■ 愛国心を悪用する者たち…
以上、レーガン政権以降においても『愛国心』を養う教育が実施され、それまでの自由奔放だった若者も減りはじめ、代わりに自国のことを真剣に考えるようになった若者たちが増え、そんな若者らも成人となり、あらゆる場で活躍するようになっていくのであった。
特に、映画「トップ・ガン」や「プラトーン」などの軍事映画も流行(個人的に好きだった映画だけど…)し、軍へ志願する人も多かったように思われるわけだが、結果として愛国心豊かだった米国人たちは、海外に派兵されることになり、多くの若い生命が犠牲となってしまうのだった。
特に、アフガニスタンやイラクといった中東地域における米軍の戦いというのは過酷さを極め、永きに渡って次々と若い兵士たちがその犠牲となっていく…。
こうした兵士たちが、「我々は世界の警察だから…」という使命感を抱いていたかどうかは分からないが、少なくとも各国からの要請があれば直ちに戦地に赴き戦っていたことは事実である。しかも、ベトナム戦争のころのような活発な反戦運動も起こらず、ただただ、多くの兵士が戦地へと送り込まれるだけであった。
そんな中、こうした流れに疑問を抱く人たちも出始め、大量破壊兵器を所持していなかったイラク攻撃、それに自作自演だった911事件を大義名分にした湾岸戦争などを皮切りに、マスメディアが絶対に報じないことを自分たちだけで研究し、その結果が少しづつ世の中に出回り始め、オバマ政権下でのIS(イスラム国)との戦いの中で、多くの人々が目覚め始めるのだった。(一部からは陰謀論や都市伝説として扱われているが…)
そして、2017年にトランプ現象が起こり、中東地域からの駐留米軍の撤退が開始されだしたのである。結果としてトランプ政権下での米軍兵士の犠牲者数というのは激減し、多くの兵士は本国で自国の領土を守ることに専念できるようになったのである。
太平洋戦争(大東亜戦争)が終戦して以降もずっと、愛国心溢れる若者たちを利用してきた連中こそが、米国人のみならず人類共通の敵であるということ…。そして、トランプ政権が崩壊してしまったことで、再びこうした連中が世界を大混乱へと導こうとしている…。と、強い危機感を抱いてしまうのは私だけではないと思うのだが…。
■ 愛国心と保守との違い
さて、米国社会における愛国心というものを自分なりに考えてみた結果、ではわが国ではどういう状況になっているのかを少し考えてみたいと思う。
わが国では「愛国心=右翼」「保守=中道」「左翼=反日」のような捉えられ方が一般的になっている昨今であるが(立場によって考え方は様々であるが…)、日本の伝統的右翼・左翼の分け隔てというのは、まだまだ日が浅いのが実状といえよう。
それは、戦後の日本社会の中で西洋的イデオロギーが大衆化されただけに過ぎず、それまでは『純粋な愛国心』が中心となっていたのだった。よって右翼や左翼という概念などは政治家の政治理念によって区別されていただけであり、結論としていえば、戦争か革命かの違いだけなのであった。
こうした戦争(右)か革命(左)かという二極論が、敗戦後の日本社会を覆い被さったことで(戦争もダメ!革命もダメ!)「保守」なる概念が誕生し、それを自由民主党は結党の理念として掲げ、さらには戦後生まれの若者たちが西洋的イデオロギー色に染まっていくなかで、わが国における『純粋な愛国心』というものが鳴りを潜めてしまうのだった。
特に高度成長期だった日本は、経済一辺倒だったこともあって、自民党が掲げた保守の理念は、自国の領土を守ることよりも経済力(国民の暮らしを守る)の方に重点が置かれるようになってしまい、国家の安全保障上の重大案件はいつも先送りにされ続けてきたのである。
このことは経済一辺倒に陥っていた大衆の心情を考えれば、国防よりも経済寄りになるは致し方のないことだと思うわけだが、米国の核の傘で守られ続けていることで、さらに日本国民の国防に対する意識というものが薄らいでいく要因のひとつとなっていくのだった。
しかも、こうした経済保守の概念はいまも変わることなく、安倍元総理が声高々に叫んでいた憲法改正論も、もはや語る人も少なってしまい、まさに「虚しい…」の一言に尽きる。
しかも、レーガン政権下における教育改革によって、多くの米国人が「純粋な愛国心」を育むことができた、その原動力となったといわれる教育勅語の十二の徳目さえも、4年前に起こった森友学園事件ですっかり語られることもなくなってしまい、もはや「保守」というのは自民党の選挙戦略の一環として利用されるだけの存在でしかなくなったのである。
つづく・・・