和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:泰伯第八 〔21〕 禹は吾 間然すること無し


論語を現代語訳してみました。



泰伯 第八

《原文》
子曰、禹吾無間然矣。菲飮食、而致孝乎鬼神、惡衣服、而致美乎黻冕、卑宮室、而盡力乎溝洫。禹吾無間然矣。

《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、禹〔う〕は吾〔われ〕 間然〔かんぜん〕すること無〔な〕し。飲食〔いんしょく〕を菲〔うす〕くして、孝〔こう〕を鬼神〔きしん〕に致〔いた〕し、衣服〔いふく〕を悪〔あ〕しくして、美〔び〕を黻冕〔ふつべん〕に致し、宮室〔きゅうしつ〕を卑〔ひく〕くして、力〔ちから〕を溝洫〔こうきょく〕に尽〔つ〕くす。禹は吾 間然すること無し。




《現代語訳》


孔先生がつづけて、次のように仰られました。


禹については、私は批判するところがない。禹は自らは粗食をしながらも、祖先祭祀は十分に行ない、ふだんの衣服は粗末でも、祭礼〔さいれい〕にまとう祭服〔さいふく〕は美々〔びび〕とし、寝殿〔しんでん〕を飾らずして、灌漑〔かんがい〕用の水路作りにその能力を発揮されたのじゃ。

そのような禹に対して私が、批判するところなどないのだよ、と。


〈おわり〉


泰伯 第八 おわり




《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

というわけで、泰伯第八の現代語訳が終わりましたが、この句についてもまた、何年かのちに、改めて語訳できればな、と思いました。

なお、曾子の父母や祖先に対する孝行心や、孔子の古人に対する尊敬の念というものも、改めて深く知ることができたことは、当ブログの主旨でもある「先人先祖の気持ちを知り…」を掲げる私にとって、大いにプラスになったものと、改めて強く思うところです。



※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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