和貴の『 以 和 為 貴 』

慰安婦(売春婦)について

わたしはこれまで、いわゆる『慰安婦強制連行』といわれるものについての意見を述べることを避けてきました。

それは、こうした問題がどうして起きてしまったのか?

その本質を見極めないかぎりは、わたしのようなド素人がとやかく言えることではないと感じていましたからであります。

まずは、このいわゆる『慰安婦』問題というものが、朝日新聞の記事により世に広まっていった当時の日本社会の時代背景を考えてみたいと思います。

ときは昭和60年代であります。

わたし自身はまだまだ小~中学生時代で、アニメや漫画や遊びに夢中でしたが、学校科目では歴史や地理(社会)が大好きでした。ですが、『慰安婦』という言葉を全く知らずに社会人となりました。おそらくは当時、わたしの同級生たちも知らなかったはずでありますし、社会人になってからも『慰安婦』ということばを耳にすることはありませんでした。

当時の日本社会を振り返ってみますと、世はまさにバブル絶頂期を迎え、国民の多くがこうした『慰安婦』問題に関心が薄かったように思うのです。

有り余る錢金を手にし、まさに好景気を謳歌していたのではないのではないでしょうか?


その後わたしは、二十歳代となりますが、やはり仕事と遊びに夢中であります。当然テレビや新聞をほとんど見ることもありませんでした。かくして『慰安婦』ということばを耳にしたのは、恥ずかしながら30歳を過ぎてからであります。

わたしは耳にした当初より、半信半疑で『慰安婦』問題と向き合っていました。それは、わたしのようにそれまで好き勝手、自分勝手に生きてきた人間如きが、当問題についてとやかく言える立場なのだろうか?という感じであります。

この、いわゆる『慰安婦』というものを考えてみたとき、ひとつの事例がわたしの頭の中をよぎりました。

それは、バブル絶頂期に、海外から多くの外国人女性が来日してきたことでした。そして、その外国人女性たちは夕方以降、多くの日本人男性を相手にし働いていました。(いわゆる『売春婦』といわれるものもありました。)

わたしが暮らす小さな町でさえ、フィリピン・パブなるものがあったのですから、国内全体でみればかなりの外国人女性たちがこの時期に来日してきたものと想像がつきます。


朝日新聞は、いわゆる『慰安婦強制連行』というものを、戦前政府や軍の関与だと謂い、その責任賠償を求めるものであります。

もし仮にそれが事実であったとしたならば、それは同じ日本人として恥ずべきことですが、すでに昨年、朝日新聞の捏造工作であったことが明らかとなりました。

しかし、バブル期に多くの外国人女性が来日し、日本人男性を相手に働いていたことは紛れもない事実であります。

そしてわたしは考えました。たとえ『慰安婦』や『売春婦』というものが、政府や軍の責任だろうが、個人の責任だろうが、日本人ならば絶対に犯してはならないことだったはずだと。

さらに、強制だろうが強制でなかろうが、『慰安婦』や『売春婦』ということばをそのまま、外国人女性を錢金で買ってきた現代日本男性にも突きつけてやりたいと思うのです。
 

いわゆる『慰安婦』問題がここまで大きくなった背景には、朝日新聞だけの責任ではなく、善悪を考えず好景気に酔いしれてきた一般国民(わたしも含め)にもその責任はあるということを、これからも訴え続けていきたいと思います。

そして、某元大阪市長は、強制連行についての事実を否定する発言をしていましたが、『慰安婦』については寛大な意見を述べていたように思います。その結果!とまでは言い難いのかも知れませんが、大阪の繁華街には、多くの外国人が溢れ、バブル期の会社員を彷彿とさせるような若者男女たちで溢れかえっています。

わたしは、昔でいう"女郎屋"や"遊郭"までを否定するつもりはありません。それは日本の伝統的風俗であるからだと認識しているからであります。

しかし、『慰安婦』や『売春婦』という言葉は、女性をただただ侮辱しているように感じて仕方がないのです。

その国、その民族にとっては大切な女性たちなのですから、『慰安婦』や『売春婦』などと軽々しく口にし、しかもそれを容認するは、まさに犬畜生そのものであると言っても過言ではありません。


よって、こうした下劣な言葉が、この世から失くなることを心から望みたいです。


[GREE日記 皇紀:2674年8月12日より] 

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コメント一覧

ゆぅすけです。
小平次さん、コメント有難う御座います。
いまを考えますと、朝日新聞がなぜ、捏造をしてまで慰安婦問題というのをとりあげてきたのか?


わたし自身は、この問題を考えることで、己自身のこれまでの行ないを考えるきっかけのひとつともなりました。

奇しくも、朝日新聞が捏造し、国益や吾々日本人の心を大きく貶めるためだったものが、わたし自身にとってみれば、反省の材料となったのです。

そう考えてみたとき、朝日新聞の捏造記事というものが、戦後40~50年を過ぎ、平和と自由に酔いしれていた当時の現代日本人への警鐘の意味も含まれていたのはないだろうか?とさえ考えるのです。

だからと言いましても、朝日新聞の捏造は決して許されることではありませんし、ましてや警鐘だったなんてことは有り得ない話しでありましょう。

しかし、こうした捏造記事を書かせてしまった吾々戦争の生き残りにも、その責はあるのではないか?と、自問自答の日々をこれかも過ごしてまいろうかと思います。


「やってもいないことをやったと言われるのがいやだ!」

その身を犠牲にし、さらにその心までも貶められてしまった先人たちの気持ちは如何ほどのものでありましょうか・・・。


昨今の様々な現象や情勢を観ますれば、いろいろな意味で、吾々現代人が考えなければならないことは果てしないものと思います。


PS、人生初のギックリ腰(軽い)になっちゃいました。(T_T)トホホ
そして、小平次さんのブログ更新も楽しみにしております。

ではでは、小平次さんもお体を大切に・・・(^-^)


小平次
ご無沙汰です!
ゆぅすけさんこんにちは!

ご無沙汰しております

今回の記事、ゆぅすけさんが更新した時に読ませて頂いておりまして、コメントをさせて頂こうとずっと思っていたのですが、ここのところ神経を使う仕事に追われていまして、なかなか頭が切り替えられなくて…

すっかり遅くなってしまいました

さて、今回の記事、大変に深く考えさせられました


 「しかし、『慰安婦』や『売春婦』ということばは、女性をただただ侮辱しているように感じて仕方がないのです」

まったく同感であります

なかなか適切な言葉が思い浮かばないのですが、私がこの「問題」について思うところ

それは非常に単純です

ただただ

「やってもいないことをやったと言われるのがいやだ!」

ということです

そして、もう反論することすら許されない過去の人たちを、現代人が今の感覚や価値観によって、事の善悪で断罪するということが受け入れがたい

ということです

そして、特にこの「慰安婦」について思うことは、当時の緊迫した世界情勢、価値観、生活感、そのすべて、国や軍、兵士、慰安所で働いていた女性たち、今の私たちが考えるよりはるかに押し迫った切実な現実の中で、それぞれがそれぞれに、必死だったのだろうと思うのです

だからこそ

 「しかし、『慰安婦』や『売春婦』ということばは、女性をただただ侮辱しているように感じて仕方がないのです」

おっしゃる通りだと思います


たくさん思うところはあるのですが、長くなってしまいますので、いずれ自分のブログでも述べてみようと思います

ありがとうございましたm(_ _)m
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