「老害は差別用語だ」 伊吹元衆議院議長が猛反発
2021/3/4 FNNプライム
伊吹元衆議院議長が、組織委員会の森前会長を「老害」などと呼ぶ風潮を批判した。
伊吹元衆院議長「(森前会長に)早く年寄りは去れとかいう攻撃をするわけでしょ。森さんを、老人とか、シーラカンスだとか、老害とかいう差別用語で呼ぶことが、なんで許されるんだろうと、わたしは思いますね」
伊吹氏は、派閥の会合で、「女性蔑視発言とされる森氏の発言は、いいことではなかった」としたうえで、「そのことだけで、差別用語で呼ぶことがなぜ許されるのか」と述べた。
【 所 感 】
先ほどパッ!と、『2ちゃんねる』というサイトを開いてみると、当記事がトップに挙がっていたので、少しだけ所感を述べてみたいと思う。
最近よく目にする『老害』という文言だが、伊吹氏も言うように、明らかに差別用語であり、お年寄りに対する冒涜であろう。
なにより、何を根拠に "害" といっているのかすら分からないわけで、高齢者すべてを "害" だと言っているのか?それとも、特定の人物に対して "害" だと言ってるのか?
例えば、森喜朗氏の女性軽視発言の件についていえば、 たしかに日本社会に与えた影響を考えた場合、森氏に対しては「腹を切れ!」と言いたいところではあるが、その人間性までも否定する気はない。
それは、敗戦後の白人至上主義的な男尊女卑が横行していた時代を考慮すれば、場所も考えずに女性を軽視するような発言をするのは無理もないわけで、特に森氏の場合は、女性を軽視したという発言云々よりも、その後の後始末の仕方がお粗末過ぎたと言わざるを得ないのであって、いろんな人を巻き込み、挙句の果ては橋本聖子氏の過去の行いを噴出させてしまう事態にまで及ばせたことの方が罪は重い。
そうした意味において、「森さん、あんた腹を切れや」と思うのは人の情けというものであろう。
だが、「差別だ」「老害だ」といって個人を集団攻撃するやり方も、所詮は白人至上主義的な手法なわけで、かつて、東京リンチと呼ばれる東京裁判における白人たちの無慈悲な行為を、我々日本人は絶対に忘れてはならないと思うし、真似をしてもならないと思う。
しかしもし仮に、特定の人物に対して "〇〇害" という言葉を定義付けするならば
『己を省みることのできない人物』
となり、つまりは、
「足るを知らない人物というのは、いつの世も何かしらの争いの元と為す」
古(いにしえ)からの習わしであり、教訓ともいえよう。