまらず目薬を買いに行った。
夕方妻が洗濯物を入れてと言ったが、いやだと言ってことまった。
その洗濯物の下着を風呂上がりに着たらくしゃみと鼻水が止まらない。
最高潮です。。。。。。
梅にはじまり桜が散るまで。。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
二刀流の大谷選手が話題ですが、たしかに投打において活躍をしています。
でも、昔はピッチャーでも打席に立っていましたよね。あの頃の投手と二刀流というのは違うのでしょうか?野球のルールに弱いのでよくわかりません。
打席にピッチャーが立つと打てないので3回バットを振って終わりとか、バントで塁を進めるぐらいでした。それでもバッティングにもうまい選手もいた記憶があります。
チャンスにピッチャーが打席となると、監督が悩んで代打を。するとそのピッチャーは降板となる。監督は悩みましたし、ピッチャーとしては完投や勝星にもかかわる。
こういったことがあったのでルールが変わって二刀流が珍しくなり話題になっているのか?
昔はジャイアンツぐらいの選手は名前ぐらい知っていましたが、最近はその名前すらわからなくなった。それだけ僕にとっては野球は遠い存在。と言ってもサッカーの選手もわからないし他のスポーツの選手もわからない人が多い。

【2024年】ツイッターつぶやき
ドイツ、フランス、ポーランドの三国がロシアへの制裁として凍結したロシア資産の利益をウクライナに供与し、武器の購入に充てるとした。ウクライナ支援は西側の大きな負担になりつつあり、多くの兵器がウクライナ人の兵士とともに使い捨てされている。そこにさらに兵器を投入するというのは、ウクライナ国民の命を犠牲にして軍需産業が利益を得る。この構図は盗人と言える。
こうした行為をEUが認めるのか。アメリカの軍需産業は喜ぶでしょう。
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2025年 3月15日(土)「ううう・・・・」

2025年03月15日 22時06分33秒 | 「思うこと」
東京は来週末には桜が開花しそうですが、花粉症も最盛期。
昨日から目がかゆいし、知らぬ間に鼻水が垂れて慌てています。
こうひどいと、体調も悪くなり、なんだか風邪でも引いているようにだるい。
毎年のことですが、今年は少しひどいかも。
布団は絶対に干しません。でも風呂上りに下着やパジャマを着替えて着ると、鼻の奥がツーンとして鼻水が垂れます。
咳まで出始めるのもつらい。
あまり薬は飲まないようにしているのですが、月曜日には目薬だけでも貰ってこよう。
そういえば、目と鼻、鼻を通じてのどがつながっていると思うのですが、目薬を点けると鼻の調子もよくなるような?
あと2週間、我慢します。
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3月15日という日

2025年03月15日 08時02分17秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
東京は来週末には桜が開花しそうですが、花粉症も最盛期。
昨日から目がかゆいし、知らぬ間に鼻水が垂れて慌てています。
こうひどいと、体調も悪くなり、なんだか風邪でも引いているようにだるい。
毎年のことですが、今年は少しひどいかも。
布団は絶対に干しません。でも風呂上りに下着やパジャマを着替えて着ると、鼻の奥がツーンとして鼻水が垂れます。
咳まで出始めるのもつらい。
あまり薬は飲まないようにしているのですが、月曜日には目薬だけでも貰ってこよう。
そういえば、目と鼻、鼻を通じてのどがつながっていると思うのですが、目薬を点けると鼻の調子もよくなるような?
あと2週間、我慢します。

≪過去の記事≫

【2004年】
神様
                     中公文庫
             川上 弘美  著


「神様」をはじめ、九つの短編からなる短編集です。
「神様」は、「くまにさそわれて散歩に出る」という言葉からはじまり、最後の短編「草上の昼食」は、そのくまからのお別れの手紙に返事を書くところで終わります。
神様とは、熊の世界の神様。熊の神様にお祈りをすると同時に人の神様にもお祈りをしてこの短編集は終わります。
このように、さまざまな不思議なお話の短編集ですが、すべての作品が独立をしているかといえばそうではないのかもしれません。主人公の女性華子は、全編に共通します。
最後に華子は熊の神様に華子は何をお祈りしたのか。
はじめの短編「神様」では、熊は「くまの神様のお恵みがあなたの上にも降り注ぎますように」と言う。華子は「くまの神様とはどのようなものか、想像してみたが、見当がつかなかった」と。
最後に華子は、なぜくまの神様にお祈りしたのか?ここがこの作品の主題ではないでしょうか?
「夏休み」は、夏の不思議な体験と夏が終わる寂しさを現しています。とても心にしみるお話です。「花野」は、死んだ素敵な叔父と対面し、世間話のようなお話をする。叔父は実態のあるものには触れられないはずなのに、最後に大好物のソラマメをつまみ食べることができ感謝をする。暖かい気持ちになれます。
その他の作品も、心を暖かくさせるものがあります。
くまの誠実さに暖かいものがあります。
くまの神様が与えてくれた「お恵み」とは、こんな人の心を暖かくしてくれるような不思議な世界なのかもしれません。しかし、それは現実の世界のある面でもあるのかもしれません。
華子は、最後に、これをくまの神様にお祈りをして感謝したのかもしれません。
素晴らしい作品でした。
解説には、「これは夢だ」とあります。また、夢であることからと言ってフロイト的な夢分析(性を中心とした)をしてこの作品を分析してはならないと書いています。
僕は、この作品は夢ではないと思います。
夢の世界のようではありますが、川上さんの内面を表した作品でしょう。内面に沸き起こるものを自動筆記のように思うままに描いていく、これが川上さんの作品です。でも、内面を見つめてそれを計算高く不思議な世界に現したというような打算は川上さんにはないと思います。自然になるがままに描いたということが伝わります。
<加筆訂正>2005年9月16日
上の感想で、主人公「わたし」を華子としましたが、華子は、「わたし」の叔父の娘で、「わたし」の従姉です。
主人公「わたし」は、一人のある女性としておきます。

暖かでした。
もうすぐ春分!春本番ですね。
洗濯物もからっと乾き、気持ちの良い一日でした。
駅前の肉屋さんでチャーシューを買ってきました。少し高いのですが自家製のチャーシューでおいしいです。脂身の多いところ少ないところを選べるのでいいです。ここのチャーシューを食べると、スーパーのパック入りのものはどうも・・・・・
時間があるときは我が家でも作るのですが、もちろんこれが一番うまいです!!(笑)

【2005年】
デパートに行ってきました。おいしいケーキがあるので行ったのですが、食料品売り場の片隅に生ジュースコーナーがあったのでついでに飲みました。本格的なジュースで、僕の前に並んでいた男性のオレンジジュースを作るところを見ていたのですが、オレンジを3個か4個使っていました。僕はビタミンが豊富な何とか言うジュースにしました。すっぱさがきつかったですがおいしかったです。
ケーキもジュースもおいしいものは高いです。
ジュースというのは果汁100%でなければならないそうですが、濃縮還元の安いジュースばかりを飲んでいると、新鮮な本物の味にあらためてびっくりします。

【2006年】
朝まで寒かったですが、昼過ぎから暖かさが戻りました。昨夜はまるで真冬のようでした。
スーパーのレジの列が混雑していました。こういうときは買い忘れをしないように慎重になります。だいぶ前、油を買い忘れてその油一つでまた長い列に並んだことがありました。いらいらしちゃいます。
あぶなく缶チュウはいを買い忘れるところでした。。。。
帰り道、公園の横を通ったら子供達が大勢遊んでいました。暖かいのでもうシャツ一枚で遊んでいました。桜の木を見上げたら、もう莟がだいぶ膨らんでました。
東京の公園も子供達にとってはけして安心できる場所ではなくなりましたが、日が延びてきて6時少し前頃までは明るいので子供達も外に出ることができる時間も延びました。

【2007年】
気象庁による桜の開花予想が大幅に修正されたらしい。ワイドショーなどで気象庁の責任者のお詫びが放映されていたが、はじめはたがか桜の開花宣言でなぜこんなお詫びをと思ったが、隅田川は桜の時期となると屋形船がたくさん浮かび、早い時期からの予約となるし、開花宣言は利用者にとっては大切らしい。こういうことって案外たくさんあるのかもしれない。
午後から雨!という予報なら、駅の売店やコンビにではビニール傘を出すかもしれないし、行楽用の弁当屋さんも影響があるかな。。。。
たかが開花予想されど開花予想。。。。。
東京も予想より1週間ほど桜の開花が遅くなるらしいが、暖冬といっている割には去年と変わりなさそうである。
夕螺家恒例隅田川夜桜船が楽しみ。。。。。今、ホームページを見たら、運行予定が3月17日(土)~4月8日(日)と、なっていた。明後日は無理でしょう。。。。やはり気象庁の開花予報を当てにしたのか(笑)
春闘も終盤
1000円ぐらいの賃上げ?
政府も財界も景気拡大維持には賃上げが必要という認識がやっと出てきたようだが、どうも大幅な賃上げには慎重なメンもある。
理由は「国際競争力」。たしかに賃金コストが上がれば競争力は落ちるというのはじょうしきなようだが、大企業の工業製品は、現地生産が多くなり、韓国や中国で生産されたものを企業は売っている。もちろん日本にも韓国や中国で生産されたものが入ってきて、テレビは輸入製品にもなりつつある。でも売っているものは日本企業製。。。。なんだか国際競争力というのもわかりづらくなっている。
国際競争力をつける=中国並みの人件費。。。。ということか?
これでは大幅な賃上げは無理となり、個人消費の伸びも無理ということで、停滞は続くのだろう。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
僕は野原を歩いていた
春の風が吹いていた
その風がヒューと強く吹いたとき
隣にいたはずの君はいなくなっていた
僕はあせったなびく草に君を探した
落ちていたのは君の言葉だけだった
僕は全部拾ってつなげてみた
僕はつなげ方が下手だった
拾った言葉は羅列でしかなかった
そのときまた春の強い風が吹いた
君の言葉たちが空に舞い上がった
そしてくるくると回った
つむじ風は一つの整然とした一言の言葉をつなげた
君の言葉は整然と僕の心に入り込んだ
そうなんだ。。。でもその整然とした言葉は
僕の心の中でまたばらばらになってしまった
また僕はなびく草に君を探した

僕は野原を歩いていた
春の風が吹いていた

【2011年】ツイッターつぶやき
東京も含め関東から甲信越まで計画停電が一部の地域で行われはじめています。
節電ですからしかたないと思って見ています。
この原因はもちろん東北の地震と福島原発の事故であると思うのですが、東京をはじめ人口が集中する大都市の電気エネルギーは、今の原発事故を見るにこのような危険性を福島やいろいろな風光明媚で自然豊かな土地に依拠をしてそこに住む人たちの危険性という犠牲の中にあったということですね。
これは沖縄の普天間基地にも言えるわけで、沖縄のやはり風光明媚な美しい自然の中にある基地を沖縄のこれまでの犠牲の中においてある意味日本の軍事戦略を支えていたわけです。
このように福島の原発と普天間基地は共通点があります。
今になってはどうにか原発が臨界爆発を起こさないようにそして福島の汚染が広がらないように祈ると共に安定化してもらう努力を祈るばかりですが、しかし、今が大切です。悔やんでもしかたない。今できることという中には、豊かな電力がどのような犠牲において維持されたかを確認すると共に被爆された方や避難された方に何ができるかにあります。それは個人の意識だけではない政治的な認識の中からの何ができるかにあります。
大都市や原発のないところに住んでいる地域が何をすべきかです。
関東一円に避難場所を確保していくことは難しいのでしょうか。またこれ方たぶん増えていく被爆者の問題もあると思います。その専門病院も必要になる。これをいち早く作る作業が必要でしょう。病院を新たに作るというのは大変ですから、今まで無駄だといわれた議員宿舎などを改良して簡易な施設として使うとかはできないのでしょうか。そこに専門の医療器具を入れて。。。。。これはたぶん素人考えでできないよといわれると思います。でも現地で避難ばかりしかできない現状では。。。。こういう事態になったら今までの恩返しというのか。。。。何かしら大都市は都知事を中心に各県の知事が集まり動くことは必要ではないかと思うのですが。それは日本全体で普天間を考えるのと同じです。空想的でしょうが・・・・・

【2012年】ツイッターつぶやき
ツイッターで読んだのですが、アゴラに「原発問題において不可欠なパラダイムシフト」という文章がある。
この文章の要旨は
「なぜ、放射能をそんなに恐れるのかわからない」という人もいれば、「なぜ、低線量被ばくは危険ではないと言えるのかわからない」という人もいる。
片方が正しく、片方が間違っているとは言えないし、「安心」と「不安」は共存する。論理的な話や科学的な検証といった「正しさ」は必要であり、それを信じて真摯に情報提供に努めることに価値はあっても、それだけでは解決しない。
正しい間違っている、勝った負けたの話では決してない。もしそう考えるのであれば、原発の是非は主張の異なるものとの正しさを巡る議論ということとなり、復興とは無関係のものである。
ここで発想の転換、つまりは「パラダイムシフト」が必要となる。「正しさ」を決められないのなら、「正しさ」を求めなければいい、と。
「妥協点」という言葉はポジティブではないので、「共通目的」と言い換えよう。具体的には、「被災地の復興」と「福島県から避難している人たちのケア」である。どうアプローチするかはさておき、これは議論を待たずして共有できる目標のはずだ。
つまり、「正しい」ことではなく「良い」ことをするというように文脈に変えて、反対派をモチベートするということである。「安全だから大丈夫です。受け入れてください」という受動的な表現ではなく、能動的な表現に変えていくことである。
「政府を信じなくていいですし、テキトーなことをいうメディアは無視して、被災地で不便を強いられている人たちを支援し、福島を差別から守りましょう」というように。
被災地で助けを求める人、避難生活を余儀なくされている人がいる。これは紛れもない事実だ。
今、必要なのは「正しさ」を超えたパラダイムシフトなのである。
               (以上、上記リンクページより引用)
パラダイムシフトとは何か?
こちらのサイトを参照させていただきますが、人々が正しいと思っていたことがある。たとえば天動説である。しかし観測の技術が向上していく中に天体の動きの説明に矛盾が出てくる。そこでこれまで異端とされた地動説が検討をされ始めて矛盾した天体の動きが合理的に解決をされていく。ここに天動説が地動説にというパラダイムシフトが行われる。
パラダイムシフトをこのようにとらえると、原発事故問題をどのようにとらえるかの答えが得られるのではないか。事故以前は巨大地震や大きな津波は想定せずに今回のような水素爆発もないという仮定の上に安全が言われた。そしてそれは安全神話だったというのが大方の判断だろう。まさに原発は安全発電設備であるという天動説への疑問や矛盾が見えてきたのである。これは安全性だけではなくて発電コストが低くCO2の胚珠もないクリーンな発電設備というのも事故後の賠償金や事故を起こした原発の廃炉の困難さからかさむだろう費用、いったん事故が起きれば制御のできない放射能の拡散という環境破壊というCO2とは質の違う環境破壊が起こったことによりやはり天動説は覆されている。このような原発への不信や矛盾の現れの中に脱原発の声が高まり、政府民主党内にも将来的ではあるが原発に依存しない社会を言うようになっている。すでに積極的原発推進は言われなくなっている。地動説が言われるようになりその正しさが明らかになってきていると言えるだろう。そして新たな発電設備としての自然再生エネルギーへの転換が言われ、産業としても発展する目ができている。
このように原発依存という天動説から脱原発と自然再生エネルギーという地動説へとパラダイムシフトが行われようとしているということである。
まず、このパラダイムシフトの過程であるという位置づけを確認することから話を進めるべきだろう。
このようなパラダイムシフトの中においても拡散された放射能の安全性や危険性の議論は尽きない。どちらが正しいのかは素人判断では正確には判断できないだろう。その中に確かに「正しさ」から離れたパラダイムシフトが必要である。しかしこれは、科学的な判断による「正しさ」という唯物論から離れて『「政府を信じなくていいですし、テキトーなことをいうメディアは無視して、被災地で不便を強いられている人たちを支援し、福島を差別から守りましょう」というよう』なあるいは『「正しい」ことではなく「良い」ことをするというように文脈に変えて』といった感情論的な観念論に移行することがパラダイムシフトだろうか。もちろん引用した文章は放射能の危険性を訴える人々への「説得」あるいは抑え込みのための論理的パラダイムシフトなわけですから観念論的手法も気には止めないでしょうが。
放射能汚染の現状の中において「安全だ」という人と「危険だ」という人のこの矛盾をどのように解決をするのが本来のパラダイムシフトだろうか?
今現在の放射能汚染度は通常時の放射線量ではないというのは誰もが共通して認めるものだろう。そしてその放射線量からの処置としての外部被ばく量や内部被ばく量の基準値は今回の原発の事故時や核戦争時の緊急的汚染時における暫定基準であるというのも共通した認識となるだろう。また一部には安全も危険も低線量被ばくについての統一的な見解はないという人もいる。この事実から話を始めるなら、放射線量は基準値は最低限守らねばならない数値であるということからその基準値以下にして国民(特に子供や幼児)を守るというのがパラダイムシフトと言えるだろう。最低限度の守るべき被ばく線量数値から下げる必要性は「危険だ」という人はもちろん「安全だ」という人も否定はしないだろう。政府も除染の必要性を言っているわけで実際行われている。同時にこれは飛散された放射能をさらに拡散してはならないということにもパラダイムシフトは働くだろう。
天動説という常識あるいは正しいと言われたものの中に矛盾が見えるようになった時、その天動説は否定をされて発展した形の地動説が生まれる。このパラダイムシフトの現象面の裏には、というよりもパラダイムシフトを貫徹させるエネルギーは矛盾である。「安全だ」「安全ではない」という矛盾が新たな方向性を産むのである。科学的に安全柿喧嘩の追及はされ続けなければならない。しかし同時にその答えが得られる前に国民を守るという政治的な方向性は、脱原発と自然再生エネルギーの方向に向かい、出来るだけ被ばく量を小さくしていくことに向かう。これが発展ではないか。

【2013年】ツイッターつぶやき
今、もう一度振り返らねばならないものがあるのではないか?
それはなぜ圧倒的な支持に下に民主党政権が生まれたのかという事です。
もちろん民主党の「国民の生活が第一」という政策がだんだんと尻つぼみになり、脱官僚は官僚排除という誤った方向になり、財政問題では仕分けという限界にとどまり社会全体のも順にまで目が向かなかった。そのほかにもさまざまな問題があったと思うのですが、とどめは菅内閣の消費増税で、原発事故後に野田総理の自民党化色が強くなってしまった。こういった民主党の過ちや限界はあった中に国民の失望とその失望の中からの反発が政策批判とともに感情論にもなった。
しかしこういった民主党の失敗はあったが国民が民主党に期待したもの(マスコミも含めた反自民も)自体は間違いはなかったはずなのです。残念ながら先にも書いたように感情的なまでの反民主党という批判が二大政党制の中での二者択一の中で自民党に政権が帰ったのですが、選挙を見てもじゃぁ自民党を支持したのかといえばそうではなかった。やはり国民生活が第一の政策が求められているのです。それは求めるというものが日常の国民生活の苦しさの中にあるわけですから。
もう一度振り返りましょう。
民主党政権をつくりだした国民の声が正しかったのだと。
その中で今の自民党政権の政策を見つめましょう。国民生活が良くなるのかを。
今の自民党内閣は小泉政権時の自民党に似ています。
改革に反対する勢力は抵抗勢力であるという「敵」をつくりだしながらあたかも古い自民党からの脱皮のように自民党をつぶすとも。こういった小泉劇場と現在の自民党が民主党政権時の政策を「敵」に見立てたような中で自民党も変わったという中に今の自民党を規定する。安倍劇場が起きているわけです。原発政策でも小泉内閣(当時の幹事長は今の安倍総理だったと思うのですが)と同じようにまた新たな安全神話をつくりだそうとしていか。経済政策も企業優先からの景気回復であり、その経済の好調さは国民生活には反映されずにかえって国民生活は格差の拡大に向かう。年金制度はどうなったか。。。。
こう見るならば民主党政権が生まれたときの政策をもっと拡充したしっかりと根の張った政権が必要という事ではないでしょうか?
もう一度振り返る必要がある。
民主党はどうするのでしょうか。。。。このまま消えていくのでしょうか?

【2014年】ツイッターつぶやき
すみません。
これから旧ブログのまとめ3月15日までをアップします。
お見苦しいかと思いますが失礼します。

こちらに引っ越してきてまだなれぬブログ機能に戸惑いましたがいじっているうちにどうにか形らしくなり落ち着きました。
また少しづつ思うところを書いていきたいと思います。
このブログは使いやすいかもしれない。。。。

旧ブログについては「何を思っていた?(旧ブログまとめ)」のカテゴリーとしてまとめて行きたいと思います。
3月6日からはじめましたが、2010年から2014年までの3月6日に書いたものを「3月6日という日」という形で4年間の3月6日をまとめていきたいと思います。僕は誤字が多いのですが、誤字もそのままにしておきます。

またいろいろなことが頭の中に湧いてきましたら書き綴っていきます。

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
久しぶりに過激な言葉を使う禁煙促進を見た。
「受動喫煙で1.5万人死んでるから屋内禁煙に!→国民「イイね!」自民党の半分が猛反対」 (ハフィントンポスト)
以前は喫煙夫が妻を肺がんで殺しているといった過激な禁煙呼びかけがあったが、最近はだいぶ少なくなったように思っていたら
「親の喫煙によって、子どもの突然死の割合が5倍近くにもなる、というのは、親が子どもを間接的に殺すことになる、ということです。」(上記サイトより引用)
このような過激な言葉を世間に流布して肺癌で死んだ妻や子に対して親類縁者から「お前が殺したんだ!」と責められて自殺でもしたらどうするんでしょ?
それも根拠となる資料には「受動喫煙を受けなければ肺癌等で死亡せずに済んだと推計」(引用)とあるようにあくまでも推計によるものである。また2016年にはJTより1.5万人死亡に対する疑問点(JTホームページ)が出されている。
少なくとも「殺した」などという過激な言葉を使った先導的なものはやめたほうがよいでしょう。
またこの推計はただ単に受動喫煙をした人としない人tに分けただけの結果です。
受動喫煙しなかった人の罹病要因は何かも示されていません。受動喫煙以外の要因でもたくさんの方がなくなっている。そうならば、受動喫煙をした方で死亡した人もこの受動喫煙以外の要因で罹病したと考えるのが当たりまです。しかしこの関連性については考慮しないで結論として推定とする。
仮に受動喫煙しない人の死亡率から、10万人当たり100人とすると、受動喫煙をした方が1.3倍ですから10万人当たり130人としてみることができる。すると受動喫煙した方のうち100人は受動喫煙しない方と同じ罹病要因で亡くなったとみることに無理はないでしょう。すると受動喫煙以外の要因での罹病者数は200人、受動喫煙と思われるものが30人となります。
どうも受動喫煙をしたかしないかの単純比較には無理があるでしょう。先に引用したJTのホームページには次のように書かれています。
「受動喫煙によってリスクが上昇するという結果と上昇するとは言えないという結果の両方が得られており、未だ科学的に説得力のある形での結論は得られていないものと認識しています。」
やはり「殺した」と言った過激な言葉は控えるべきで、肺がんなどをなくすことを真に考えるならばたばこ以外の要因を研究すべきなのです。
現在政府が検討している受動喫煙防止法に例外なく賛成するという方が、58.6%、小規模店舗を例外とするという方と同法案に反対という方を加えると39.3%となり、現在の喫煙率18%(上記引用サイト)からみると喫煙をしない方も小規模店ならとか同法に対しては反対という方もいるということです。
ここに受動喫煙防止のための分煙が含まれていません。完全分煙ならという聞き取り項目がないのです。
こう見ると、「国民「イイね!」自民党の半分が猛反対」という言葉にも過激な言葉使いと誇張があるのではないでしょうか?

【2018年】ツイッターつぶやき
コンビニに行った帰り道
公園の横を通ったら
ざわざわとざわつく音がした。
見上げると大きな楠が
ものすごい勢いでざわついていた。
蕾がだいぶ膨らんだ桜の木や低木は静かだった。
何をざわついているんだい?
そういえば2011年の今日もざわついていたね
今日は。。。。。
今年の日本の今日は。。。。。
また楠は大きくざわついた。

【2019年】ツイッターつぶやき
久しぶりに切り干し大根のペペロンチーノ風を作りました。
切り干し大根はよく洗ってから好みの硬さに茹でておきます。
フライパンにオリーブオイルを入れて低温でニンニクのスライスと鷹の爪を炒めます。香りが出てきたらニンニクと鷹の爪を器に戻します。香りが出たオリーブ油で玉ねぎとニンジンの千切りを炒めます。しなっとしたら切り干し大根を入れて炒めます。水分は野菜の水分だけで十分です。パサパサなら水をちょっぴり。
味付けは鶏がらスープの素、塩、コショウ、しょうゆ少々です。
仕上げに桜エビを散らしてさっと炒めたら出来上がり。今日はクコの実を少々。

以下ツイッターから
景気の後退が言われはじめている中で、狭まった行動範囲の緩和を行うのか?日銀も景気判断を下方修正すれば相対的に経済の動きにも鈍さが出てくる。デフレはカネ余りですから、吹き溜まっているカネがどう動くのでしょ?
政府も日銀も景気判断の下方修正を行うとすれば、景気は政府が言ってきたような好景気という状態ではなかったと見るべき。その中で消費増税が行われ、賃上げもない状態での生活に密着をした物やサービスが値上がりして億世の物価高に。隠しておいたデフレ不況がすごい形相で顔を出す。
格差の拡大で富が所得の低いところから高いところに回って、その金は吹き溜まっている。デフレ不況はカネ余りですから、吹き溜まったカネというものは必然的な現れです。同時に庶民にはカネがない。悪性の物価高が襲い掛かる。
デフレ不況と同時にハイパーインフレに近い悪魔が襲い掛かるかもしれない
好景気時には物価は上がらず、景気の後退宣言と同時に物価は上がっていくという皮肉が何を意味するか?
アベノミクスや日銀緩和は逆立ちをしていたということです。
その結果がさらに悪性のデフレ不況を深化させ、インフレを引き起こす。
強力なスタグフレーションが起こりえる。
ゼロ金利、マイナス金利で銀行の脆弱性が現れているかもしれない。
ほんの少しの景気後退でもあらわになれば、そして株価の下落が起きれば、危なくなるのか?
銀行の力が弱くなっているとはいえ、銀行の危機は国民に動揺を与える。
社会に経済的パニックが起きればそれは恐慌です。

【2020年】ツイッターつぶやき
安倍総理は14日に会見を行った。もちろん特措法成立後にです。
安倍総理の会見は威圧的でした。
なぜ威圧的かと言えば、特措法という鎧を着ていたから
ただ刀を抜かないで言葉は柔らかいだけ
いつでも刀は抜くよ。。。。
そこにあらゆる忖度が出てきてしまう。
安倍総理は会見で日本は人口1万人当たりの感染者の割合は0.06人にとどまっていることからすぐに特措法での緊急事態宣言を行う必要がないとしつつ、事態を見て法に基づいて緊急事態宣言を行うとしました。
しかし日本ではPCR検査の数量自体が少ないわけで、もしかしたら検査数量を考慮すれば、例えば韓国のほうが検査数量が日本の10倍ならば、検査数量の少ない日本は感染者数が10倍となる可能性があるわけです。
政府は検査能力があるにもかかわらず検査件数を抑えコロナウイルスの疑いがあっても検査はしないで自宅待期です。日本医師会もインフルエンザの検査さえ行わない状態です。
この中で政府への批判も出ているわけですが、総理大臣が非常事態宣言の鎧を着て刀に手をかけているわけですから、検査件数を増やして爆発的な感染者が起きらかになれば刀を抜くかもしれない。非常事態でもいいのですか?中国やイタリアのようになっていいのですかという暗黙の圧力となるでしょう。国民はじっと自宅待機など自己責任のもとに自己解決を行わざるを得ない。
ある意味強権的な現状を作り出します。
しかし院内感染があったとしても検査をしやすくして院内感染を抑えた和歌山県の例もあります。韓国も積極的な検査体制でコロナウイルスと戦っています。
国民を自己責任に追い込むような状態では感染防止にも穴が開くでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記」が更新されました。
3年程前だったか、長い間使っていたコード付きの掃除機が故障してしまったので新しく買いました。今はほとんどの掃除機がコードレスですなぁ。そしていざ使ってみるとなぜか右腕が筋肉痛というのか間接近くの筋が痛むようになった。手元にモーターやバッテリーが付いているのでコード付きのものより重いせいだと後日気付きました。
この掃除機でフェンシング?
たしかに鍛えられますなぁ。腕が太くならないかな。。。。。。
川上さんは「フランス人は10着しか服を持たない」という本に影響されたようです。
「掃除機をフェンシングの剣のように持ち、ずいずい掃除する」
衝動買いをした川上さん。
僕のイメージでは掃除機を片手で持ち上げてフェンシングするように勘違いをしたのですが、川上さんも?ちょっと心配になりました。
「フランス人は10着しか服を持たない」
誰でもが着回しでお洒落になれる?
川上さんはおしゃれなフランス人とご自分を同一視して読むがフランスのおしゃれはコーディネートであったことに気づき怒りながら本をしまう。
「フランス人は10着しか服を持たない」
誰でもできるお洒落。。。。
この「誰でも」というのが曲者ですなぁ。。。。。
川上さんはご友人にリーもーとリモートの設定を教える。
「私にもできるから大丈夫」と。
すると数日後
「川上さんでもできるならと思ったら、アプリのインストールもできた」という返事。
「誰でもできる」。。。川上さんの立場は「フランス人は10着しか服を持たない」の著者に。
友人は難なくできた。。。。。
川上さんの心の動き、お察しします。

夜半からの雨風がやんだら
空からさっと日の光が降りそそいだ
きらきらと七色の光は
桜の木にも降りそそいだ
あまりにもきれいなので出窓から眺めた
すると七色の光が集まって
3センチほどの桜の精があられた
蜂のような羽をパタパタと
枝の周りをゆらゆら飛んでいた
おやと思いながら外に出てながめることにした
桜の精は桜のつぼみに近づくと
「えいっ!」と、スティックを振り下ろした
つぼみは開かない。。。。
「開きませんなぁ。。。」思わず声をかけてしまった
桜の精はびっくりしたように振り向き
頭をポリポリと掻いて「あハハハ。。。。。」と
そして大きく息を吸い込んで「えいっ!」
「だめですなぁ。。。。」という言葉が終わらないうち
桜の花がスローモーションのように
1輪咲いた
「ほう、たいしたものですなぁ。。。」
(だいぶ昔、ホームページに書いたものですが・・・・・)

【2022年】ツイッターつぶやき
さらに円安は進み今日は118円を上回った。
この1年間を見ても10円以上の円安です。日本製品をアメリカに売った時、1億円で売れたとしてもドルで決算したら1年前に比べて10%も売り上げは減ってしまいます。10%多く売れればよいのですがそうはいかないのが日本企業です。
アベノミクスにより企業利益は増大し企業の内部留保も増え続けたようですが、現実はドル換算をすると10%減少したことになる。
企業利益が増大をして腹は膨らんだが、実態は経済が落ち込んでしまった。
毒饅頭を食ってしまったのです。
アベノミクスという言葉が注目されたころ、企業は少し半信半疑だったようですが目先の利益にとらわれてアベノミクスは進められた。アベノミクスに懐疑的だったのは毒饅頭ではないかという懸念だったのでしょう。
毒饅頭は腹を膨らませますが、腹を壊すか最悪死んでしまいます。

【2023年】ツイッターつぶやき
スーパーに神奈川県産の春キャベツが出はじめました。
かる~い、かる~い。。。春キャベツ
小皿に味噌を出してその味噌をちぎった春キャベツにのせて食べました。
やわらかでうまいですなぁ。。。。。
残りは朝のサラダに。小さめに切って他の野菜に混ぜました。
春キャベツは心が案外ありますね。これは味噌汁にしました。
しばらくの間春キャベツを楽しめます。

【2024年】ツイッターつぶやき
車の調子が悪いので点検と修理に出しました。
2泊3日です。
昔はもう少し早かったと思うのですが、今はディーラー店も少なくなっていますからなぁ。
そういえば、コロナとかいろいろありましたが、新車の納車に相当待たされるようですね。
人手不足からでしょうが、新車点検不正もありましたね。
色々なところで不便さが出る社会です。
先日も書いたけど、大量生産大量販売の競争から、値上げによる少量生産少量販売になっていく社会。
コメント
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